新年を一緒に祝う幸い

2024年1月7日主日礼拝「新年を一緒に祝う幸い」エズラ3:1~4佐々木俊一牧師

■2024年元旦から日本は大変なことになっています。石川県能登半島で震度7の大きな地震が発生しました。死傷者がたくさん出ています。地震やそれに伴う火事で多くの建物が倒壊し、津波の被害も出ています。令和6年能登半島地震が2024年幕開の日に起こりました。お正月というこの祝いの時にこんな災害が起こるなんて、だれも思っていなかったでしょう。本当に何が起こるかわからない時代に私たちは生きています。

 お正月はみんなでテレビを見ながらゆっくり過ごすのが、ふつうの事でした。2020年のお正月まではそれが出来ていました。けれども、2021年、2022年、2023年は、いつものようなお正月ではありませんでした。やっと2024年は、ふつうにお正月を過ごせると思っていました。けれども、2024年のお正月もふつうのお正月にはなりませんでした。ほぼすべてのお正月番組が地震速報に変更されました。

 2021年には東京オリンピック、2022年には男子サッカーワールドカップ、2023年にはワールドベースボールクラシック、女子サッカーワールドカップ、そして、ラグビーワールドカップが行なわれました。大変楽しませてもらいました。しかし、一方では、新型コロナから始まり、ウクライナ戦争が起こり、そして、イスラエル・ハマス戦争が起こっています。国際連合はうまく機能せず、世界はこれらのことに翻弄されています。自然も社会も、政治や経済も、以前とは次元の異なる不安定な状態が続いています。

 でも、そのような中にあっても、何とかして希望を見出そうとするのが人間です。その中でも、確かな希望を見出すことが出来るのが私たちクリスチャンです。このような時代の中にあっても、私たちは神様から来る平安で安心することが出来ますし、イエス様が与えてくれた希望によって喜びを失わずに歩み続けることが出来ます。私たちの希望は、何となくそんな気がするような根拠のない希望ではありません。信頼できる聖書のことばにしっかりと根付いた根拠のある希望なのです。

 これからの一年はどのような一年になるのか、私たちには未知なところがあります。けれども、どのような時にも神様の側にいることが私たちにとっての最大の守りであり、安心であり、喜びです。そのことを覚えて、今日はエズラ記3章1節から4節を通してお話をしたいと思います。

■1節~3節 ユダヤ人たちは、バビロン帝国のネブカデネザル王によってバビロンの地に連れて行かれました。しかし、彼らとその子孫たちは、エレミヤの預言の通りに、その後、神様の不思議な導きによって、イスラエルの地に帰ることができました。偽預言者たちは、ユダ王国はバビロンに負けることはない、だから最後まで降伏せずにバビロンに立ち向かうように鼓舞しました。いかにも神様からのメッセージのように受け取れますが、この時は違いました。主の預言者であるエレミヤは、バビロン捕囚はユダの民の罪の結果であり、それから逃れることはできないので降参するように助言しました。消極的で否定的に聞こえますが、しかし、その助言には、ユダの民の希望となるようなことばが語られていたのです。それは何かというと、70年後にはイスラエルに戻れる、と言う予告でした。

 実際に、イスラエルから離れ、バビロンの地で生き延びた人々にとって、エレミヤのことばは彼らの希望であり、生きる力となりました。ついに、エレミヤの預言が成就して、イスラエルの地に戻った彼らはまず、自分の先祖が住んでいた町々に住みはじめました。そして、第七の月が訪れると、人々は一斉にエルサレムに集まって来ました。「一斉に」の直訳は、「一人の人のように」です。それぞれの町に戻ったけれども、第七の月になると、一人の人のようにみんなが同じ思いになってエルサレムに集まって来たのです。あとで説明しますが、その理由は4節に書かれています。

