自由は神と共にある!

2021年7月11日主日礼拝「自由は神と共にある!」

Ⅰサムエル8:4~9、18 佐々木俊一牧師

■香港が大変なことになっています。1997年にイギリスから中国に返還されました。その時に、中国はイギリスに、一国二制度をもって2047年までは香港の自治を認める、と言う約束を交わしました。ですから、中国は社会主義の国でありながらも、香港の民主主義的な自治を50年間は認めるということであったのです。しかし、その約束は強引に破られてしまいました。今現在、もはや香港には言論の自由や集会の自由がありません。中国共産党のイデオロギーに反するメディアやビジネスや宗教や学問などすべてが監視され、違反したら拘束されてしまうのです。香港の人々にとって以前あったはずの自由が、この1年の間になくなってしまいました。

 監視された自由のない社会に希望を見出すことが出来なくなった人々の中には、香港から国外へと脱出する人々が増えています。また、香港のクリスチャンは全人口の10%ですから、全人口750万人の10%は75万人です。75万人のクリスチャンの中には、香港を去る人もいれば、香港にとどまる人もいます。言うまでもなく、香港を去ることには大きな犠牲が伴います。家族や友人と別れ、財産や仕事を捨てなければならないかもしれません。ですが、民主化運動に関わってきたクリスチャンやキリスト教会の指導的者たちは、将来、確実に中国共産党に捕まるでしょう。中国本土では、習近平が中国共産党のトップになって以来、クリスチャンや教会への迫害が一段と激しさを増しています。2、3年前まで、教会堂が破壊される映像がテレビやYouTubeでたくさん流れていました。しかし、現在、それらは削除されていて見ることができません。これから、香港においてもクリスチャンや教会への監視が厳しくなって行くでしょう。ですから、今、香港のクリスチャンは本当に厳しい決断を迫られているのだと思います。

 ところで、初代教会の時代にユダヤ教を信仰するユダヤ人は、イエス・キリストをメシヤ(救い主)と信じるユダヤ人を迫害しました。その時、使徒以外のクリスチャンはエルサレムを離れてユダヤとサマリヤの町々へ逃げた、と使徒の働き8章に書かれています。しかし、ただ逃げたのではありません。行く町々においてイエス様のことを伝えながら逃げたのです。

 また、AD70年に起こったローマとユダヤの戦争においては、エルサレムの町も神殿も破壊され、ユダヤの国は完全に消滅してしまいました。その後、ユダヤ人クリスチャンはイスラエルの地から世界中へと散って行きました。この事は、彼らにとって大変悲しい出来事でしたが、これをきっかけに、福音がさらに世界へと広がって行ったのです。このように、迫害が起こった時に、必ずしも、そこにとどまることが神様のみこころであるとは限りません。また、そこから逃げ出すことが神様のみこころではないとも言えません。マタイ10:23で、「彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町に逃れなさい。というわけは、・・・人の子が来る時までに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。」とイエス様は言っています。つまり、イエス様が再び戻って来られるまでに、世界中のすべての町々を巡り尽くすことはたぶんできません。ですから、迫害が起こったら他の町や国に移ることも、神様が導かれる選択肢の一つであると言うことです。クリスチャンはどこに行こうとも、その使命は福音を宣べ伝えることです。福音を宣べ伝える自由がないところには、いつまでもとどまる必要はありません。もしも、特別な神様の導きがあるのなら話は別です。迫害が厳しくとも、とどまって福音を宣べ伝えることが使命として導かれるなら、とどまることも選択肢の一つです。そこから逃げるにも、そこにとどまるにも、神様は私たちに選ぶ自由を与えてくださっていると思います。

 今日は、自由が神様からの賜物であり、神様と共にあることを見て行きたいと思います。

■イスラエルの民は、エジプトの地でおよそ400年の間、奴隷として強制労働に服していました。神様は自由のない生活を強いられるイスラエル人を憐れに思い、モーセを遣わしてエジプトからの脱出を計りました。モーセの死後、ヨシュアが代わってイスラエルの民を導き、約束の地、カナンの地を神様から与えられて、そこに定住するようになりました。それから300年くらいの間は、士師と言われる指導者が立って、イスラエルを治めました。有名なのは、ギデオンとサムソンです。女性では、女預言者デボラが士師として立てられていたこともありました。

