”神の愛”と”奇妙な数字”

2023年3月19日英語礼拝

メッセンジャー:ジム・アリソン牧師

申命記6章1~9節

"神の愛 "と "奇妙な数学"

 

              この数ヶ月、英語礼拝では、家族に関する神の教えに焦点をあててきました。  私たちの家族、特に親子関係に対する主の計画と希望について、イエス様ご自身の人間的な家族が示しているものをいくつか見てきました。  先月は、私たちが個人として、また家族として成長し、繁栄するために、テクノロジーをどのように使うことができるかに焦点を当てました。  また、佐々木牧師からは、お互いを尊重し、仕え合うなど、神の愛に満ちた結婚関係を築くために、神がどのような力を与えてくださるかというメッセージをいただきました。

 

              今日は、聖書の神が教えている健全な人間関係の基礎について振り返ってみたいと思います。  今日の聖書箇所にある原則は、すべての人間関係に当てはまりますが、特に家庭には当てはまります。  一節一節を大切にしながら、もう少し詳しく見ていきましょう。

 

              モーセはイスラエルの民に語りかけ、神から受けた「命令、おきて、定め」を与えています(1節)。  この時点で、「イスラエルの子ら」はエジプトでの奴隷状態から解放され、先祖の地、今日のイスラエルに神が用意された新しい家に入る準備をしているところである。  モーセは、彼らに神の定めについて指導します。  彼はこう言います(1b-2節):

 

あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地で、行うためである。それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの。神、主を恐れて、私の命じるすべての主のおきてと命令を守るため、また、あなたが長く生きることのできるためである。

     

     聖書ではよくあることですが、神の命令には約束が付随しています。 あなたがそうするならば、命、健康、強さにつながります。 これらの教えは、あなたのためです。 神が十分な数の友人を持っておらず、あなたが神に従うことを切望しているということでも、(神は友達が多くないので、是が非でもあなたに従って欲しいと思っておられるということでも、)

 

              神はささいで心が狭いためにあなたがそうしなければ、神はあなたを打ちのめすということでもありません。 そうではなく、神の被造物、神の子供としての私たちへの愛のこもった気遣いから教えてくださっているのです。

 

              神はここで、あなたが信仰を持って神に従うならば、あなたのような大きな問題は起きない、と言っているのではありません。

神はここで、世界にこれほど多くの苦しみや悪が存在する理由について、簡潔でわかりやすい説明をしているわけでもありません。 神との関係を持って生きることは、私たちを最高の、最も充実した、最も有意義な人生に結びつけるという真実を、神は単純に教えてくれます。

 

         4~5節はシェマ(Shema)と呼ばれています。  シェマとは聞くという意味で、最も良く知られている英語訳である欽定訳聖書(KJV 1611)では“Hear, O Israel:”で始まっています。ニューインターナショナルリーダーズ(NIrV)にはこうあります。“Israel, listen to me. The LORD is our God. The LORD is the one and only God. Love the LORD your God with all your heart and with all your soul. Love him with all your strength.”今日、多くのユダヤ人は、この祈りを1日2回祈ります。朝、夕方、夜寝る前の3回祈る人もいます。

「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

 

今日、多くのユダヤ人は、この祈りを1日2回祈ります。朝、夕方、夜寝る前の3回祈る人もいます。

 

     これらの言葉は律法書またはモーセ五書の最後の書である申命記にあります。これは聖書の最初の5冊で、モーセによって書かれたと言われています。何百ものおきての中で、その核となる10のおきてが「十戒」であることはご存知でしょう。それらは出エジプト記20章にあり、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。」が含まれています。最終書である申命記の終わり近くで、神は、その要約を更に要約して私たちに与えているようです。神の律法の深く豊かな意味をすべて、私たちが覚え、心に留め、行動に移すことができるシンプルな形にまとめています。例えば、モーセは、親がその教えを理解し、守り、子供に伝えることができることを期待しました。 主は、私たちが人生で最も覚えておかなければならないことは、すべてを煮詰めると、一つの関係、すなわち、私たちの創造主である全能の神とのつながりに帰結すると教えているのです。 そして、その重要な関係は、一つの愛によって形成され、力を与えられ、導かれるのです。 ある人はこれを「奇妙な数学」と呼びました。 ここで十戒は一つの戒めになります。つまり、10=1なのです。

 

    「…あなたの神、主を愛しなさい。」(5節).  モーセは、「…あなたの神である主に従いなさい…」を核となるおきてにしませんでした。モーセは、真の従順とは、人々が進んで自由に選択する行為であることをご存知です。 子供を愛する親は,子供に従うよう教える際にこの点を心に留めておくでしょう。

 

    「家族は人格の形成のためにある」ということを先月学んだことを思い出すかも知れません。 親は親自身で形成され続けることが必要であり、子供が形成され、最高の彼ら自身に成長する力を与えるために、私たちは子供を育てるという仕事を与えられています。これは当たり前のことですよね。しかし、私たちの生活の中で必ずしも一般的な習慣ではありません。 ですから、神は私たちに、この真理を私たちの魂に深く植え付けるために、私たちに語り続けています。

 

