新しい創造こそ

2022年10月2日主日礼拝

メッセンジャー:佐々木俊子姉

 

テーマ「新しい創造こそ」/中心聖書箇所:「自分の肉のために蒔く者は肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(ガラテヤ人への手紙6:8)「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(同6:14-15)

 

■エリザベス女王

 この間、エリザベス女王が在位70年で天に召されました。70年ってすごい期間だと思われませんか?人生のほば全てです。エリザベスは人生のほぼ全てを英国のため、またイギリス連邦のために捧げた方だということですよね。

また国葬の素晴らしさに感動しました。ウエストミンスター寺院での英国国教会の葬儀でした。英国国教会というのは、聖公会なんですね。そして女王は英国国教会の最高位、トップでもありました。王は常に国教会のトップという役割を果たすようです。

 葬儀の中では聖書が読まれ、福音がしっかりと語られていたのには本当にすごいと思わされました。しかもこの国葬は全世界に向けて放映されていたでしょうから、素晴らしい主の証だと思わない訳にはいきませんでした。あらゆる宗教の人たち、無神論者の人たちが観ていたと思います。メッセージがあり、祈りがあり、賛美が捧げられていました!そして聞いていて思ったのは、英国国教会はすごく聖書に忠実な教団なのだということでした。きちんと三位一体の神が語られていて、そこには主の希望や清々しさを感じました。

 26歳という若さでイギリス連邦の女王として即位したエリザベスは最初から王にふさわしい力強さや責任感があったとは言われていますが、国民を満足させ、ここまで慕われることは最初からは難しかったのではないかと思います。私の俄か知識でお話しするのは気が引けるのですが、(長年の王室ファンである江利子さんに話していただく方がよいのかも。私以上に良く知っておられる方が何人もおられそうですが。)テレビとスマホからの知識です。在位されて間もなく、エリザベスと夫のエジンバラ公爵はイギリス連邦の旅に出られました。イギリス連邦の国々はもともとイギリスの領土であった国々で、カナダ、オーストラリア、インドをはじめ、マレーシアやニューギニア、アフリカ諸国など56か国と実に多くの国から成る連合体をいいます。全部ではないにしろ、一つ一つの国の歓迎に応え、いつも笑顔で旅を続けることはかなりのエネルギーと精神力が要ったものと思われます。国にはたった3歳のチャールズを残してきていました。母親としてもなんと辛い期間だったかと思います。

でもこの長旅から帰って、駅でチャールズに久しぶりに会ったエリザベスはチャールズの頭に軽くキスしただけで、抱きしめることも抱き上げることもしませんでした。なぜだったのでしょうか。王としての重圧に打ちひしがれていたのではないかと私は想像しました。

 エリザベスは最初から素晴らしい王ではなかったようです。それは当然といえば当然でしょう。でも、変えられて行ったのですね。王としての務めを果たしながら、変えられ変えられして国民に愛される王になって行ったのだと思わせられます。エリザベスが召されたときに、その棺の前でひとこと女王にお別れや感謝が言いたいと多くの人々が行列を作っていました。その行列は数キロにも及び、待ち時間はなんと24時間と報道されていました。並んでいる人にインタビューをすると、ある人はこう答えました。「私たちの国に生涯を捧げてくれた女王に感謝をしたい。女王のためなら寒さも飢えもいといません。」

 イギリス政府とイギリス連邦の国々の関係が良くないときにもエリザベスはイギリス連邦の首脳たちと、つねに良い関係を築いてきたと言われています。エリザベスは王として国と国との間のクッション役を見事に果たしてきたのでしょう。イギリス国民との関係についても開かれた王室を目指しました。

家庭的にもいろいろあったようです。女王のお子さんは4人ですが、少なくともその中の3人にはいろいろな問題があり、女王の悩みを増し加えたのではないでしょうか?ダイアナの死去もその最たるもので、女王はこのダイアナのことにおいても非常に苦しまれたようです。国民からの批判も多く受けた時期です。ご自分の思いを変えて行かなくてはならない辛い状況になったものと思われます。ヘンリーとメーガンの王室離脱も大きな悲しみだったと伝えられています。

