光は実を結ぶ!

2022年11月27日主日礼拝「光は実を結ぶ!」エペソ5:8~17 佐々木俊一牧師

■10月のメッセージで、聖書研究のいくつかの方法についてお話ししました。覚えているでしょうか。一つ目は、原語の研究です。ヘブライ語やギリシャ語の意味を調べたり、元々の使われ方を調べたりします。原語の意味を調べることによって、キリストの救いについてより明確にとらえることが出来ることをお話ししました。二つ目は、聖書時代の習慣について調べることです。三つ目は、型と言われるもので、旧約聖書に出てくる人物や出来事の中にキリストのことが表されているというお話をしました。そして、今日は、四つ目として、聖書の中でよく使われる言葉を調べることです。それによって、救い主やその救いのことについて深掘りしていきたいと思います。

 今日は、エペソ5:8~17をお読みしました。そのところによく使われる言葉がいくつかあるかと思います。たとえば、光、闇、実、あるいは、実を結ぶ、などの言葉です。 まず、光と闇という言葉について見ていきましょう。これらの言葉は、聖書の中でたくさん用いられています。光と闇そのものを意味する場合もあれば、比喩的に用いられている場合もあります。創世記1章には、「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」とあります。ここに出てくる光と闇は、光と闇そのものを意味しています。それに対して、ヨハネの福音書1章には、「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」とあり、ここに出てくる光と闇は比喩的に何か他のものを表しています。このように、光と闇が比喩的に用いられている箇所が聖書には多く見つけることが出来ます。光は何を意味し、また、闇は何を意味しているのでしょうか。私たちの光や闇と言う言葉に対していだくイメージは、人によってそんなに違わないのではないでしょうか。光の方が闇よりも良いイメージがありませんか。人は誰でも闇よりも光の方が好きだと思います。天気が良くてお日様が見えるだけで温かくて幸せな気持ちになります。ずっと真っ暗闇なんて言うのは、耐えがたいことだと思います。聖書でも、光は良いことの象徴であり、闇は悪いことの象徴です。第一に光はイエス・キリスト、あるいは、神様を表します。ヨハネ8:12には、「わたしは世の光です。」とあります。そして、光に対して闇は、悪魔を表します。使徒26:18には、「暗闇から光に、サタン(悪魔)の支配から神に立ち返らせ・・・。」とあります。このところで暗闇は、悪魔、あるいは、悪魔の支配を表しています。

 それでは、エペソ5:8から見ていきたいと思います。

■8節 「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」

 「以前」とは、イエス・キリストを救い主として信じる前のことです。その時、私たちは、闇でした。つまり、悪魔の支配の中にあったのです。イエス・キリストを救い主として信じて初めて、人は悪魔の支配から解放されます。悪魔の支配から解放されると、人にとってどんな良いことがあるのでしょうか。それは救いを得ることです。以前の私たちは、罪のために神に敵対する立場にありました。その事実を知ろうが知るまいが、私たちは悪魔の側につく者であったのです。当然、私たちは悪魔に対するのと同様の裁きを死後、受ける運命にありました。しかし、自分が罪人であることを認めて、イエス・キリストの救いを信じて受け入れるならば、私たちは神様の側につく者とされるのです。神様の側につく者は罪赦されて、将来計画されている悪魔に対する裁きに巻き込まれることから救われるのです。イエス・キリストを救い主として信じる私たちは、今は、主にあって光となりました。つまり、私たちは今、神の支配の中にあるのです。今だけではありません。永遠のいのちを受けて、いつまでも神の御国に住む者とされているのです。

 罪の赦しと永遠のいのちを受けた私たちは、神の子どもとされました。「光の子どもとして歩みなさい。」と8節に書かれていますが、これは、つまり、「神の子どもとして歩みなさい。」と言うことです。私たちは現在、地上に住んでいますが、それはいつまでも続くことではありません。私たちはこの地上に永住権を与えられていないのです。それは当然です。この地上はいつの日か消えてなくなるからです。イエス様がそう言われました。しかし、私たちの永住権は、神の御国にあります。そこで私たちは、神の家族として、神の子どもとして、永遠に生きるのです。そんな私たちは、この地上においても、神の子どもとして、神の支配の中にあって歩むように導かれています。

