献金について考える

2022年11月13日主日礼拝「献金について考える」マルコ7:9~13 佐々木俊一牧師

■8月頃からずっと、旧統一教会による億単位の高額献金の話題が続いています。それと共に、不安をあおられ高額献金をした結果、あるいは、霊感商法で高額な物品を買わされた結果、経済が破綻し家庭が崩壊してしまった旧統一教会員二世たちの苦しみについても報告されています。

 これから政府は、悪質な高額献金の被害防止や被害者救済のための法整備に向けて動き出すようです。旧統一教会二世の人たちや元信者の人たちの受けた損害に対する救済がきちんとなされることを私たちは願います。

 旧統一教会の過去の正式名称は、世界基督教統一神霊協会と言います。一般的には、キリスト教系の新興宗教という認識です。現在、名称が世界平和統一家庭連合に変わっています。私が知る限り、キリスト教界においては、1980年代から問題の多い異端として知られていました。80年代に多くの若者たちが統一教会に入信しました。その後、音信不通となった子どもたちを統一教会から脱会させるために、親がキリスト教会の牧師に助けを求めて来たのです。多くの牧師が脱会のために協力しました。しかし、マインドコントロールが非常に強いので、脱会に至ったケースはあるのですが、多くの場合、脱会は非常に難しいことであると聞いたことがあります。

霊感商法の問題はすでにその頃からありました。私も20代の頃、何とかの寄付のためにハンカチを買ってください、と言うことで二人の若者がアパートを訪れたことがありました。人助けは良いことだと思って、私は千円寄付した記憶があります。代わりに薄い生地でできた安っぽいハンカチを1枚もらいました。そのことを他のクリスチャンに話したところ、それは統一教会だと言われました。以前から統一教会は、身分を隠していろいろなやり方で信者に資金集めをさせていたのです。

 このような事で、献金やキリスト教に対する悪いイメージが日本社会の中にさらにできてしまうように思います。それはまた、福音宣教への大きな妨げとなることは言うまでもありません。しかしながら、聖書はこのように言っています。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」と。どのような状況の中にあっても、、神様の力と助けがあるのだと信じます。

 と言うことで、今日は献金について聖書はなんと言っているのかを学びつつ、ともに考えてみたいと思います。

■9節 またイエスは言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために、見事に神の戒めをないがしろにしています。」 

 今日の箇所は、イエス様がパリサイ人や律法学者に向かって言っていることです。ユダヤ人には律法がありました。モーセ五書と言われるものが彼らの律法です。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記がそうです。それに加えて、伝承ではありますが、モーセが口で伝えたと言われている律法もありました。タルムードと言われるものです。自分たちの言い伝えとは、この口伝律法であるタルムードのことです。彼らはモーセ五書に書かれてあることよりも、口伝律法にあることを優先したのです。その事をイエス様は、「あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために、見事に神の戒めをないがしろにしています。」と言って咎めているのです。

■10節~12節 「モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない』と言いました。それなのに、あなたがたは、『もし人が、父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、コルバン(すなわち、ささげ物)です、と言うなら・・・』と言って、その人が、父または母のために、何もしないようにさせています。

 ユダヤ人たちは口伝律法を優先し、律法をないがしろにしているのだ、とイエス様は言っています。ただ、ないがしろにしているだけではありません。口伝律法を利用して彼らの利益になるように上手に人々を誘導していたのです。それについてイエス様は、見事に神の戒めをないがしろにしています、と表現しています。

 律法の中でもその中心にある十戒に、「あなたの父と母を敬え」とあります。彼らはそのように教えています。しかし、捧げものに関してはそれとは正反対のことを人々に行わせていました。父や母のために使う分まで、彼らは巧妙に誘導してささげ物にしていたのです。旧統一教会がやっていることと似ていませんか。家族のために使う分まで、彼らは巧妙に誘導して億単位の献金をさせていました。そのために、家族は苦しみ、崩壊へと追い込まれてしまいました。神様の命令を自分に都合の良いように解釈し、本来の神様の命令とは真逆のことをあたかも神様の御心であるかのように行わせているのです。彼らの新しい名称は、世界平和統一家庭連合です。平和な世界や平和な家庭を目指す団体のような印象を与える名前です。しかし、まったくの偽りであり、名前の実質を表していないどころか、完全に正反対です。旧統一教会の人間関係は対等ではありません。ピラミッド型組織であり、トップダウン型組織です。

■13節 「このようにしてあなたがたは、自分たちに伝えられた言い伝えによって、神のことばを無にしています。そして、これと同じようなことを、たくさん行っているのです。」

