愛をもって互いに仕え合いなさい

2023年6月18日英語礼拝

メッセンジャー:ジム・アリソン牧師

エペソ人への手紙 5 章 21 

「愛をもって互いに仕えなさい」

 先月、強い家族を築くというメッセージシリーズの中 で、私たちは結婚について考え始めました。 私たちは、結 婚している場合とそうでない場合の意味と影響に焦点を当 てました。 今日は、結婚している私たちが夫婦としてより 強くなるためにはどうしたらよいのか、神様が御言葉を通 して私たちに語っておられることを、皆さんと一緒に聞い ていきたいと思います。 結婚していない人にとっても、健 全な結婚を可能にする原則は、他の人間関係にも適用で き、大きな利益をもたらすものです。その枠に父子関係も 入っていますので父の日との関連が大いにあります。 です から、このメッセージは私たち全員に向けたものなのです。

 ある人が死んで、神の前に立つために天に召された、 というちょっと変な話があります。 天国へ行くと、2 つの 入り口がありました。 ひとつには、"かかあ天下だった男性 " という看板が掲げられていました。 そこに入るのを待っている男たちの長い列がありました。 もう一つの入り口に は、"かかあ天下ではなかった男性"という看板がりました。 そこで待っていたのは、たった一人の男でした。 今来た男 は、その一人で待っている男に近づき、"なぜこの列に並ん だのですか?"と尋ねました。

 彼は、"妻にここに立つように言われたんだ"と答えまし た。

 おそらく結婚している人は皆、人生の中で取り組み続 けなければならない問題を抱えているはずです。 だから、 私たちは皆、ここで学ぼうとしているのですね。

 神様が望んでおられるような結婚生活を送るためには どうしたらよいかを考えるとき、まず非常に広い範囲から 始めて、段階的に視野を狭めることが重要だと感じます。 私たちは非常に具体的な教えをいくつか受け取っています が、その中には、より大きな忘れないようにしないと誤解 しやすいものもあります。 最も明白でありながら、極めて 重要な点は、結婚を含む健全な関係においては、神の愛が 関係する人々を築き、知らせ、導き、支える力として常に 3 存在する、ということでしょう。 私たちはペテロの手紙 第 一 4 章 8 節で教えられています、「何よりもまず、互いに熱 心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」

 愛の神様は、神様が結婚と呼ばれる関係にある男女の 前に、「一体となる」という目標を掲げています。「それゆ え男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体とな るのである。」(創世記 2 章 24 節、先月学んだんだマタイの 福音書 19 章、エペソ人への手紙 5 章でも繰り返されていま す)。 それは、肉体的な意味だけでなく、内面的な意味も あります。 それは、私たちが必ずしも同じ意見、性格、文 化的慣習を持つべきだという意味ではありません。 しか し、このような人生の領域のすべてを超えて、私たちは同 じ精神を共有し、心と思いと魂で固く結ばれることができ るのです。 私たちは、神様の家族の一員であることからも たらされる忠誠心、価値観、約束を共有することができま す。

 それが、私たちの結婚生活において、日々取り組むべ きことなのです。 今日、私たちはどうすれば一歩でも近づ くことができるのでしょうか。それが、私たちの心に留めておくべき良い指針となる質問です。 私たちを分断するも のを見つけたとき、私たちは避けるべきことを学ぶ必要が あることを知ります。 私たちをより強く結びつけるものが 見つかったら、私たちはそれをもっと求め、もっと注意を 払い、それについて学び、それを土台とする必要がありま す。 これはすべて、ガラテヤ人への手紙 3 章 28 節の著者が 「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男 子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キ リスト・イエスにあって、一つだからです。」と言っている 意味の一部です。