 2節と3節には、ヨシュアと言う名前とゼルバベルと言う名前が出て来ます。およそBC500年代の事ですが、同じ時代に生きた人として、学者のエズラや、のちに総督になったネヘミヤ、預言者のハガイ、ゼカリヤ、マラキなどがいました。ヨシュアは宗教的な指導者で、大祭司でした。彼は、レビ人でアロンの家系です。ゼルバベルはキリストの系図の中にいます。ダビデの子孫であり、マリヤとヨセフの先祖です。彼は政治的なリーダーで、総督でした。彼らは、モーセの律法に書かれてあるとおりに、全焼のいけにえを献げるために祭壇を築きました。全焼のいけにえとは、自分のすべてを神様にささげ、従います、という意思表示です。家畜は彼らにとって大変貴重なものであり、財産でした。それらの貴重なものを、彼らは朝と夕に全焼のいけにえとしてささげたのです。それは彼らにとっては大きな犠牲でした。しかし、それでも彼らは、喜んで主にささげたのです。神様を心から信じている人は、大きな困難の中を通ってそこから自由にされると、心から喜んで自分のすべてを神様に捧げたいと思う気持ちにされるのです。

■4節「彼らは書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数に従って、日々の全焼のささげ物を献げた。」

 このところにあるように、約束の地、カナンに戻って来たユダ王国の民(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族)は仮庵の祭りを行なうためにエルサレムに集まってきました。

 ここで仮庵の祭りについて、少し説明したいと思います。仮庵の祭りは、第七の月(チスリ)、太陽暦で言うと、だいたい9月から10月にかけて行われます。仮庵の祭りが行われる前に、一連の関連行事があります。同じ月の第一日目には、ラッパの祭りがあります。角笛が高らかに吹かれます。それを合図に、会合を開き、一緒に祝うのです。それから、その月の10日目には、贖罪の日(宥めの日)が来ます。その日、人々は自分の罪を覚え、悔い改めの時を過ごします。そして、大祭司はこの日、年に一度だけ、ほふられた小羊の血をたずさえて幕屋の奥にある至聖所に入って行くのです。大祭司自身の罪とすべての民の罪を贖うために、その血は至聖所の契約の箱にふりかけられます。それが終わると15日目から仮庵の祭りが始まります。仮庵の祭りは一週間続きます。その間、人々は仮庵、つまり、粗末な小屋を作ってその中で過ごします。

 仮庵の祭りが始まったきっかけは、奴隷として働かされたエジプトからの脱出です。40年間荒野をさ迷ったのち、イスラエルの民はついにカナンの地に入ることができました。この時、神様に言われたことが、荒野での40年間に神様がなされた多くのみわざを後の世代に伝えるため、約束の地、カナンに入ったならば、毎年行なうように命じられたことが仮庵の祭りなのです。しかし、ネヘミヤ記8:17によると、ヨシュアの時代から仮庵の祭りは一度もなされなかったようです。 

 エズラ記3章の出来事では、エジプトではなくてバビロン捕囚で連れ去られた人々が約束の地に戻って来た時のことです。きっと、モーセの時代の出来事と自分たちの体験したバビロン捕囚が重なり合うような出来事であったのでしょう。この時から、第七の月が彼らの一年の始まり、新年になったようです。以前は、第一の月、二サン(アビフ)の月が一年の始まり、新年でした。しかし、この時から現代にいたるまで、一般的に、新年は第七の月(チスリ)になりました。過越しの祭りのある二サンの月は、宗教的な新年であり、仮庵の祭りがあるチスリの月は政治的な新年であると言う言い方をすることもあります。

 現在、イスラエルでは、第七の月(チスリ)が新年として祝われています。太陰暦なので、毎年、新年の日にちが変わります。昨年は、9月16日がユダヤ歴の1月1日でした。9月26日が贖罪の日(ヨムキップール)でした。仮庵の祭りは9月30日に始まって、10月6日に終わりました。次の日10月7日は土曜日で、この日もお休みでした。ユダヤ人はゆっくり休んでいました。記憶に新しいと思いますが、この日に、ハマスがイスラエルに対してテロ行為を行ないました。今回のイスラエル・ハマス戦争はイスラエル人が安心しきっている状況の中で起こった出来事なのです。

