一つのしるし

2021年12月12日主日礼拝「一つのしるし」Ⅰ列王記13:1~6 佐々木俊一牧師

■今日の説教聖書箇所を読んで思ったのではないでしょうか。クリスマスとどういう関係があるのだろうか、と。このところを読んで、何となくイザヤ書のどこかに似てる、と思いませんでしたか。イザヤ7:14にはこう書かれています。「それゆえ、主みずから、あなたがたに、一つのしるしを与えられる。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」

言い方として、まず、男の子が産まれる。その名は・・・である、と言うところです。さらに、一つのしるしを与える、と言うところです。

 今日の箇所に、ヤロブアムと言う名前が出てきました。ヤロブアムとは、北王国(イスラエル王国)の最初の王様です。ソロモン王が亡くなった後に、イスラエルは南王国(ユダ王国)と北王国(イスラエル王国)の二つの王国に分裂しました。南王国はユダ族とべニヤミン族の2部族からなり、北王国はその他の10部族からなっていました。ヤロブアムはエフライム族の出身で初めはソロモンの忠実な家来でしたが、後になって反逆しエジプトに一時逃がれていました。しかし、ソロモンが亡くなったことを聞いてイスラエルに戻り、北王国の最初の王様になったのです。

 ダビデ王は預言者ナタンを通して神様からことばを受けました(Ⅰ歴代17章、22章)。それは、ダビデの家から生れて来る者によって永遠に続く王国を確立するのだ、ということです。ダビデはその可能性がソロモンにあると考えていたのかもしれません。ソロモンと言う名前の意味は平和です。ソロモンを通していつまでも続く穏やかで平和な王国の確立を神様は約束してくださったのだ、とダビデは思ったのかもしれません。それゆえに、ダビデは神殿建築をソロモンに託しました。そして、ソロモンはそれを成し遂げたのです。ところが、ソロモンの晩年はダビデの神、真の神から離れ、偶像礼拝にのめり込んで行きました。そんなことで、イスラエルの二部族以外はユダ部族から分かれて彼らの王国を作ってしまうことになるのです。

■1節~2節 今日の説教聖書箇所は、北王国の王となったヤロブアムがベテルという町(南王国と北王国の境界線にある)に造った祭壇の上で、異教の神々にいけにえをささげて香をたいている時に起こった出来事です。

この時、無名のユダ王国の神の人(預言者)が北王国のべテルの町にやって来ました。そして、祭壇に向かって大きな声でこう叫んだのです。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼はお前の上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしてお前の上にささげ、人の骨がお前の上で焼かれる。』」読むと、恐い内容ですけど、このようなことが、無名のある預言者を通して語られました。

 ところで、ヨシヤとは誰でしょうか。ヨシヤとはダビデの子孫、南(ユダ)王国の王様の一人です。北王国は200年くらい続きました。19人の王様がいましたが、全員悪い王様でした。それに対して、南王国は約350年続きました。20人の王様がいて、ほとんどは悪い王様でしたが、4人だけ良い王様がいました。その中の一人がヨシヤ王です。ヨシヤ王はダビデを手本とし、賛美と礼拝と神のことばを回復した王様でした。ヨシヤ王の時代は、この無名の預言者がヨシヤ王について語ってから300年後の事なのです。しかしながら、残念なことに、それから約50年後には、バビロンに捕囚されてしまいます。

■イザヤ7:14を見てみましょう。「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」

この箇所は、キリストの誕生を予告する預言のことばとしてよく知られています。この預言が預言者イザヤを通して語られた時、イスラエルがどのような状況であったのかを少しお話しをしたいと思います。

 南王国はアハズ王、北王国はホセア王、どちらも悪い王様でした。ホセア王は北王国の最後の王様になりました。と言うのも、この時、アッシリヤ帝国がイスラエルにまで迫り、攻撃されて滅ぼされるのも時間の問題であったのです。そして、ついに、北王国はアッシリヤに滅ぼされ、多くの人々がアッシリヤへと捕囚されて行きました。BC720年のことです。この時に、アッシリヤは南王国をも征服しようとしましたが、アハズ王の息子であるヒゼキヤが王になった時に、ヒゼキヤ王によって、と言うよりも神様の不思議な介入があったので、アッシリヤ軍は全滅しました。ヒゼキヤ王は南王国の4人の良い王様の一人です。この王様も、ダビデに習い、賛美と礼拝と神様のことばを回復した王様でした。イザヤ書36章から39章、および、Ⅱ歴代誌29章から32章に、ヒゼキヤ王がどのようにしてアッシリヤ帝国に勝利したのかについて書かれています。

