過越しの祭りから七週の祭りへ

2024年2月25日主日礼拝「過越しの祭りから七週の祭りへ」使徒2:1~21佐々木俊一牧師

■2024年のイースターは3月31日です。昨年は、4月9日でした。イースターの日は毎年変わります。なぜなら、イースターは、春分の日の後の満月、その満月の後に来る最初の日曜日がイースターと決められているからです。ちなみに、2024年の過越しの祭りは、4月22日から29日だそうです。イエス・キリストは、過越しの祭りに十字架に架けられて死なれました。そして、三日目に復活しました。それは、週の初め、日曜日の出来事でした。2024年は、イースターと過越しの祭りがかなり離れていますが、両方ともに4月頃に行われるお祭りです。

 イエス様が復活された日曜日から50日目に、またすごい出来事がありました。そのことが、今日の聖書箇所である使徒の働き2章に書かれてあります。それは、五旬節と言われているユダヤ人のお祭りの日でした。旬は、十と言う意味です。五旬節は五旬祭とも言われているので、五十日目のお祭りと言うことになります。他の言い方として、七週の祭りとかペンテコステという言い方もあります。今日のメッセージタイトルとしては、「過越しの祭りから七週目の祭りへ」とさせていただいています。七週の祭りは、過越しの祭りから七週が過ぎて、50日目のお祭りという意味です。ペンテコステは、ギリシャ語の50番目という言葉がその由来です。キリスト教会では、ペンテコステが一番よく知られた言い方です。ペンテコステと言えば、これは、聖霊降臨を記念する日です。聖霊が与えられることは、旧約時代から約束されていたことです。また、イエス様ご自身が、約束したことでもありました。イエス様は、今は天にいて父なる神の右に座しておられます。そして、イエス様の代わりに、助け主として聖霊が遣わされました。イエス・キリストを救い主と信じる者の内には、聖霊が住んでおられます。

 五旬節は、クリスチャンにとっては聖霊降臨を記念する日です。しかし、ユダヤ教の人々にとってはそうではありません。彼らにとって、この日は、モーセがシナイ山で神様から石に刻まれた十戒を与えられたことを記念する日なのです。それと共に、小麦の初穂を神様にささげ、大収穫を祈る祭りの時でもありました。そのようなお祭りの時に、エルサレムではどのようなことが起きていたのかを、2章を通して見てみましょう。

■1節~4節 先ほど言いましたが、過越しの祭りの日に、イエス様は十字架に架けられて死なれました。そして、三日目の日曜日に復活されました。ちょうどこの時に、慣習によるならば、神殿では大祭司が大麦の初穂を神様にささげていたはずです。大祭司は、その初穂を揺すぶる動作をしながら神様にささげるのです。この初穂は、復活したイエス・キリストを表していると言われています。Ⅰコリント15:20に書かれてあるように、イエス・キリストは死んだ者の初穂として死者の中からよみがえられたからです。イエス様がよみがえられてから数えて50日目が、五旬節です。この五旬節の日に、キリストの弟子たちが同じ場所に集まっていました。あのアッパールームと言われているところに集まっていたのでしょう。1章に書いてありましたが、およそ120名の人々が一緒に集まっていたのだと思います。そこで何をしていたのかというと、心合わせて祈っていました。すると、天から突然、激しい風が吹いてきたような響きが起こりました。激しい風が吹いてきたのかどうかはわかりませんが、そのような衝撃を感じさせる響き、つまり、音が聞こえたのです。その音は彼らがいた家全体に響き渡りました。響き渡るほどですから、かなり大きな音で、家がぐらっと揺れて、体全体にその衝撃を感じたかもしれません。また、その衝撃は、耳や体だけではありません。視覚的にもかなり衝撃的な情景が思い浮かびます。炎のような舌が現れたのです。それも一つや二つではありません。120人全員の上に炎のような舌が分かれてとどまった、とあります。想像すると、信じがたいような出来事がそのところで起こったわけです。さらに、120人の人々が聖霊に満たされて、聖霊が語らせるままに、他国のいろいろな言語で話し始めたと言うのです。言っておきますが、これを書いたのはルカです。ルカはこの場にはいませんでした。ですから、ルカは現場にいた人々の証言を聞いたり、調べたりして、このように書いたのだと思います。