■9節 「あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。」

 自分が罪人であることを認め、その罪を赦すためにイエス・キリストが十字架に死んでくださったことを受け入れる時、私たちは主にあって光とされます。この光となることは、神の支配に入ることを意味します。神の支配と言うと、何か不自由になるような気がします。確かに、私たちの思いの中で自己中心の古い自分が強く働くと、神の子どもとして歩むことが窮屈に感じてしまうかもしれません。しかし、その思いや不自由さも習慣的なものであって、あきらめずに神の子どもとしての歩みを続けて行くとき、その思いも不自由さも徐々に弱まって行くものです。ですから、私たちは神の支配の中にとどまり、善意と正義と真実をもって神の子どもとしての歩みを続けていきましょう。それによって、私たちは実を結ぶのです。ガラテヤ5:22~23にあるように、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といった御霊の実を結んで、神の子どもとしてさらに成長して行くのです。光は実を結ぶ、と聖書にあるように、神の支配にとどまり続けるならば、実を結ぶのです。

■10節~14節 「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。『眠っている人よ。起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。』」

 私たちはパーフェクトではありません。私たちはまったく失敗をしない者ではないのです。失敗もしますし、罪も犯してしまいます。しかし、たとえ失敗したとても、たとえ罪を犯してしまったとしても、それによって神様は私たちを捨てるようなことはけっしてありません。しかし、そのようなことに陥らないようにする対策はとっておく必要があります。私たちは常日頃から神様との関りを親密に保ち、何が主に喜ばれることで、何が主に喜ばれないことなのかを神様に聞く習慣を持ちましょう。そのために、私たちがすることは、聖書のことばを読んだり、また聞いたりすることであり、祈ることであり、主に賛美をささげ、ともに集まり仲間とともに礼拝の時を持つことであったりします。私たちの身の回りには暗闇のわざに加わらせようとする誘惑がたくさん存在しています。ですから、これらのことを習慣づけることは、私たちをそのような誘惑から守るために大切なことなのです。これらのことをとおして、悪いものを明らかにし、私たちの思いがそれらのものに支配されることのないように守ってくれるはずです。このようにして、私たち自身を光の中に置くことは、私たちを闇のわざに加わることのないようにするための対策なのです。神の支配の中に生きる私たちは、光に属するわざを行うことによってのみ実を結びます。暗闇に属するわざを行うことによっては実を結ぶことはありません。それゆえに、イエス・キリストを信じて神の支配の中を生きる者とされた私たちは、光に属するわざを行うことに徹したいと思います。そして、多くの実を結ぶ者とされていきましょう。

■15節~17節 「ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。」

 私たちが生かされている今の時代は、実に悪い時代だと感じます。国内においては、旧統一教会の問題があります。安倍晋三元首相の銃撃事件後、旧統一教会と政治家との関係が暴露されました。その後、芋づる式に次から次へと驚くべき問題が明らかになってきています。日本の政界に旧統一教会が浸透し、何らかの影響を与えてきたことがわかってきました。また、高額献金や家庭崩壊、養子縁組や霊感商法等の問題がクローズアップされています。そんな彼らが彼らの教えに都合の良いように聖書のことばを利用しているものですから、もっと多くの日本人が聖書のことばに不信感や反発心を持ちつつあることに少々不安を感じます。これは、確実に、福音宣教への大きな妨げとなり、聖書的価値観への反発を招くことになるでしょう。

 世界を見るならば、時代はさらに悪い方へと向かっていることがわかります。3年前に新型コロナのパンデミックが起こって以来、闇の中で進められてきたある国々の策略が明らかになってきました。それらの国々は自らの野望を実現するために、法を破り、約束を破って、現在も強引なやり方で突き進んでいます。中国のトップも、ロシアのトップも、北朝鮮のトップも、人間として普通ではない倫理観を持ち、独断的な正義感を持っているように思えます。

 キリスト教界においては世の中の流れに妥協し、この世の調子に合わせようとする傾向があるように思います。クリスチャンは世において平和をつくる者でありたいと思いますが、しかし、そのために世の中の流れに合わせて神様のみこころからずれていかないように気を付けなければなりません。私たちの知恵は聖書の価値観から来るものであることを忘れないようにしたいと思います。クリスチャンにとっては生きずらい時代だとしても、神様からの知恵をいただき機会を活かしてキリストを宣べ伝えていきましょう。私たち、キリストを信じる者は光であり、神の支配の中にある者です。私たちは必ず実を結びます。なぜならば、光は実を結ぶ!と聖書に書いてありますから。そのことを信じて、また明日から進んでいきましょう。それでは、お祈りします。