    心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして(新共同訳)、とモーセは言います。 これらは、一つずつ少しずつ分けていく価値があります。「心(heart)」と訳されている言葉は「levレヴ」です。 思考と感情の両方が含まれます。 西洋思想では、しばしばこの二つに分けて考えます。 「神を知的なレベルだけで知るだけでは十分ではない。心で神を知らなければならない」と人々が言うのを聞いた事があるかもしれません。人間の生活をそのように分割することは理にかなっていますが、聖書にはそのような思考と感情の分離は見当たりません。 それらは両方ともその人の「lev レヴ」、つまり心の中にあって、しばしば一緒に働きます。

     

    次は、あなたの「魂(Soul)」、つまり「nepheshネフェシュ」で神を愛することです。 その言葉はより感情に焦点を当てていますが、それは感情だけではなく、多くの場合、人格も含めた「人」を含む方法で翻訳されます。

 

    それから、「強さ」、つまり「me-odメオド」ですが、これは面白い使われ方をしています。  ここでは名詞として訳されていますが、レキシコンで調べると、通常は副詞であることが記載されています。  多くの場合、「とても(very)」や「非常に(exceedingly)」と出てきます。  モーセが 「神をあなたの非常さで愛しなさい」 と言っているように聞こえるかもしれませんが、それは奇妙です。文法のルールはここでは重要なポイントではありません。  たぶん、おわかりいただけると思います。  神は、私たちを熱く、強く、愛してくださっています。私たちも同じように神を愛することを神は望んでおられます。

   

    聖書の世界観の内側または外側にあって異なる文化を持つ人々が、人間を理解するために頭の中で使っている様々なカテゴリーを比較するのは面白いかもしれません。

ですが、これらの微妙な違いに注目するよりも、全体として捉えた方が、書き手の言いたいことをよりよく理解できるのではないでしょうか。大切なのは、人間としての側面を自分の中でどう割り切るかということではありません。それ以上に、神は私たちの100%の力で神を愛しなさいと言われているのです。メッセージ版聖書は、それがよく伝わっていると思います。と書かれているのです。「注目せよ、イスラエル! 神よ、私たちの神よ! 唯一無二の神! 神を、あなたの神を、心を尽くして愛してください。」  私たちの神は、私たちが全身全霊の信仰を持って生きることを望んでおられます。

     

    だから、モーセは6節でこう続けています。「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。」 それが、家族間の健全で強い関係を持つための第一歩なのです。  子育てに関して言えば、両親が父なる神と強く健全な関係を持つことそれが神の出発点です。自分が持っていないものを受け継がせることはできません。  しかし、神から与えられた信仰を自分のものとして喜んで受け入れるとき、私たちは子どもたちに伝えるべきものを持つことができるのです。  そうでなければ、教会や学校などに子どもを通わせ、そこにいる人たちから豊かな人格と信仰の訓練を受けることを期待しても、それは現実的なことではないかもしれません。  私たちは、子どもたちがオープンドアに来れば、きっと良い経験ができると信じていますし、そうであるように努力しなければなりません。  しかし、彼らにはもっと必要なことがあるはずです。 親も一緒に信仰を深めていく必要があります。  そうすれば、いろいろな可能性が開けてきます。  それが、家族に対する神の最大の夢のようです。

     

     新約聖書では、イエスが基本的に同じことを教えながら、いくつかの重要な方法でそれを追加しているのを聞くことができます。  最初の3人の福音書記者は、イエスが今日の申命記の朗読を引用していることを伝えています。  しかし、イエスが使用した表現は少し違います。  聴いたり読んだりしながら、それらを比較してみてください。

     

    (1) マタイによる福音書(22章37節)では、心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして神を愛することについて語られています。

    (2) マルコ(12:30)では、それはあなたの心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてです。

    (3) ルカ (10:27) では、それはあなたの心を尽くし、たましいを尽くし、力を尽くし、思いを尽くしてです。[MK1] 

    いずれも申命記6章5節を直接引用していないことにお気づきでしょうか。  また、イエスは三つのバージョンすべてで、「心」を付け加えています。  心を尽くして神を愛することは、最も完全な自分へと成長することの一部であると、イエスは言われます。  ここには、キリスト教教育の重要な基礎があることに、あなたもお気づきでしょう。

 

    この物語の二つのバージョンでは、イエスは旧約聖書の律法の中で一番重要な戒めは何でしょうかと言う質問に答えています。  もう一つのバージョンでは、人は永遠のいのちを受けるには、何をしたらよろしいでしょうかという質問に答えています。  しかし、三つのバージョンとも、イエスは申命記6章5節の命令に何か別のことを付け加えています。「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」(レビ記19章18節を引用)と付け加えています。  ここで、神の言葉からさらに「奇妙な数学」が出てきます。私たちは先ほど、10=1(十戒は煮詰めると愛一つに集約される)と学びました。言い換えれば、神を愛せよという命令は、私たちが真の最高の自分になり、神が私たちに与えた最高の夢の中で見た人生を生きるために、人々を愛するという私たちの大きな必要性から切り離せないのです。「今日、教会で何を学んだの?」そう聞かれたら、「10=1=2」と答えられます。(でも、説明をしないでこう言うのは止めてくださいね。その人はあなたがおかしくなったと思うかも知れません!)