 次に、互いに仕え合うという領域に進みましょう。 互 いに仕え合うことは、キリスト教信仰の重要な部分です。 ガラテヤ人への手紙 5 章 13 節でパウロはこう書いていま す。「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召 されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としない で、愛をもって互いに仕えなさい。」ペテロの手紙 第一 5 章 5 節には次のような教えがあります。「同じように、若い人 たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着 けなさい。『神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを 与えられるからです。』」(箴言 3 章 34 ,)。  ですから、権威ある人々の指導に従い、喜んで仕えて 生きるというライフスタイルを選択することは、教会全 体、そして家庭の問題でもあるのです。 これは、時間の経 過とともに社会全体に影響を与える可能性があります。イ エスは私たちの完全な服従のモデルであり、自由に仕える ことを選択するモデルです。ヨハネの福音書 6 章 38 節で、 イエスはこう言われています。「わたしが天から下って来た のは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わし た方のみこころを行うためです。」。 ローマ・カトリックの 司祭になることを決意した男性は、まずキリストに従う一 環として、貧困、純潔、従順の中で生きることを約束しま す。 それは果たすべき特別な役割ですが、私たち全員の信 仰生活の中にも、そのようなものもあるのです。

 さて、「愛に生きる」「一体になる」「仕え合う」という 枠組みをしっかり頭に入れた上で、夫婦の関係の詳細にな ると、「従う」という特殊な文脈になるのは、それほど不思 議ではありません。 聖書の神様はパウロを通して、「 自分 の心に従え。 自分の情熱を見つけ、それを最後までやり遂 6 げるまで決してあきらめないこと。 内面を見つめて、自分 が本当に感じていることを見つけ、それに従って生きるこ とを誰にも止めさせてはいけない。」とは私たちに伝えては いません。個人主義を象徴する文化の中で、私たちは毎 日、そのようなメッセージを大量に受け取っているかもし れません。 しかし、神様は「互いに従い合いなさい」(21 節)という、ますます反文化的と思われるメッセージを伝 えています。 この New International Reader's Version 以外に も、他の英訳では“submit yourselves”・“subject yourselves”・ “be subject”・“be courteously reverent”というように、互いに 従うという表現になっています。(訳註 1)

 読み進めると、女性に対するより明白な教えがあり、 それから男性に対するものがあります。 しかし、それらは すべて、互いに仕え合うという傘の下にあるのです。 著者 はこの箇所の最後(33 節)で要点を繰り返していますが、 要約すると次のようになります「夫は妻を自分と同様に愛 しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」「仕えるこ と」の種類はさまざまですが、すべてのクリスチャンは、 神様に仕えることの一部として、喜んで人に服従するよう 求められています。私たちが心からそう思い、日々お互い のために尽くすことを優先していれば、権力闘争や誰にど んな権利があるのかという疑問は、一緒に解決することが ずっとずっと難しくなくなる。  私たちにとって「互いに従い合いなさい」ということ が何を意味するのかをもう少し明確にするには、本文で使 用されている動詞を見てみましょう。 これはギリシャ語の 軍事用語で、「指導者の指揮のもとに軍事的に[部隊を]編成 すること」を意味します。 興味深いことに、神様は人の家 族の中にこのような明確なリーダーシップ構造が必要であ ると考えておられるのです。 明日戦闘に向かう兵士たちが いて、今日、明日の決定を誰が下すかなどについて意見が 一致しないと想像してください。 彼らが戦いでどれだけ成 功するかは容易に想像できます。 「攻撃すべきか、地盤を 維持しようとするべきか、撤退すべきかについて投票をし ましょう。」 それはナンセンスですよね。

 同じように、戦闘のような生死をかけた戦いでなくと も、家族生活は時に非常に困難になることがあります。 ど うやら秩序と安定のために、神様は家庭に指導体制を敷い ておられるようです。 軍事的な意味で使われなくても、 「互いに従い合いなさい」、「仕える」などと訳される言葉 は、「妥協する、協力する、責任を負う、重荷を負う」など の自発的な態度を示しています。 もし誰かが強制されたか らそうなるのであれば、それは聖書が教える、仕える、服 従するということではありません。 自由に、喜んで行われ なければならないのです。 そうでなければ、それは抑圧者 と被抑圧者の関係になってしまい、神様が望まれるよう な、愛によって力を与えられ導かれる関係ではありませ ん。 仕えることは選択ですが、神様が私たちにそうするよ うに教えているものです。

 聖書の教えは、非常に現実的な状況に適用できるよう に意図されています。 ある人は、「結婚してからの長い人 生で、権力闘争をしたのは、結婚前の 2 年間と結婚後の 20 年間の 2 回だけです」と言いました。