 聖書を用いて教えてはいるけれども、神の御心から遠く離れたことを行っています。彼らは自分の目的を果たすために、彼らに都合の良い解釈によって神のことばを利用しているにすぎません。そのようなことをたくさん行っているのです。もう一か所聖書を見たいと思います。マタイ23:23をお開きください。

■マタイ23:23 「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」

 この箇所でイエス様はささげ物について語っています。新約時代のささげ物は、作物や家畜などの産物の場合とお金の場合があったようです。イエス様によると、パリサイ人たちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めていたようです。ミント、イノンド、クミンはハーブの仲間です。麦などは主食になる作物ですが、ミント、イノンド、クミンはそうではありません。麦に比較するなら、なくてもよい作物です。パリサイ人たちはどうでもいいようなミント、イノンド、クミンだけをささげていたのでしょうか。そうではありません。彼らはほかのもっと価値のある作物や家畜やお金もささげていたのです。それでは、なぜ、どうでもいいようなミント、イノンド、クミンまでささげていたのでしょうか。それは、自分たちは十分の一をパーフェクトにささげているのだということをアピールしたかったのでしょう。

 十分の一のささげ物によって神殿で奉仕する祭司やレビ人の生活が支えられていました。また、貧しい人々のためにも用いられていました。申命記14:22以降を読むと、そのことが神様の命令であることがわかります。

 本来、献金やささげ物はイエス様が言われるように、神様の正義とあわれみと誠実が豊かに表されるべきものなのです。私たちにとっての献金は、神様の正義とあわれみと誠実を表す機会なのです。ですから、数や量が重要なのではなくて、私たちの献金が正義とあわれみと誠実を表しているかどうかが重要なのです。時には、家族に必要があって十分の一をささげることができないこともあるでしょう。あるいは献金をささげることができないこともあるでしょう。子供が多い家は大変です。それだけ、食費や学費が必要ですから本当に大変です。その他にも医療費もかかれば、また、最近は物価高騰などで以前よりも食費や燃料代にお金が必要です。神様はそれらのことを十分に理解される方です。なにしろ、神様が正義とあわれみと誠実が重要であると言っているのですから。献金のために家族が犠牲になるようなことがあってはなりません。しかし、また、イエス様は十分の一献金もおろそかにしてはいけないと言っていることも事実です。それは何を意味しているでしょうか。それは、偏りなく教会の経済のことも覚えて祈ったり、ささげたりという態度が大切なのだ、ということだと思います。

 レプタ銅貨2枚を献金箱に投げ入れた貧しいやもめの話はとても有名です。レプタ銅貨2枚と言えば本当に金額としてはわずかなものです。でも、それを見ていたイエス様は、この貧しいやもめは誰よりも多くの献金をささげたのだ、と言われました。なぜならば、乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたからです。この貧しいやもめはきっとすべてをささげることをとおして、神様を尊ぶその思いをどうしても伝えたかったのでしょう。これは、彼女なりの神の正義と誠実の表現だったのだと思います。現実的には、このようなことは継続して行えることではありません。そのようなことをやり続けるならば、結局のところ、誰かのお世話にならなければなりません。イエス様はこの貧しいやもめと同じように、他の者たちも持てるすべてを神にささげなさい、と言いたかったのでしょうか。そうではありません。重要なことはどれだけささげるかではなくて、正義とあわれみと誠実をもってしているかどうかと言うことです。私たちはできるかぎりイエス様が言われるように、正義とあわれみと誠実を大切にしていきたいと思います。そのような私たちの信仰の態度をとおして家庭においても教会においても神様の祝福を見て行くのだと信じます。

■現在、世界は多くの問題を抱えています。日本もその他の国々も確実に自然災害の数も規模も大きくなっています。最近はそのようなことに慣れてしまって、あまり驚かないようになってしまっているように思います。献金や寄付の要請も増えています。毎週のように、献金や寄付を募る郵便物が来ます。ネットを見れば、献金や寄付の要請のコマーシャルを見ない日はありません。あまりにも多すぎてすべてに対応するなんてことは現実的に無理です。すべてに献金したい気持ちはあるけれども、限界があるので神様の導きを求めつつ選択するしかありません。このように、個人として、また教会として、私たちは献金や寄付の機会が増えているのです。

 11月には、オープン・ドア・チャペルから、4月に続いてウクライナへの支援金を送金する予定です。みなさんのご協力を感謝します。12月末まで日本バプテスト連盟がウクライナへの支援金を募っています。今回も、日本バプテスト連盟をとおして送金したいと思っています。献金を通して、神様の正義とあわれみと誠実を表していきましょう。それではお祈りします。