主の好まれる2つのことば

2022年7月3日主日礼拝 メッセンジャー:佐々木俊子姉

礼拝メッセージ「主の好まれる2つのことば」

中心聖書箇所:詩篇100:4「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」詩篇51:17「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」

■朝ドラから

毎朝8時から、NHKで連続ドラマをしていますが、ご覧になっている方はおられますか?お勤めしている方は観られない時間帯なので、他の時間に観るなりしないと、ちょっと無理ですね。今は、「ちむどんどん」というドラマで、沖縄のことばのちむどんどんは胸がどきどき、わくわくするという意味だそうです。観ておられない方のために先々週の話をご紹介しますが、主人公は比嘉暢子という女の子です。食べることと料理が大好きな暢子は高校卒業とともに東京に出てイタリア料理のレストランで料理修行を始めます。働き出して8年だったかした頃の話です。暢子も腕を磨いてある程度の仕事を任されるようになっていました。そのレストランには料理長みたいな、厨房やらお客さんへのおもてなしを取り仕切っているシェフと呼ばれている方がいるのですが、その方がけがをして、休まなくてはならなくなります。シェフ代行を立てなくてはならなくなり、たくさんの働き手がいる中で、なんと暢子がシェフ代行をすることになってしまいます。厨房の料理の味付けや盛り付け方、お客さんへのタイミングを考えた料理の出し方の指示、またメニューを考えたり、材料の調達をしたりなどなど多くの仕事をかかえることになりました。おまけに他の料理人たちの暢子へのねたみや不満があってとてもうまくはいきません。ある時は厨房で、ある時はレストランのお客さんの間でトラブルが起きました。また料理人たちが暢子のいうことを聞いてくれないので、「これはシェフ代行の命令です!」と言ってシェフの権威をふりかざすような態度にも出ました。

いろいろと悩んだ挙句に、「暢子は暢子らしいやり方でシェフ代行をしなさい。」と助言してくれる人がいて、自分らしさって何だろう。自分の良いところって何だろうと考えます。でも考えても考えてもわからないので、沖縄のお母さんに電話して尋ねるのです。お母さんも最初トンチンカンなことを言うのですが、あることからふと気づきます。「暢子の良いところは、ありがとうとごめんなさいを大きな声で言えるところだわ。」「お父さんともよくそのことを話していたのよ。」

翌日出勤した暢子はみんなの前で、これまでのことをごめんなさいと謝罪して、みんなに協力を求めます。そしてこれからはお客様の笑顔のために働こうとみんなに話すのです。それからというもの、わからないことうまくいかないことできないことは「ごめんなさい。」と言ってみんなの助けを求め、全体が上手く回るように手伝ったり。力を貸してくれる人には惜しみなく「ありがとう。」を言う、暢子の一番良いところを存分に用いてシェフ代行を務めるようになります。そしてそのことでレストランはまた軌道に乗っていくのです。

■ダビデはなぜお手本なのか

暢子の話を思い巡らしていて、なぜかダビデを思い浮かべてしまいました。ずいぶん飛躍しますね。 今、「旧約聖書の学び」のスモールグループで第1、第2サムエル記を終わり、第1列王記を学んでいます。第1、第2サムエル記はダビデのことがずっと書かれています。ダビデ記と言っていいくらいです。そこから第1列王記に入り、ダビデからソロモンに王位が移りました。

ソロモンは知恵に満ちたりっぱな王様です。彼の治世には戦争はほとんどなく、民は平安な日々をすごせたのではないかと思われます。治めていた地域も広くて、ユーフラテス川からエジプトの国境に至るすべての王国を支配したと書かれています。これはアブラハムに神様が約束された地域と重なり合います。そして周りの国の人々は王国のすばらしさを噂に聞き、ソロモンに会いたくて遠路はるばる会いに来ては、その

