ヒゼキヤ王、一面から三面まで

2022年3月13日主日礼拝「ヒゼキヤ王、一面から三面まで」

イザヤ37:36~37、38:1~3、39:5~8 佐々木俊一牧師

■ロシアによるウクライナ侵略は、本当に信じられないような出来事です。まさかこんなことが起きるなんて考えてもいませんでした。しかし、夢ではなくて実際に起きている出来事なのです。ウクライナでは長い間、親ロシア派と親欧米派の権力争いが続いて来ました。2019年4月に、親欧米派の現在のゼレンスキー大統領が就任しました。彼はユダヤ系ウクライナ人で44歳です。とても若い大統領です。大統領になる前は、俳優、コメディアンでした。おもしろいことに、映画の中で大統領になった男を演じた結果、それが現実となったという経歴を持った人です。ゼレンスキー大統領はウクライナの民主化と自由を大切にし、経済発展を推し進めようとしてきたのですが、親ロシア派や社会の汚職体質に妨げられ、なかなか結果を出せないでいたようです。そのため、国民の支持率は、初めは70%でしたがだんだん下がって、最近では25%ほどになっていたそうです。しかし、今回のロシア軍による侵略にあって、なおも首都キエフに留まって最後まで領土と国と子どもたちを守るという彼の姿勢は多くのウクライナ人の共感を呼んでいます。彼は自撮りでその意思をSNS上で発信し続けています。その結果、国民の支持率は90%まで上昇したと言うことです。ウクライナの人々の心は、今一つになっています。ウクライナの人々の命が守られるように、ゼレンスキー大統領の命が守られるように、プーチンとその仲間が一日も早くウクライナから撤退せざるを得なくなるような状況へと神様が働いて下さるように祈るばかりです。このような暴挙が一度でも許されたなら、世界秩序は崩壊の一途をたどることになるでしょう。

 ネット上でこんな画像が載っていました。2022年2月24日のウクライナの首都、キエフでの記事です。たぶん、福音派のクリスチャンだと思いますが、路上でお祈りをしています。その祈りはウクライナ人のためだけではなくて、ロシア人のためでもありました。今はお互いに敵国になっているけれども、しかし、主イエス・キリストにあるならば、地上の国籍は何の意味もない、天においては同じ神の家族なのだ、と彼らは言っています。そして、彼らは、ウクライナ語の聖書がもっとたくさん必要であることも合わせてアピールしています。このような時にこそ彼らは、創造主なる神の存在と救い主なる主イェス・キリストを人々に伝えようとしているのです。ウクライナのクリスチャンのために、そして、ロシアのクリスチャンのために祈りましょう。

 今日は、ユダ王国の王様の一人、ヒゼキヤ王について見て行きたいと思います。メッセージタイトルは、「ヒゼキヤ王、一面から三面まで」です。新聞の1面と2面は政治と経済、そして、3面が社会面、世の中の雑多な出来事が記事になっていた時代に、その3面の記事のことを俗に三面記事と言っていました。ヒゼキヤ王とユダ王国の政治や経済、そして、ヒゼキヤ王のプライベートな出来事の中に神様がどのように働いておられたのかを見ていきたいと思います。

■イザヤ37:36~37 主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、18万5千人を撃ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。アッシリヤのセナケリブは立ち去り、帰ってニネべに住んだ。

 ここを読んだだけではいったい何が起こっているのか全然わかりません。その前後を読む必要があります。時間の制約があるので、こちらで簡単に説明したいと思います。

 まず、ヒゼキヤという王様についてですが、この王様はとても良い王様です。イスラエルがイスラエル王国(北王国)とユダ王国(南王国)の二つに分裂した後、イスラエル王国の王様はみな偶像の神々を信じて、真の神様のことを信じませんでした。また、国民を酷使し、私利私欲に生きる王様ばかりでした。ユダ王国もそのような王様が多かったのですが、中には良い王様がいました。そのうちの一人がヒゼキヤ王です。

