あなたも私もよみがえります!

2022年8月14日召天者記念礼拝「あなたも私もよみがえります!」ヨハネ11:23~27佐々木俊一牧師

■日本では、今はお盆の時期です。お盆になると亡くなった先祖の霊がこの地上に戻って来るのだそうです。先祖の霊を迎え、先祖の霊を慰め、供養し、そして、送り出すのだそうです。お盆の時期になると会社は休みになり、多くの人が家族で実家に帰省します。毎年帰省ラッシュで飛行機や新幹線などの交通機関は混雑します。また、高速道路は何十キロも渋滞します。

 夜になると盆踊りがあります。私も子どもの頃はよく浴衣を着て盆踊りに行ったものです。6時から8時までが子どもが参加できる盆踊りタイムでした。8時まで参加すると、終わりに、おやつなどの景品がもらえました。それが楽しみで行っていたような気がします。盆踊りのクライマックスはいつも「マイムマイム」を踊っていた記憶があります。マイムマイムはもともとイスラエルの曲で、1940年頃に作られたそうです。それが太平洋戦争後、アメリカ軍のラリー・キースリーと言う人によってフォークダンスの曲として日本の学校に紹介されました。歌詞は、イザヤ12:3からとられています。「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。」カタカナで書かれた歌詞がありました。次のような歌詞です。

 

ウシャヴテム マイム ベッサソン ミマイエネ ハ イェシュア

ウシャヴテム マイム ベッサソン ミマイエネ ハ イェシュア

マイム マイム マイム マイム ヘイ マイム ベッサソン

マイム マイム マイム マイム ヘイ マイム ベッサソン

ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ!

マイム マイム マイム マイム マイム マイム ベッサッソン

 

 ウシャヴテムは、あなたがたは汲むという意味です。マイムは、水という意味です。ウシャヴテム マイムであなたがたは水を汲むになります。ベッサソンは、喜びながらと言うことです。ミマイエネ ハ イェシュアは、救いの泉からと言う意味です。イェシュアはイエス様の名まえと同じです。イエスの意味は救いです。救いの泉は、キリスト教的視点から言うと、イエス様のことを言っているのだと言う解釈が成り立つわけです。しかし、イエス様をメシヤとして認めないユダヤ人の人々はそのような解釈はしません。

 それでは、マイムマイムの曲を聴いてみましょう。イェシュアということばが聞こえてくると思います。

マイムマイムは、イエス様の救いを踊りながら喜び歌う歌のように、私には聞こえます。

 イエス様が井戸の水を汲みに来たサマリヤの女性に言ったことばを思い出してください。「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と言われました。イエス様は永遠のいのちへの水を与えることのできるお方です。永遠のいのちへの水と、死からよみがえることとは大きな関係があるのです。それでは、今日の聖書箇所であるヨハネ11章を見て行きたいと思います。

■ヨハネの福音書は21章まであります。1章から10章までは、イエス様の3年半の公生涯の始まりから最後の宮清めの祭りまでのことが書かれています。宮清めの祭りは、ちょうど12月のクリスマスの頃にある祭りです。 

そして、12章から21章までは、イエス様がエルサレムに入場(棕櫚の日曜日)してから、イエス様がよみがえられて弟子たちの前に現れるところまでが書かれています。一つだけ章が抜けていますね。11章が抜けています。11章は、ちょうど真ん中の章で、今日お話しするところです。ここは、ラザロの復活について書かれてあるところです。ラザロの復活の話はとても有名な話です。先ほどの話からわかるように、ラザロの復活は、12月末に行なわれる宮清めの祭りと4月初めの過越しの祭りの間に起こった出来事である、と推測できます。つまり、ラザロの復活の出来事とイエス様の復活の出来事とは時間的に非常に近いのです。もしかしたら、ラザロの復活の出来事はイエス様の復活の出来事の1ヵ月前に起こったことかもしれませんし、もしかしたら、2週間前だったかもしれません。それほどまでに、時間的に近い出来事であったのです。ラザロの復活は、ある意味、イエス様の復活のデモンストレーションのような役割でありました。イエス様には失った命をよみがえらせる力があるのだと言うことを人々にわからせるために行なわれたことであると言えます。ヨハネ11:13を見ると、実際にイエス様は弟子たちがそのことを信じるために行なわれたことであることを伺わせる発言をしています。それでは、11章のラザロの復活の出来事を一緒に見ていきたいと思います。