 神様はご自分の民にどのようなリーダーシップの構造 を教えているのでしょうか。最初の夫婦を振り返ってみる と、ある程度の見当がつきます。アダムとエバが共に神に 背くことを選んだとき、神はまず男のところに来て責任を 追及されます(創世記 3 章 9-19 節)。「あなたは、食べては ならない、と命じておいた木から食べたのか。」アダムは責 任をとらずイブを責めようとし、そもそも女性をそこに置 いたのは神が悪いのではないかとさえ示唆します。それは 素晴らしい「サーバントリーダーシップ」(訳註 2)とは言 えませんね。

 この女性は、責任を取るつもりのない単なる無実の傍 観者ではありません。神は次に彼女に移ります。彼女に対 する彼の厳しい愛には、次のような言葉が含まれています (16 節 b)。「彼は、あなたを支配することになる。」アダム に対してはこう仰います。

 「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと わたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで 食を得なければならない。」

 このエピソードや同様の聖書の物語から、神の民は、 神様が男性に、特に霊的指導者として家族を導く責任を与 えており、男性も女性も彼(神様)の権威の下にあること を理解するようになりました。例えば、コリント人への手 紙第一 11 章 3 節には、「しかし、あなたがたに次のことを 知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリス トであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神 です。」ペテロの手紙第一 3 章 1 節には、同じく、「妻たち よ。自分の夫に服従しなさい。」と書かれています。

 聖書の神様は、男性と女性がどちらか一方よりも重要 であるとは教えていないことに注意してください。すべて の人間は、神様の似姿を持つ者として、神様の目には等し い価値があります。実際、キリスト教のその教えは、イエ スが生きてから 2000 年間にわたって、人々の結婚に対する 理解と扱い方を根本的に変えてきました。それは、とりわ 11 け、女性にはるかに大きな自由と彼女たちの能力の評価を もたらしました。それでも、神様は家族関係において異な る役割を与えることを選ばれているようです。

 続いてペテロの手紙第一 3 章(1b-2 節)では、新しい キリスト教会にいる、非キリスト教徒と結婚してからキリ スト教信者になった女性たちに向けられた実際的な言葉が 見つかります。ペテロは夫について次のように書いています。

 たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言 のふるまいによって、神のものとされるようになるためで す。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方 を彼らが見るからです。

 たとえパートナーの一人が信者でない場合でも、クリ スチャンは、指示したり管理したりすることだけにこだわ るのではなく、支え・従うことを選択することに価値と力 があることを教えられます。私は、ここ北海道の家庭聖書 12 勉強会で、信仰においてキリストに従うことを最近真剣に 考えるようになった日本人男性と話したことを覚えていま す。私たちは、イエスを知ることがあなたの人生にどのよ うな変化をもたらすかについて話し合いました。彼は「私 の変化に一番気づいているのは妻です。彼女は驚いて、ど う考えてよいのかわかりません。でも、私は以前よりもず っと彼女に優しくなりました。彼女はその変化を気に入っ てくれているようです。」と言いました。

 なぜ私たちは、互いに従うことを選択しなければなら ないのでしょうか?それは、家族が安定した指導体制を必 要とするからというだけではありません。21 節によれば、 それは「キリストを恐れ尊んで」いるからです。他の英訳 では、次のようなことが書かれています。「あなたへの尊敬 の念から」・「恐れながら」・「尊敬の念から」。「誰に」ある いは「誰に対してか?」。ある訳では「キリスト」と訳され るものもあれば「神様」と訳されらり、またある訳では 「メシア」と訳される場合もあります。

 言い換えれば、エペソ人への手紙 5 章 10 節の命令に照 らして結婚相手を見てください。「主に喜ばれることが何で あるかを見分けなさい。」これを悟ることを自分の目的にし て実行すると、男性であろうと女性であろうと、結婚相手 を正しく扱うことになります。私がパートナーの言葉に注 意深く耳を傾け、相手が何を好むのか、何を望んでいるの か、何が重要だと考えているのかを知ることは、主は喜ば れるでしょうか?私が毎日少なくとも一度は食事の時間は 配偶者と一緒にいるようにスケジュールを立てることを主 は喜ばれるでしょうか?私が先週の口論を忘れて、そのこ とで友達に不平を言い回ったり、パートナーの悪口を言っ たりしなければ、神様は喜ばれるでしょうか?あなたはこ れらの質問に対する答えを知っていますよね。