■5節~12節 この時、エルサレムには熱心なユダヤ教徒たちがあらゆる国々から来て滞在していました。何のために来ていたのかと言うと、五旬節の祭りに参加するために来ていたのです。大半が男性だったと思います。これはユダヤ教徒にとって義務ともいえる事柄でした。三大祭と言われている、過越しの祭り、七週の祭り、そして、仮庵の祭りに参加することは、ユダヤ教徒の男性にとっては義務であったわけです。ある人々は、過越しの祭りの時からエルサレムにずっと滞在していたと思われます。多くの人々がいろいろな国々からやってきていました。中には、ユダヤ人ではなくて、外国人もいました。彼らはユダヤ教に改宗した外国人でした。

彼らはどのような国々から来ていたのでしょうか。パルティア人、メディア人、エラム人は現在のイランにあたる場所から来た人々です。メソポタミアはイラクです。カパドキヤ、ポントス、アジア、フリュギア、パンフィリアはトルコです。そのほかに、リビア、ローマ、クレタ、アラビアからも来ていました。このように、この当時すでにユダヤ人たちはいろいろな国々に散って生活拠点を築いていました。

 激しい風が吹いてきたような響きが起こった時、この衝撃音に驚いた大勢の人々が、その音の発生源である120人のクリスチャンが集っていた家のところまでやって来ました。そして、驚き、あきれてしまったのです。何に驚き、あきれてしまったのかと言うと、あの120人のクリスチャンみながいろいろな国々の言語で大声で叫んでいたからです。外国に住んでいたユダヤ人たちは、もちろん、ヘブル語を理解できたでしょう。でも、それに加えて、彼らがそれぞれに住んでいた国々の言語を語っていたものですから、彼らはあきれて、驚いたのです。わけのわからないこの不思議な光景を見て、ガリラヤから来た人々が、何で自分たちが住んでいる国々の言語を話せるのだ、一体何が起こっているのだ、とただただ不思議でならなかったのです。

 そして、11節によると、海外から来ていたユダヤ人たちは各国のことばで語られていた話の内容を理解していたことがわかります。「あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」と言って当惑していました。しかし、感心してもいたのです。また、それとは逆のリアクションもありました。「甘いぶどう酒に酔っているのだ。」このように馬鹿にした言い方をする人々もいました。私たちが神様のことばを語るとき、確実に両方のリアクションがあります。ある人々は真面目なこととして受け止めてくれますが、ある人々は嘲りをもって受け止めます。これは、昔も今も変わりません。でも、私たちは福音を語り続けるのです。

■14節~21節 そこで、ペテロが立ちあがりました。他の11人の使徒たちも立ち上がりました。そして、ペテロは声を張り上げて、人々にはっきりとこう言ったのです。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。」ペテロは、集まってきた人々に向かって知っていただきたいことがある、これからそれを話すからよく聞いてください、と叫んでお願いして語りかけました。ペテロは使徒たちの中では大胆な人であるとは思いますが、こんなに大勢の前で話したことは今までになかったのではないでしょうか。にもかかわらず、ペテロは大勢の前に立ち上がって大胆に語り始めたのです。このようなことが出来たのは、聖霊に満たされて、聖霊によって強められて、導かれて大胆に語ることが出来たのだと思います。けっして、ペテロの力によるのではありません。

 ペテロは、その時の出来事を聖書の預言から説明しました。ぺてろは、ヨエル書2:28から32のことばを引用しました。

 ヨエルは、預言者イザヤより少し前にユダ王国において活躍した預言者です。今から2800年くらい前の人です。2800年も前にこの預言がユダ王国の人々に向かって語られていたのです。この時、ユダ王国の王様もその民も真の神様から離れて、偶像礼拝に陥り、世の中が大変乱れていました。ヨエルはそんな人々に向かって神の裁きと警告を叫びますが、彼らは悔い改めませんでした。そのような状況の中で語られたヨエルの預言は、当時の人々に向けて語られただけではありません。さらに、その先に生きる人々、未来に向けて明らかに語られているのです。