■11章の初めに、ラザロ、マルタ、マリヤという名前が出て来ます。彼らは兄弟です。彼らはイエス様と親しい交流がありました。ある日、兄ラザロの病気の知らせが、イエス様のもとに届きました。マルタとマリヤの姉妹はイエス様にすぐにも来て、兄ラザロの病気を治してほしいと願ったのです。けれども、イエス様はその知らせを聞いてすぐには行きませんでした。それはなぜなのか。イエス様は興味深いことを言っています。「この病気は死んで終わるだけのものでなく、神の栄光のためのものです。」と。このイエス様の発言からして、ラザロがこの病気で死ぬと言うことをイエス様は予測していたと言うことになります。

 14節にはこう書かれています。「ラザロは死んだのです。わたしはあなたがたが信じるためには、わたしがその場所に居合わせなかったことを喜んでいます。」とあります。ちょっと、誤解を招きそうな言い方ですが、このことには目的があったのです。それは、死からの復活という奇蹟的な出来事を見て、イエス様は人をよみがえらせることのできるお方なのだ、と言うことを人々が信じるためでした。こうして、イエス様はラザロが死んだことを知ってから、ラザロのいるベタニヤに向かいました。

 ベタニヤはエルサレムから3キロメートルくらい離れたところにある村でした。そこに着いた時には、ラザロが死んでもう4日経っていました。大勢の人々がそこに集まっていました。マルタはイエス様に言いました。「もしも、イエス様がここにいてくれたら、ラザロの病は治って死ななかったのに。」と。それでも、マルタはかすかな望みをまだ持っていたのだと思います。続けてこう言いました。「イエス様が神様に求めることは何でも、神様はイエス様にお与えになります。」と。このマルタのことばの中に、ほとんど望みのないところから望みを絞り出すようなマルタの信仰を感じます。

■23節~24節 すると、イエス様は、「あなたの兄弟(ラザロ)はよみがえります。」と答えました。マルタは言いました。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」と。この時、死んでから4日たっていたのでラザロが生き返ることなど、マルタには想像もつかないことであったと思います。しかし、マルタは、終わりの日にラザロは復活するのだ、という信仰は持っていました。このことがこの時のマルタのできる限りの信仰であり、彼女の希望であり、慰めであったのだと思います。きっと、マルタはこの教えをイエス様から聞いていたのだと思います。

■25節~27節 さらに、イエス様はマルタに言いました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠にけっして死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」

 イエス様を信じる者は、永遠に死ぬことがありません。つまり、イエス様を信じる者は死にません。永遠に生きているのです。でも、イエス様を信じていた人たちも実際には死にました。それはどう説明するのですか。確かに、この肉体は死にます。罪のあるからだは朽ち果てます。しかし、体は死んでも霊は生きています。

 ローマ8:11を見てみましょう。「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊(聖霊)が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださいます。」とあります。あなたがたの死ぬべきからだを生かしてくださるとは、朽ちることのない新しい復活のからだを与えてくださると言うことです。イエス・キリストを信じて聖霊を受けた人は、イエス・キリストがよみがえられたようにその聖霊によってよみがえるのだと言うことです。

 先ほど、永遠のいのちへの水と死からよみがえることとは大きな関係があるのです、と言いました。永遠のいのちへの水とは聖霊のことです。私たちの内におられる聖霊は私たちに対して豊かに働いておられます。「生きていてわたしを信じる者はみな、永遠にけっして死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」と問いかけられたマルタにとって、永遠にけっして死ぬことがない、と言うことの意味がこの時はまだはっきりとわかっていませんでした。マルタは正直な女性です。でも、マルタはイエス様が救い主なるお方であることは信じていたのです。そして、その後、イエス様がラザロの名前を呼ぶと死んでいたはずのラザロが手も足も顔も布で巻かれたまま墓から出て来ました。死んでいた人がよみがえったのです。イエス様を信じる者はみな、死んでも復活するのです。これによってマルタは、イエス様を信じる者はみな、永遠にけっして死ぬことがありません、と言ったイエス様のことばに対して、自信を持ってはっきりと「はい、信じます。」と言うことが出来たのではないでしょうか。

 イエス様はマルタに言われました。「あなたの兄弟、ラザロはよみがえります。」イエス様が言われたとおりに、この時、一度死んだラザロは生き返りました。しかし、その後ラザロは死にました。マルタやマリアも、また、当時生きていたイエス様を信じていた人々も死にました。しかし、そうだとしても、終わりの日、イエス様が再びこの地上に来られる時に、ラザロはよみがえります。マルタもよみがえります。マリヤもよみがえります。そして、あなたも私もよみがえります。イエス様がそのように言われました。「イエス様を信じる者はみな、永遠にけっして死ぬことがありません。よみがえります。」復活の信仰を告白していきましょう。それではお祈りします。