知恵の豊かさと王国の豪華さに目を奪われて驚嘆するという、そのような出来事が書かれています。三千の箴言を語り、彼の歌は一千五百首もあったと書かれています。ソロモンの箴言は今も私たちに真理や知恵を与えてくれま。しかし、残念なことに、ソロモンは人生の最後に神様から離れ、その息子の時代にはイスラエル王国が2つの国に分裂するという事態を招きました。素晴らしい能力に満ちた王でしたが、第1列王記11章4節「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心を他の神々のほうへ向けたので、彼の心は、ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」と書かれています。

おもしろいことに、代々の王様はダビデ王といつも比べられています。ダビデと比べてこの王はどうか。ダビデと比べてどういうところが劣るのか。ダビデと同じようにできたところはあるのか。ダビデはそういう意味で王様の鑑とでも言うべきお手本だったといえます。夫のある女性と姦淫の罪を犯し、その夫を戦場の最前線に送って、戦争で死んだかのように見せかけたいわば偽装殺人をしたダビデです。主の気に入らないこともしました。なんでこんなダビデがお手本なのでしょうか。ダビデも他の人たちと同じように不完全な人でした。

でも、どんなときにも神様のところに行ったのです。うれしいときに行きました。悲しいときに行きました。困ったときに行きました。罪に苦しんだときに行きました。どんなときにも神の御前に出たのです。以前第2サムエル記の学びが終わったときに、参加しているメンバーでそれぞれが今までに学んだことを発表しあいました。シェリーさんのお話の中で、「私たちにはいつも主のところへ行くか行かないかの選択がある。行くこともできるし、行かないこともできる。もし行けば、罪は赦されるけど、行かなければ罪は残る。」というようなことを言われたのを覚えています。ダビデはいつも主のところに行ったので、そして悔い改めたので罪は赦された。行かない人の罪は残る。ということになります。主のところに行くことを選び続けることが主に良しとされる秘訣です。

今日、司会者の方に読んでいただいたみことばは詩篇100:4と51:17です。詩篇100:4「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」詩篇51:17「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」いつも主の御前に出て、感謝と賛美、そして悔い改めを捧げる。「ありがとう。」と「ごめんなさい。」を入口として主との交わりに入っていくこと。ここがダビデがどうして代々の王のお手本だったかの理由なのではないかと思います。

■自分の証から

私たちは人に対しても「ありがとう。」と「ごめんなさい。」をいうことが大切かな、と思います。「ありがとう。」も「ごめんなさい。」も心が低くないと言えないことばです。そして、「ありがとう。」は言えても、「ごめんなさい。」はなかなか言いにくいこともありますね。

私には10年くらい「ごめんなさい。」が言えなかった苦い経験があります。ある年上の女性にですけど、この方が大きな問題で苦しんでおられたときに、ある行動に出られたのですね。その行動が私には問題から逃げていると思えてしまって、「逃げているんですね!」と言って責めてしまったのです。もうずいぶん前のことです。今にして考えるなら、彼女のとった行動はそうするしかなかったし、それがベストだったと思えます。それで、このことについて彼女に謝らないととずっと思っていました。謝る機会は何度でもありました。でもなんとなく回避してしまっていました。

1,2年前に彼女と電話でお話ししたときに、やっと謝ることができました。「あの時私はこんなことを言ってしまいました。ごめんなさい。」と言ったように覚えています。そうしたら、なんと返事が返って来たかわかりますか?「もう覚えていませんね。忘れました。」と言われるのです!「逃げなきゃならないときもありますからね!」もし覚えておられたとしても、そのように言ってくださったのかもしれません。それを思うと、彼女の懐の深さに感動を覚えます!もうずっと前に発した私の不用意なことばを赦していて

くださったのでしょう。どちらにしても、私はすっきりしました。目の前に青空が広がりました。

神様と人の前に私たちは暢子のようでなくてはなりませんね。低い者とされるのと同時に、いつも主の御前に出る者にされていきたいと思います。