 ヒゼキヤ王の時代に、イスラエル王国はアッシリヤ帝国に滅ぼされて、捕囚されてしまいます。アッシリヤは、イスラエル王国を征服すると、次に、ユダ王国まで攻めてきました。アッシリヤの王、セナケリブの命令によって攻め上って来た将軍、ラブシャケとその軍隊がエルサレムを包囲した時は、もう一巻の終わりという状況でした。ウクライナを侵略するロシアのように、アッシリヤの将軍、ラブシャケは、単に武力だけによらず、心理戦や情報戦を用いて相手を打ち負かそうとしました。言葉でもって恐怖心を与え、降伏させようとしたのです。しかし、ヒゼキヤ王はそれによって怯むことなく、人々にその言葉を無視して何も答えないように指示しました。そして、ヒゼキヤ王は神に祈りました。すると、預言者イザヤをとおして神のことばが与えられました。そのことばは何と言っていたのかと言うと、アッシリヤの軍隊がエルサレムを攻め入ることはない、アッシリヤの王セナケリブの高ぶりが神様に届いたので、神様はセナケリブの鼻に鍵輪をつけて、口にはくつわをはめて、セナケリブをもと来た道に引き戻す、と言うものでした。そして、次の朝、イザヤ37:36~37に書かれてある通りのことが起こったのです。アッシリヤ軍18万5千人が主のみ使いによって撃ち殺され、それを目撃したアッシリヤの王セナケリブはそこを立ち去って自分の国に戻って行きました。その後、彼は自分の子どもに殺されてしまいます。こうして、エルサレムの人々は救われました。

 実は、これに似たことが、良い王様の中のもう一人であるヨシャパテ王の時にもありました。ヒゼキヤ王の時にも、そして、ヨシャパテ王の時にも、神様の介入により敵の侵略から救われたのです。これらのことは過去の出来事ですが、これから将来に向けて同じようなことがイスラエルの国で起ころうとしています。エゼキエル書38章にそのことが予告されているのです。ヒゼキヤ王やヨシャパテ王の時に起こった出来事は、エゼキエル38章の出来事の予表と言えるかもしれません。けれども、38章でイスラエルを攻めに来る国は北の果てにある国、ロシアです。ロシア軍が将来イスラエルを攻めに来ることがエゼキエル書に予告されているのです。ロシア軍を中心にペルシャ(イラン)を初め、その仲間の国々の軍隊も一緒です。

 今、ウクライナがプーチンの命令でロシア軍に攻め入られています。エゼキエル書38章のことが将来のいつかはわかりませんが、今のロシアがしていることを思うと、ロシア軍がイスラエルを攻め入る可能性は高いように思われます。現在、ロシアは軍事面でアサド大統領率いるシリヤ政府を応援しているのを見てもわかるように、シリヤとロシアの結びつきは非常に強く、また、そこにイランも協力している状況なのです。

 イザヤ37:36~37の事件は、ヒゼキヤ王が治めるユダ王国の政治的な側面を語っている内容です。ここでのヒゼキヤ王の主に対する信頼と彼のリーダーシップは学ぶべきところがあります。ここの記事のタイトルは、「ユダ王国大勝利、アッシリヤ軍全滅」です。この勝利は彼らの信仰の勝利であり、神様による大勝利です。次に、ヒゼキヤ王のプライベートな面を見てみたいと思います。

■イザヤ38:1~3 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、言った。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。

 このところのタイトルは、「ヒゼキヤ王、回復の見込み無し」でしょうか。ヒゼキヤ王にとっては、一難去ってまた一難です。大国アッシリヤがユダ王国を攻めて来たとき、主の不思議な介入によって大変なところを乗り越えたばかりなのに、今度は自分が重い病気を患って、死が近いから家の整理をせよ、と言われたのです。正直言って落ち込みます。この時、ヒゼキヤは40歳くらいだったと思います。死ぬにはまだ若すぎます。しかも、ヒゼキヤは、偶像礼拝をせず、真の神様だけを信じて、まことを尽くして神様と人々に仕えてきたのです。そういうことを思うと、とても理不尽です。だから、ヒゼキヤはあまりにも悲しくて大声で泣いて神様に祈ったのです。そうしたら、イザヤをとおして神様のことばがありました。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。」こうして、ヒゼキヤは、重い病気から回復して寿命を15年加えられました。彼は55歳までユダ王国の王として他国の侵略もなく平穏に国を治めることができました。ヒゼキヤにとって病は大きな試練でしたが、しかし、その中で、彼は神の大いなるいやしと奇蹟を体験しました。ここで見るヒゼキヤの神様に食い下がるような祈りの姿勢を私たちは見習うべきではないでしょうか。神様はヒゼキヤのそんな祈りを聞かれたのです。終わりに、イザヤ39:5~8を見てみましょう。