 旧約時代に聖霊が与えられていたのは、預言者と王様だけでした。一般庶民には聖霊は与えられなかったのです。今がどんなに恵まれた時代なのか分かりますね。ですからたとえ現代と言えどもエリザベスには神様の目が相当に注がれていたのではないかと考えられます。女王はイギリス国教会の最高位であり、イギリス軍の最高司令官でもありました。

 

■みことばから

 8節「自分の肉のために蒔く者は肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」ここで「肉」というのは「古い性質」を表しているのだろうと思います。古い自分が歩んでいたような全く変わらない歩みであるなら、そこから滅びを刈り取り、新しい、主の御霊に導かれる歩みをするならそこから永遠のいのちを刈り取ると読み取ることができると思います。

 14節「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」8節の「肉のために蒔く」というのと14節の「世界」というのが対応しているように感じられます。肉の歩み、古い自分の歩みはこの一般的世界の歩みです。イエス・キリストの十字架にしっかりと立つことによって、いつもイエスを選ぶことを通して、私たちは肉の歩み、古い自分の歩み、この世界の歩みから解放されていきます。

 15節「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」

割礼は神さまとアブラハムとの間に結んだ契約の印です。この契約のゆえにアブラハムとその子孫は神様からの大きな祝福を受けました。イエス様ご自身もアブラハムの子孫であり、割礼をお受けになりました。でも、イエス様が十字架に付けられ私たちの罪をあがなってくださった。そのことを信じる者は神の子とされ永遠の命を受けるというその契約、その新しい完全は約束がなされたので、これまでの全ての契約は新しい契約に上書きされてしまったのです。ですから今までの形はもう必要ではなくなったのです。新しい契約が結ばれたので、古い契約は過ぎ去りました。一部のユダヤ人たちはその慣習を守り続けていましたが、もはやそれは形だけのものとなってしまいました。それゆえに15節では「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。」と書かれています。

 では大事なのは何でしょう。「大事なのは新しい創造です。」割礼という形ではなく、真に造りかえられていく、新しい創造が大切だと言っているのです。主イエスに救われることは素晴らしいことですが、そこから変えられて行くこともまた大切なことです。確かに死の間際に救われるという方もありますね。その方も神の子とされ永遠の命を受けますが、救われた後に変えられ、解放されていくことも大きな喜びであり、クリスチャンの醍醐味ではないでしょうか。年を取ってくると特に第2コリント4:16「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、うちなる人は日々新たにされています。」が頼りです。私も過去のいろいろなことがらから解放されました。自由にされました。そして究極においては自分自身からも解放されたいと願います。古い自分、古い考え、古い思いなどなどがいっぱいです。特に自分の癖。私は強情です。我が強く、こだわりがあります。なかなか捨てられないものがあります。つい出てしまう性質があります。古いものを脱ぎ捨て、新しいものを着させていただきたいと願います。

 エリザベス女王も新しい者に造り変えられて行かれました。それは女王の努力だけではなく、また神様の側からだけのアプローチではなかったはずです。以前牧師も言っておられましたが、私たちが作り変えられるのは両方の共同作業なのです。縦糸と横糸が織られて素晴らしい一枚の布が織られるように、主と私たちの両方が心を合わせて取り組む作業です。もしも私自身が造りかえられることを願わなければ、私は一生造り変えられないでしょう。新しい創造はストップしてしまいます。

 

■(まとめにかえて)

 この頃聖書を読んでいると、特に新約聖書の書簡を読んでいると、神さまによく指摘されます。「あなたのその考え、違うわ!」「私の考えはこうだよ。」「自分を何か立派な人のように思っている?」「人に誇れることなんてないでしょう!」「こんな考えはもう捨てなさい!」「いつまでこだわっているんだい!」すごく厳しいことを言われているように感じます。でも、「本当にそうだな~。」「主は正しいわ。」と思います。私は自分では間違っていないと思っていたり、いや、こういう風にしか思えないからしょうがないでしょと自分の感情に流されたりします。確かにこんな自分ですから、新しい創造が必要です。新しい創造こそ大切です!主によって造りかえられ造りかえられ、また解放され解放され、新しい自分にされていく、古い自分からイエス・キリストに似た者、神の栄光を表す者に変えられたいです。変えられていくことを望みます。みなさんは変えられることを望みますか?