 その後、預言者サムエルが神様によって立てられ、イスラエルを導くようになりました。しかし、サムエルが高齢になると、イスラエルの民は王様が欲しいと言い出したのです。それでは、そのところを聖書で見て行きましょう。

■Ⅰサムエル8:4~7 イスラエルの長老たちはサムエルのところに行ってお願いしました。先ほども言いましたが、自分たちにも王様が欲しいとサムエルに願ったのです。それには、いくつかの理由がありました。一つ目に、サムエルが高齢になってきていたことです。二つ目に、サムエルの後を担うべきサムエルの息子たちには期待できなかったということです。どういうことかと言うと、サムエルの二人の息子たちは、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていたのです。このような人々は国の導き手としてはふさわしくありません。三つ目には、周囲の国々の脅威です。それらの国々には力のある立派な王様がいました。こういった理由から、イスラエルの長老たちは自分たちにも王様が欲しいとサムエルに訴えたのです。

 それを聞いたサムエルは、正直言って、喜ぶことはできませんでした。自分では物足りないと言われているように感じたのでしょうか。または、その事が神様のみこころのようには思えなくて平安がなかったのかもしれません。サムエルは神様に祈りました。すると、神様は祈りを通してサムエルに応えられました。「この民が言うとおりに、民の声を聞き入れなさい。それは、サムエル、あなたを退けたのではなくて、このわたし、神を退けたのだ」、と言われました。

■Ⅰサムエル8:8~9、18 神様がイスラエルの民をエジプトから連れ上った日からその時に至るまで、彼らのした事と言えば、神様を捨てて、他の神々に仕えたことだった、と神様は言っています。イスラエルの民がエジプトを脱出して約束の地、カナンの地に入るまで何年かかりましたか。40年です。本当だったら、1ヵ月もあれば、到達する距離です。それが40年間も荒野をさ迷うことになったのです。それは、結局のところ、彼らの不信仰が原因でした。神様がいつもイスラエルの民とともにいて導いておられたのに、食べ物や水が不足してくると彼らはモーセに文句を言いました。自由のない過酷な強制労働を強いられていたにもかかわらず、エジプトにいた方がまだ良かった、と言うのです。また、神様が約束の地を与えると言っているにもかかわらず、自分たちより強そうな相手を見ると、恐くて何もできず、戦うことをあきらめてしまいました。この時もまた、モーセに八つ当たりして文句を言ったのです。困難に遭遇するたびに彼らは真の神様に頼ろうとするのではなくて、やっぱりモーセの言う神様なんて当てにならないだと言って、金で子牛を形造ってそれを自分たちの神として拝むようなことをしたのです。このように、イスラエルは繰り返し、繰り返し、神様を裏切ってきました。

 今日の箇所で、イスラエルの民は、また、モーセの時と同じ道を選ぼうとしていたのです。王様のいる国々が、自分たちよりも強い国に見えました。また、自分たちよりも繁栄しているように見えました。自分たちも同じようになりたいと思いました。彼らは見た目だけにとらわれて、何よりも力ある真の神様に信頼しようとはしませんでした。そこに問題があったのです。神様にとって、イスラエルの王様を立てるとか、立てないとかは問題ではありません。どちらにしても、まず第一に、神様により頼む態度があるかどうかが問題であったのです。

 神様はサムエルに、彼らが願うようにさせておくように助言しました。しかし、王様を立てるとどうなるのか、その結果もはっきりと言っておくように助言しました。王様になる人によっては、人々の負担が増大し、再び奴隷にされて自由を失うかもしれません。しかし、もしもそうなったとしても、彼らが決めたことですから、その結果の責任は彼ら自身が負わなければならないのです。そのことを忘れて、モーセの時のように、サムエルに文句を言うのであれば、それは筋が通りません。

■このような流れでもって、イスラエルの一代目の王としてサウルが立てられました。サウルは民にとって比較的良い王様ではありました。容姿も背の高さも文句のつけようのない立派な王様でした。周囲の国々との戦いにおいても勝利をおさめました。しかし、後になって彼はひどく不安定になりました。名声と共に、高慢になって行ったのです。しだいに、預言者サムエルの助言を無視し、部下に対する対応も強権的になり、神様のみこころから離れて行きました。それと共に、イスラエルの力は衰え、近隣の国々が強くなって行きました。