■イザヤ39:5~8 すると、イザヤはヒゼキヤに言った、「万軍の主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、」と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。 

 このところのタイトルは、「ヒゼキヤ王、将来の脅威に無関心」でどうでしょうか。ヒゼキヤが病気から回復した時に、大国バビロンの王の使者が手紙と贈り物をもってヒゼキヤのところにやってきました。ヒゼキヤはその訪問を喜び、彼らを歓迎しました。そして、家の中を案内し、有頂天になってしまったヒゼキヤ王は宝物蔵にあるすべての宝物を彼らに見せてしまったのです。その事を知ったイザヤは、ヒゼキヤ王に警告しました。それが、イザヤ39:5~8に書かれていることです。ヒゼキヤ王のあまりにも軽率な行動によって引き起こされる将来の脅威、バビロン捕囚について、イザヤは預言のことばによって警告しました。将来、ヒゼキヤの子や孫やひ孫たちがバビロンに連れて行かれて、その中には宦官になる者さえいることを予告しました。そんなことを聞いたらふつう平常心ではいられないと思いますが、この時のヒゼキヤのリアクションは、「あなたの告げてくれた主のことばはありがたい。」でした。いったい、どう言うことなのでしょうか。何がありがたいのでしょうか。それは、自分が生きている間にそのような悲惨なことが起こらないのは、ヒゼキヤ自身にとってありがたいと言うことです。自分が生きている間は平和で安全であることで、ヒゼキヤは安心したのです。ヒゼキヤ自身がアッシリヤの軍事侵攻や自分の病気のことで大変なストレスをかかえて生きてきました。どんなに神様に忠実に歩んできた人でも弱気になることはあります。実際、人は誰でも弱いのです。子や孫やひ孫のことまで考える余裕がなかったのかもしれません。無責任だと言って、ヒゼキヤを責めることはできません。そして、それから約100年後、ユダ王国はバビロンによって滅ぼされ、捕囚の身となってしまうのです。

 私たちは、自分の子や孫やひ孫のために何ができるでしょうか。彼らが将来大きな脅威にさらされることを考えると、胸が引き裂かれるような気持になりませんか。けっして、自分が生きている間だけ平和に暮らせれば安心だ、という気持ちにはなれないでしょう。彼らにとって、良き未来、生きやすい世界であってほしいと願うと思います。

 現在、世界にはあまりにも多くの問題があり過ぎます。将来、それは子や孫やひ孫の世代に必ず大きな困難として降りかかってくる可能性が非常に大きいです。地球温暖化の問題もそうです。新型コロナウィルスのような疫病もそうです。核戦争や食糧問題もそうです。将来にある多くの脅威のことを思うと本当に心配になります。私たちに何ができるのでしょうか。残念ながら、人間には完全な解決策などありません。人間の力では絶対無理です。しかし、人間には無理でも神様には可能です。そして、神様には人間を救うための計画があるのです。その計画は、イエス・キリストによって、すべてにおいて準備万端なのです。あとは、人間一人一人がその計画に乗っかるかどうかです。それは、判断力のある人間であれば、そのお一人お一人が自分で決めなければなりません。

 終わりに、私たちは、ヒゼキヤがそうであったように、神様に食い下がるようにしつこく祈りたいと思います。ウクライナの人々の犠牲が最小限にとどめられるように、ロシア軍がウクライナから撤退せざるを得ない状況になるように、ウクライナ兵士もロシア兵士も戦争で死ななくてすむように、ウクライナとロシアのクリスチャンの守りのために、そして、このような時にも、救い主イエス・キリストを信じる人々がウクライナにもロシアにも起こされるように、祈りたいと思います。それではお祈りします。