 それから約50年後に、先ほどⅠ列王記13章に予告されたヨシヤ王が生まれ、ユダ王国の王様になりました。彼はヒゼキヤ王のひ孫です。彼もまたダビデに習い、偶像を排除し、賛美と礼拝と神のことばとを回復し、神様に忠実に従い歩みました。そして、約300年前にあの無名の預言者が語ったことばが、このヨシヤを通して成就したのです。

■Ⅱ列王記23:15~16を見てみましょう。このところに、あの無名の預言者が語ったことばが成就した時のことが書かれています。「なお彼は、べテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの造った高き所、すなわち、その祭壇も高き所も壊した。高き所を焼き、粉々に砕いて灰にし、アシェラ像を焼いた。ヨシヤが向き直ると、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人をやってその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して呼ばわった主のことばのとおりであった。」

 墓から取り出した骨とは、かつて、アシェラ像などの偶像にいけにえをささげていた祭司たちものです。あの無名の預言者が叫んで言ったように、偶像にいけにえをささげていた祭司たちの骨がその祭壇の上でこのようにして焼かれたと言うことなのです。そして、興味深いことは、17節です。ヨシヤ王が、あそこに見える石碑も、もしかしたら異教の祭司たちのお墓だと思ったのでしょう。しかし、町の人々は言いました。何と言ったのかと言うと、「ユダから出て来て、あなた(ヨシヤ)がべテルの祭壇に対してされた、あのことを預言した神の人の墓です。」と。つまり、300年前からずっと、町の人々の間では、「見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼はお前の上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしてお前の上にささげ、人の骨がお前の上で焼かれる。」とあの無名の預言者によって語られたことばが語り継がれて、ついにそれが成就したと言うことなのです。捕囚されずにベテルの町に残された人々はきっと、このヨシヤこそがダビデの家について言われているあの永遠の王として君臨する王様なのではないだろうか、と期待するものがあったのではないでしょうか。しかし、ヨシヤ王はこの後、死んでしまいます。ちょっとした判断ミスとちょっとした気持ちの高ぶりによって、戦う必要のない戦いに勇んで出て行ったために、エジプトの兵士によってあっけなく殺されてしまうのです。人々の期待ははかなくも破られてしまいました。同時代を生きていた、預言者エレミヤがヨシヤの死を悼んで哀歌を作ったということが、Ⅱ歴代誌35:25に書かれています。ただ、旧約聖書にある哀歌とは別の物であると思われます。

 ここで、列王記と歴代誌の著者についてお話をしたいと思います。ユダヤ教のタルムードによると、ⅠもⅡも列王記は預言者エレミヤによって書かれました。そして、歴代誌ⅠとⅡはエズラ記のエズラによって書かれたと言うことです。過去の資料を調べながら彼らの時代までの事を聖霊に導かれて編集したのでしょう。

※タルムードについて説明したいと思います。その前に、ミシュナについて説明しましょう。ミシュナは、トーラー(モーセ五書)以外に口伝律法(言い伝え)として継承してきたものを文章化したものです。AD200年頃までに完成しました。さらに、ミシュナの注釈を加えて編集されたものがタルムードで、AD500年頃までに完成しました。

■3節~ Ⅰ列王記13章に戻りましょう。イスラエルの人々はすでにこの頃から、周囲の国々に揺るがされることなく、平和で穏やかな確固とした自分たちの国を望んでいたのだと思います。ソロモンと言う名前は平和と言う意味であり、ソロモンを通していつまでも続く穏やかで平和な王国の確立をダビデもイスラエルの人々も望んでいたのではないでしょうか。しかし、ソロモンの死後は、イスラエル王国は二つの王国に分裂し、周囲の国々の脅威と常に戦いながら時代は過ぎてゆきました。そんな中、300年も前に無名の預言者によって語られたヨシヤ王についての預言のことばが人々の間で語り継がれていたのです。その預言のことばが語られた時のしるしが人々にとって非常に印象強く記憶されたのではないでしょうか。「その日、彼は次のように言って一つのしるしを与えた。『これが、主の告げられたしるしである。見よ。祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。』」無名の預言者の語ったことが、確かに神様から出たことばであることを示すために、このとき、一つのしるしが与えられました。それが、「祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る」ということであったのです。これを聞いたヤロブアム王は、怒ってこの預言者を捕えるように部下に命じました。そうしたら、ヤロブアム王の手がしなびて麻痺してしまいました。同時に、祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出てしまいました。この出来事に怯えてしまったヤロブアム王はその預言者に助けを求めました。その預言者がヤロブアム王のために祈ると、手は元通りになりました。人々はこのことをよく覚えて、その記憶を後の世代に伝えました。そうして、先ほど見ましたⅡ列王記23:15~16の出来事がヨシヤ王によって実現したのです。