 しかし、そこに現れたのが、二代目の王、ダビデでした。ダビデは、若くして勇士の頭角を現し、多くの戦いに勝利しました。後になって、人としての弱さゆえに重大な罪をおかしてしまいましたが、それでも、ダビデの心は変わることなく神様と結びついていました。サムエル記や詩篇を読むと、ダビデがどのような人物であったのかを想像することができます。ダビデは、神様を愛し、神様に信頼し、神様に従うことを何よりも喜びとする人でした。ダビデにいつも心から神様だけを礼拝し、神様と交わり、誰よりも神様がどのようなお方なのかを知っている人でした。そのことがまた、ダビデの人格に反映していたのだと思います。ダビデは旧約時代の人でありながらも、神様からの自由を体験していた人であったと思います。また、ダビデは神様のみこころを尊重し、どのような価値観を持っておられるのかを知っている人であったと思います。それゆえに、ダビデは、自分以外の人のことをも尊重し、情け深く、礼儀正しい人であったのだと思います。

 イスラエルから多くの王様が誕生しました。三代目の王となったソロモンの後は、北王国と南王国に分裂しました。北王国の王様は全部で19人、すべて悪い王様でした。真の神様に従った王様は一人もいませんでした。それに対して、南王国の王様は全部で20人、その中には良い王様が4人だけいました。彼らは真の神様に従う人々でした。残りはみな悪い王様でした。南王国の王様はダビデの家系です。悪い王様も含めて、ダビデの家系から救い主イエス・キリストが誕生しました。

■イスラエルにおいて悪い王様が立っている時には、民に大きな負担が課せられ、ダビデの時とは随分違った世の中であったと思います。悪い王様は、神様のみこころも神様の価値観もわかりません。ゆえに、彼らは独善的で自己中心であるため、民のことを大切にしないのです。神様のみこころと価値観を尊重する王様はそうではありません。民のことを考え、大切にします。

 ですから、国はどのような人が治めるかによって随分違ってきます。習近平のような人が治めるなら、誰もそんな国に住みたいとは思わないでしょう。自由のない監視された国には、私だって住みたくありません。しかし、自由と平安のある国には住みたいと思います。神様を信じ、神様がどのようなお方かを知っており、神様の価値観に立って事を行う人が治めるならば、そこには自由があるはずです。自由は神様と共にあり、神様から来るからです。

 私たちは、神ご自身が治める天の御国を求めています。イエス様が治める御国です。そこには自由と平安があります。新約聖書には、「自由」と言うことばが何度も出て来ます。旧約聖書にも出て来ますが、数は少ないです。終わりに、新約聖書から1カ所お読みしたいと思います。

■Ⅰコリント7:21 「奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ、自由になりなさい。」

 パウロが言っていることばです。当時、ローマの教会では、自由人も奴隷も差別なく一緒に礼拝を持っていたようです。ローマ皇帝がクリスチャンを迫害した理由の一つが、このことにあったようです。当時の常識としては、そのようなことはあってはならないことでした。当時の社会秩序を壊すことになるからです。パウロは、奴隷の身分から自由の身になれるなら、自由になるように助言しています。みなが自由になることは、神様のみこころなのです。神の御国では、自由人も、奴隷も、区別も差別もありません。しかし、この地上においては、人に自由を与えることよりも永遠の救いを与えることの方が重要なことなのです。この地上で、たとえ自由を与えられたとしても永遠の救いを受け損なうならば、何の得にもなりません。もしも、この地上で奴隷のままで死んだとしても、救いを受けているならば、その人の人生は大成功なのです。救いは自由よりも優先されるべきことなのです。しかしながら、この地上でみなが自由になることは神様のみこころです。自由になれるのなら自由になるのが良いのです。自由は神様と共にあります。

■香港や中国の人々の救いのために祈りましょう。また、香港と中国のクリスチャンのために祈りましょう。中国共産党の下で、クリスチャンは抑圧されています。集会の自由がありません。共に集まって礼拝をするのにも、命がけです。しかし、中国共産党は彼らの心まで支配することはできません。彼らの心は自由なのです。それではお祈りします。