 もし神様が私を家族を導く立場に置かれたのなら、私 がパートナーの持つ長所を積極的に探し出し、それを用い てグループ全体の成功に役立てるよう励ますことを神様は 喜ばれるでしょうか?それが家族のためになるとわかって いるとき、私が彼女に従い、それらの分野で主導権を彼女が取ることを積極的に支援することを私に選んでほしいと 神様は望んでおられるでしょうか?一方で、家族のリーダ ーである私が、たとえそれが神様から与えられた妻と他の 人々の才能を無駄にし、彼らとの関係を傷つけたとして も、頑なに自分のやり方にこだわるとしたら、神様はどう 感じられるでしょうか?一番で、常に正しい(あるいはそ うであるべき)と思っていたら、そうではないことが明ら かになったとき、どうなるでしょうか?私はすぐに不安や 脅威を感じ始め、自分の力を利用して他人を細かく管理 し、彼らをその場所に留めようとするかもしれません。も しそうなったら、私はそれについて神様に答えなければな らない、と彼は言います。私たちが教えられていることが わかりますよね?

 キリストがその人の上におられ、その人がイエスの権 威の下にあることを理解するなら、他の人に服従すること は理にかなっています。その人は、自分の制御下で起こっ たことについて主に答えなければなりません。実際、神様 が積極的または受動的にそれを実現するか、あるいは実現させることを選択しない限り、そもそも誰もリーダーの立 場に立つことさえできません。ですから神様は、直接的で あろうと舞台裏であろうと、リーダーと彼らが率いる人々 との間のあらゆる関係に関わっておられます。神様は、そ れが最善であると判断したときはいつでも、リーダーを無 効にしたり、その人をリーダーシップから外すことができ ます。

 だから、自分のリーダーがあまり好きではない人だっ たとしても、自分の好みや個人的な意見だけが重要なわけ ではありません。神様は、ご自分の働きを行うために選ん だどの人々を通じても働くことができます。そして、神様 は欠陥のある人、壊れた人だけを使います。それは、神様 が持っているのは彼らだけだからです。「義人はいない。ひ とりもいない。」と神様はローマ人への手紙 3 章 10 節で述 べています。結婚生活であろうと他の関係であろうと、誰 がリードし、誰に従うべきかという問題になると、クリス チャンは、自分たちが関わっている人々だけでなく、キリ ストのことも常に視野に入れておく必要があります。彼もそのような状況で仕事をしています。私たちの第一の、そ して最も重要な忠誠はこの方にあります。そして、いわ ば、彼が権力のレバーを握っておられるのであれば、私た ちは自分たちに対して権威のある人々に過度に心配する必 要はありません。主であるイエスを視野に入れておけば、 私たちの番が来たときに彼らに従い、謙虚に導くことがず っと自然になります。

 私たちの目がキリストに向けられているとき、私たち は結婚を含めた人間関係において何よりも必要な愛の源に 焦点を合わせています。そこで、今日のメッセージの原点 に立ち返ります。神様はエペソ人への手紙 4 章 32 節(5 章 21 節と同様)で私たちにこう言われました。「お互いに親切 にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなた がたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」 そして、少し後の 5 章 2 節で、著者はこう続けています。 「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを 愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また 供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」あなたが結婚関係や家族のリーダーであるなら、それがあな たが生きるために召されている基準です。もし、あなたの 特別な召命が従うことであるならば、あなたには、キリス トのリーダーシップの下で、グループ全体ができる限りの 力を発揮するのを助けるという、同じくらい重要な役割が あるのです。

 マーティン・ルーサー・キング牧師は、「鼓手長本 能」("The Drum Major Instinct")というタイトルで有名な 説教をしました。 キング牧師は、人間には、目立ちたい、 人の上に立ちたいという気持ちがよくあるものだと言いま した。 マーチングバンドの鼓手長(ドラムメジャー)のよ うに、他の人よりも先に出て行って指揮をとり、注目を浴 びたいという気持ちがあります。 しかし、キリストが教え るサーバント・リーダーシップは、それとは異なるタイプ です。 キングは言います:

 「もしあなたが重要な人物になりたいのなら、素晴ら しいことだ。もしあなたが認められたいのなら、素晴らし い。もしあなたが偉大になりたいのなら、それは素晴らし いことです。しかし、あなた方の中で最も偉い者は、あな た方の僕となることを気付きなさい。これは、偉大さの新 しい定義です。偉大さのその定義を与えることで、誰もが 偉大になれるということです。なぜなら、誰もが仕えるこ とができるからです。大卒でなくても奉仕できるのです。 奉仕するために、主語と動詞を一致させる必要はないので す。プラトンやアリストテレスについて知っている必要は ありません。 . . . 必要なのは、恵の愛に満ちた心、愛によ って生み出された魂だけです。そして、あなたはその僕に なることができるのです。」

 わたしたち全員が、お互いとイエス・キリストに対す る聖約の約束に従った毎日を生きることを学びながら、お 互いに仕える方法をもっとたくさん見つけ、創造できるよ うに祈りましょう。

 天のお父様、あなたの御子イエス・キリストは、あな たの御心に自由に従い、あなたと彼の周りの人々に仕える ことが何を意味するのかを私たちに示してくださいまし た。私たちは、イエスが十字架上で命を捧げられたことを 通して、このことを最も鮮明に覚えています。しかし、イ エスの全生涯を通じて、周囲の人々に自分の時間とエネル ギーを捧げる姿に、私たちは奉仕の説得力のある模範を見 ることができます。ありがとうございます。私たちも彼の ように、周りの人々、特に結婚相手、そしてあなたが私た ちを置いてくださったすべての人々の必要を満たすことに 深く専念できるように、十分な配慮ができるように助けて ください。あなたの愛が私たちの日々の導きであり、力で ありますように。キリストの御名によって祈ります。アー メン。

 

参照

King, M. L., Jr. (1968, February 4). Travis Hellstrom. Everybody Can Be Great, Because Everybody Can Serve. Retrieved June 12, 2023 from https://travishellstrom.com/articles/be-great 20 Rosales, D. (2018, Nov. 15). Christian Husbands. Calvary Chapel Chino Valley. Retrieved June 11, 2023, from https://www.youtube.com/watch?v=JTIt82A1VaE

(訳註 1) - “Follow the lead of one another”(互いに従い合いなさい) o お互いが先導と従う事を交互に行い、一緒に判断し行 動するギブアンドテイクの関係を示唆する表現です。 - "submit oneself"(自分を犠牲にする) o 一方(夫)の権限が強く、他方(妻)はそれに従うと いう上下関係です。これは伝統的な家父長的な結婚観 と言えるでしょう。 - “Subject yourselves”(自分自身を従わせる) o この表現は “submit yourselves”と似たような意味です が、義務や責務ではなく、より自発的な、あるいは進 んで従うことを意味する場合があります。 - “Be subject”(従う) o この表現は “submit yourselves” や “subject yourselves” と似ていますが、より簡潔で直接的な表現です。誰か の権威や支配下に置かれることを強調する表現です。 21 - “Be courteously reverent”(礼儀正しく敬意を払う) o この表現は、厳密な力関係ではなく、お互いを尊重 し、配慮する態度を示唆しています。両者が互いに尊 敬と敬意を払い、対等な立場で協力し合うことを暗示 しています。

(訳註 2) サーバントリーダーシップとは「リーダーの目標は奉 仕することである」というリーダーシップ哲学です。リー ダーの主な焦点が会社や組織の繁栄にある従来のリーダー シップとは異なり、サーバントリーダーは、力を分け合 い、従業員のニーズを第一に考え、従業員の能力開発とパ フォーマンスを最大限に高める効果があります。リーダー に仕えるために働く人々の代わりに、リーダーは人々に仕 えるために存在しています。その提言者であるロバート・ K・グリーンリーフが述べたように、サーバントリーダーは 「仕えられた人々の人間的成長、健康、自由、自主性」に 焦点を当てます。

 リーダーが考え方を変えて最初に奉仕すると、従業員 が個人的な成長を遂げるという点で従業員だけでなく、従 業員のコミットメントと関与が高まることで組織も成長す るというメリットがあります。