 神様のことばはしるしを与えることによって私たちを信仰から信仰へと導きます。ヨシヤ王の曽祖父、ヒゼキヤ王の父、アハズ王の時に語られたイザヤ7:14のことばもそうです。他国の脅威を恐れていたアハズ王に向けて預言者イザヤが語ったことばです。「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」ダビデの家に与えられた神様の約束を思い起こさせる、勇気づけられることばであったのではないでしょうか。それから100年後にダビデの家からヨシヤ王が生まれました。もしかすると、この子が預言者イザヤの語ったあの男の子ではないのだろうか、と人々は期待したかもしれません。しかし、違いました。神様は一つのしるしを与えられたのです。その男の子は、「処女」から生まれるのです。それが神様の与えたしるしなのです。

 今、リベラルな神学者の中には処女降誕を否定する人々がいます。処女降誕は科学的にあり得ないことである、という見解です。また、処女降誕であろうとなかろうと、キリスト信仰にとって何の問題もないという見解です。しかし、これは大きな問題であると私は思います。それは、真の救い主であるためのしるしが、「処女がみごもっている」ということだからです。このしるしは、救い主であることの確かさを示すために神様が与えたしるしなのです。私たちの頭で理解できないからと言って、神のことばを変えてはなりません。信仰に入るためのつまずきになるからと言って、神のことばを変えてはならないのです。

■バビロン捕囚からエルサレムに帰還したユダヤ人たちは、その後も、ダビデの家から生まれる、永遠に神の国を治める王なるメシヤなるお方を待ち続けて来ました。彼らは、周囲の国々によって揺るがされることのない平和な自分たちの国を再建してくれる王様の登場を待ち望んでいたのです。しかし、その後もイスラエルは国として再建されることなく、400年もの間ずっと、帝国の支配を受け続けました。そんな中、ユダヤ人としての選民意識を継承していくために、パリサイ人や律法学者のような宗教家がユダヤ人としてのアイデンティティをリードしていくようになりました。彼らは聖書を偏った見方によって理解したために彼らの内には誤ったメシヤ像が形作られて行ってしまったのかもしれません。

 400年の間、神様のことばはありませんでした。しかし、400年経って再び神様のメッセージは神様の御声に聞く人々に語られ始めました。救い主がお生まれになった時に、社会の一番底辺にいた貧しい羊飼いたちにそのメッセージが語られました。羊の夜番をしていたベツレヘムの羊飼いたちにみ使いが現れて、救い主がお生まれになったことを告げたのです。救い主であることの一つのしるしが彼らのために与えられました。布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりご、それが救い主であることのしるしです。彼らは、早速ベツレヘムの町に行って、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを探し当てました。

 神様はその人が本当に救い主なのかどうかを知るために、しるしを与えてくださるお方です。ある人が、イエスをメシヤと信じたユダヤ人の友人から聞いたそうです。ユダヤ教のラビは礼拝の中で聖書朗読をする際、必ずイザヤ書53章をとばすそうです。その箇所には、キリストが単にイスラエルの王様として来られるのではなくて、人々の罪を贖うために苦しみ、そして、死ぬことが予告されているからです。

 イエス・キリストは、今から約2000年前に、確かに、人となってこの地上に来られたお方です。そして、イエス・キリストは永遠に神の御国を治めるためにいつか再びこの地上に来られるお方です。それらのしるしを私たちは旧約聖書にも新約聖書にも見つけることができます。私たちが生きている間にイエス様が再び来られるのかどうかはわかりません。けれども、イエス様がいつ来られてもよいように、そのしるしに注意深くあるように聖書は勧めています。それではお祈りします。