 ヨエル2:28~29にはこのように書かれています。「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」

 新約時代になって初めて聖霊の働きが始まったのではありません。旧約時代から聖霊の働きはあったのです。でも、それは特別な人、預言者や王様など、ごく一部の人に限られていました。イスラエルの初代の王様、サウルにも聖霊が注がれました。その時、サウルは預言したのです。そのように聖書に書いてあります。ダビデにも聖霊が注がれました。ダビデは詩篇の中で言っています。ダビデが罪を犯した時に、「私から聖霊を取り去らないでください」とダビデは言っているのです。このように、旧約時代においては、ほんの一握りの人々が聖霊を受けました。しかし、新しい時代、新約時代は違うのです。聖霊はすべての人に注がれるのです。特別な人だけではありません。息子も娘も、年寄りも若い男も、あまり重んじられないような人々、しもべにも、はしためにも聖霊は注がれるのです。差別なく、誰にでも聖霊が注がれると言っているのです。でも、一つだけ条件があります。それは、ヨエル2:32に書いてあります。「主のみ名を呼ぶ求める者はみな救われる」と。主のみ名を呼び求める者、つまり、救い主なるイエス・キリストのみ名を信じて、そのみ名を呼び求める者はみな救われるのです。ヨエル2章には神の裁きについて書かれています。しかし、神の裁きが語られているところには、必ず、神の恵みと神の救いが語られているのです。神様はただ裁くだけのお方ではありません。必ず、そこから救われるための方法を示してくださっているのです。

■今日のメッセージタイトルは、「過越しの祭りから七週の祭りへ」です。神様がイスラエルの民に命じたお祭りは明らかに救い主イエス・キリストを表しています。特に、三大祭と言われている、過越しの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りは、キリストについて大変興味深い事柄を含んでいます。であるにもかかわらず、これら聖書に見るユダヤの慣習は、AD4世紀初めにキリスト教がローマ国教となって以来、排除される傾向にありました。しかし、現代においては、そのところが見直されてきています。

 終わりに、とても興味深いことをお話ししたいと思います。過ぎ越しの祭りでは、パンに種を入れてはいけませんでした。そのため、徹底して家の中を掃除してパン種を取り除いたのです。そして、神様に命じられたとおりに、過越しの祭りの間、種なしパンをささげ、種なしパンを食べました。この時のパンはイエス・キリストを表しています。ですから、罪を象徴するパン種がパンの中に入っていてはいけなかったのです。

 それから50日目に、七週の祭りです。七週の祭りでささげられるパンは、パン種入りのパンです。2個作って神様にささげました。そして、このお祭りでは、奴隷も、外国人も、孤児も、やもめも、誰もが仕事を休んで食べて飲んで楽しむ時を過ごすことができたのです。そうすることが神様の命令でした(申命記16章・レビ記23章)。パン種入りのパンは私たち人間を表しています。罪の性質をもった私たち人間ではあるけれども、罪のないイエス・キリストが私たちのために犠牲となってくださったおかげで、私たちは神様に受け入れられる存在とさせていただきました。そのことを私たちは喜び祝うのです。それほどまでに、私たちにとってこのことは素晴らしい出来事であるわけです。また、もう一つのことを付け加えたいと思いますが、さらに面白いことに、2個のパンとは、イスラエル人と異邦人を表しているということです。なるほどと思わされます。

 このように過越しの祭りと七週の祭りでは、様子が大きく異なります。ヨエル書に書かれていたことを思い起こしてください。あまり重んじられていない人々たち、しもべやはしためにさえ、神の救いが差別なく同等に受けることができるようにしてくださったのです。七週の祭りのお祝いで、奴隷も、外国人も、孤児も、やもめも、誰もが仕事を休んで食べて飲んで楽しむ時を過ごすことができました。その様子と同じです。七週の祭りの様子は、差別なく、信じる者すべてに聖霊が与えられ、救われる出来事を表しているものなのです。この恵みは、いつまでも続くわけではありません。主の大いなる輝かしい日が来た時には、この恵みの中に入りたくても入れなくなってしまうのです。ですから、主の大いなる輝かしい日が来ないうちに、私たちは何とかして多くの人々にイエス様の救いを語って行きたいと思います。それではお祈りします。