■イスラエルでは、第7の月の初めの日が元旦のようなものですから、この日は、イスラエルの人々は仕事をしません。旧約聖書に、仕事をしてはならないと書かれています。日本でも似たところを見つけることができます。大掃除をはじめ、やるべきことは12月31日までに終えて、元旦は一切仕事をしてはならないという意識です。この日は、仕事のことから離れて、神様を礼拝し、神様とともに過ごす日なのです。また、この日は、仕事も学校もお休みですから、家族や親戚がともに集まって食事をし、ともに過ごし、お祝いする日なのです。

 次に、いわゆる宗教的な新年、第一の月(二サン/アビフ)についても、少しお話ししたいと思います。それは、出エジプト記12章に書かれています。第一の月はエジプトから脱出した月であり、3月から4月の時です。その月はユダヤ人にとってはエジプトからの脱出を記念する過越しの祭りを祝う時です。私たちクリスチャンにとっては、イエス・キリストの十字架の死とその復活を喜び、祝う時です。

 過越しの祭りは、第一の月の14日の夕方に過越しのいけにえをささげることによって始まります。そして、パン種を入れないパンの祭りへと続いていきます。1日目と7日目は仕事をしてはいけません。彼らの家族や親戚が集まり、小羊の肉と一緒に種なしパンを食べながらお祝いするのです。この種無しパンのことを、「マッツォ」と言います。宗教的な新年に「マッツォ」を食べるのはとても興味深いことです。日本では、正月に「モチ」を食べる習慣があります。「マッツォ」と「モチ」、何だか似ていませんか。

 宗教上の新年にイスラエルの人々は、エジプトから脱出し、安息の地カナンに定住したことを過越しの祭りの中で祝います。私たちクリスチャンは、イエス・キリストの十字架の死により罪赦され、復活したイエス・キリストによって希望が示され、イエス・キリストによって安息の地、神のみ国に永遠に定住する希望を祝います。

■この二つの新年には共通点があります。それは、この二つの新年の月がそれぞれに第一の月であるとともに第7の月であるということです。第7の月を年の初めの月として数えると第1の月が7番目になります。第一の月を年の初めの月として数えると第7の月が7番目の月になります。7という数字に注目してください。創世記を読むと、1日目から6日目まで神様は働かれました。そして、すべての被造物を造られました。7日目にすべての働きをやめて休まれました。7日目はすべての仕事を休む時なのです。神の命令は、この日は仕事をしてはならないと言っています。仕事が中途半端でも仕事をしてはなりません。仕事よりも優先すべきことがあるからです。これは、ユダヤの共通認識です。仕事から離れて何をするのかというと、神様を覚えることです。そして、神様を礼拝するのです。仕事をしないで神様と過ごす時を持つことはとても大切なことであり、私たちにとって必要なことなのです。

 次に大切なことは、家族とともに過ごすことです。仕事から離れて、家族と共に過ごし、一緒に食事をして祝うのです。こんなデータがあります。アメリカの家庭でのことですが、両親と一緒に食事をする子どもが非行に走る確率は、両親と一緒に食事をしない子どもよりもずっと低いそうです。仕事を離れて、神様を覚え、神様と過ごし、また、家族のことを覚え、家族と過ごすことは、健全な家庭、健全な社会、そして、健全な国や世界を築くために大切なことなのです。

 正月の「正」には、年の初めとか、年を改めるという意味があるそうです。日本では仏教伝来よりも前から、神様を家族みんなでお迎えし、祝うための大切な日とされていたようです。また、正月、あるいは、新年を祝うというのは、日本に限ったことではありません。世界中の多くの人々が同じような慣習を持っています。これは、世界共通の意識であり、古い時代から人類が受け継いできた慣習です。

 終わりに、仮庵の祭り、この出来事が真に意味することは、私たちのこの地上の体は仮の住まい(テントのようなもの)であって、本物の住まい、そして、定住すべきところは、新しい天と地、神のみ国にあるということです。そして、このことが、私たちにとって、真に新しい年を意味していることを覚えていただきたいと思います。この地上で新年を一緒に祝う幸いは、神のみ国で一緒に祝う幸いの未来図を表わしていると言ってもよいでしょう。ですから、イエス・キリストをまだご自分の救い主であると告白していない方は、ぜひ、神の御国では一緒に祝う幸いの時を持てますように、主イエス・キリストを救い主と信じていただきたいと思います。それではお祈りします。