 

    キリストは、愛を単に暖かい感情や神学的概念としてではなく、神が人を見るように人を見ることから来る行動として教えています。自分を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉は、健全な人間関係を築くための基礎となるものです。  イエスは、「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」

 

    (マタイの福音書7章12節)と教えているのも、明らかにこのことを念頭に置いてのことです。  そして、この愛の原則は、「これが律法であり預言者です。」と付け加えています。  愛の動機で行動するとき、あなたは神の律法を守っていることになる、と聖書は言っています。  ローマ人への手紙13章8節bには、「他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。」とあります。  そして、イエスが、愛が律法だけでなく預言者の全体的なポイントであると言っていることに注目してください。  つまり、聖書の教え全体を網羅しています。 キリストに従うことは、愛の力の中で生きることを学ぶことです。

 

    そしてもちろん、その大部分は家族という文脈の中で起こります。  そこでモーセは申命記6章6b~9節で次のように言っています。

 

    私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これ  をあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをし  るしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあな たの家の門柱と門に書きしるしなさい。

 

    人々が彼らの指にひもを結びつけて何か非常に重要な何かを思い出すのを助けるようにしているのを聞いた事があるかも知れません。彼らはそれを忘れないようにしたいと考えています。何世紀にもわたって、多くのユダヤ人がこの教えを文字通り適用してきました。  イエス・キリストもおそらくそうしたと思われます。 例えば、最近佐々木さんが指摘されたように、聖書の御言葉が入った小さな箱を頭に括り付けて祈る人もいますよね。  そこに書かれている重要な引用文のひとつが、今日の読書である申命記6章4~5節です。  道を歩いている人が、頭から箱を突き出しているのを見たら、不思議に思うかもしれませんね。 でも、この教えで理解できるようになったのではないでしょうか? 左腕にあのような箱を括り付けるのは、神の御言葉を心に刻むことを習慣にするために選択できる一つの訓練です。 ユダヤ人の中には、神の御言葉を記憶し、記念とする場所として、ドアにメズーザをつける人もいるでしょう。 それも一つの方法です。

 

https://www.bbc.co.uk/bitesize/guides/z4kg4qt/revision/3

 

              おそらくポイント(核心)は、他の人とまったく同じようにすることではありません。 重要なことを私たちに思い出させ、インターネットやスマートフォンなどが普及した世界で、私たちの気を散らすものから自分自身を守るのに役立つ他の方法があるかもしれません。 聖書の御言葉を体に彫っている人を見たことがあります。 あなたにはどんな方法があるでしょうか? 祈りながら創造力を働かせれば、面白い結果が得られるかもしれません。 もし、自分に合った方法を見つけたら、教えてくださいね。 私はそれを知りたいと思います。

 

              キリスト教、仏教、ヒンズー教、無神論者、不可知論者、どのような世界観を持っていても、何が真実で、何が善で、何が美しいのか、おそらく誰もが何らかのナンバーワンを持っています。  価値観や信念を選択することなく、人間としてこの世界で生きていくことはとてもとても難しいことです。  私たちは皆、それを持っています。  宗教的なものであろうとなかろうと、それらは私たちの人生を形成し導く宗教的な役割を担っています。聖書の神は、私たちの大切なもの、信頼に値するもののリストの一番上に神を置くように私たちに呼びかけています。 私たちは、神との愛の関係の中で生きるチャンスを与えられ、それを通して、毎日私たちの周りの人たちとも愛の関係で生きるチャンスも与えられています。 それが、今日、再び皆さんにお届けできる嬉しい知らせです。 それを聞いたからには、私たちの心と人生にそれを真に受け止めることができるように、主に助けを求めましょう。

 

              主よ、あなたは私たちに、耳を傾け、愛に優先権を与え、それを生きる方法を見つけるように言われました。 私たちが、あなたとの関係の中で、最初に、そして最も多くのことができるように助けてください。 その絆から、私たちの人としての家族、職場、友人の輪、教会など、私たちがつながっているあらゆる場所で、より親密な関係を築くことができるように助けてください。

これが私たちの祈りです。

イエスの御名によって。

アーメン。

 

参考文献

BBC.(2023). Ways of Jewish living. Judaism/Religious Studies.

              (ユダヤ人の生活の方法。 ユダヤ教/宗教研究)

              2023/03/12 https://www.bbc.co.uk/bitesize/guides/z4kg4qt/revision/3から取得

Heitzig, S. (2021/06/21). The Legacy of a Godly Dad. Calvary Church with Skip Heitzig.

              (信仰深いお父さんの遺産 キャルヴァリー・チャーチ スキップ・ハイツィヒ)

              2023/03/06 https://youtu.be/V4PBdPZzDn0から取得

Mohler, A. (2022/11/02). Deuteronomy 6. Southern Seminary.

              (アルバート・モーラー・ジュニア 申命記 6章。 南部バプテスト神学校)

              2023/03/12 https://youtu.be/LbaOVngky_kから取

 [MK1]リビングバイブルからの引用にしました。