人を元気にする3つの力

2021年3月14日(日)主日礼拝 

「人を元気にする3つの力」Ⅰテサロニケ5:16~18 佐々木俊一牧師 

■今から10年前、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。東北・関東地方をM9の大地震と大津波が襲いました。それによって多くの尊い命が失われました。死者・行方不明者は2万人以上です。過去にない大災害となってしまいました。さらに、津波による福島第一原発の破壊と爆発は、放射能による空気と土壌の汚染をも引き起こしました。その後処理には40年はかかると言われています。そのために、現在も3万人以上の人々が住みなれた町を離れて生活している状態です。

東日本大震災の2週間前には、ニュージーランドのクライストチャーチで直下型の大地震があり、多くの犠牲者が出ました。また、その前年、2010年には、2月にチリ、3月にハイチ、4月に中国、10月にインドネシアで大きな地震がありました。近年、世界中で大きな地震が多発していることは確かです。何が起こっても不思議ではない、そんな時代に私たちは生かされているように思います。今では「未曽有」という言葉は聞きなれた言葉になりました。その意味を知らない大人はほとんどいないのではないでしょうか。

 あれから約10年、今度は新型コロナウィルスパンデミックが世界中を襲いました。そして、今現在もそれが続いています。そんな中、人々はみな、普通の生活や日常というものの大切さに気づき始めているように思います。2021年度に入っても、まだまだウィズコロナの生活が続きそうです。私たちはこれから一年、どのように進んで行ったらよいでしょうか。今日は、Ⅰテサロニケ5:16~18のみ言葉によって神様の導きと力をいただきたいと思います。

■Ⅰテサロニケ5:16 に「いつも喜んでいなさい。」とあります。 喜ぶことは、一つの良い心の習慣です。お母さんにもお父さんにも知ってもらいたいことは、喜ぶと言うことを子どもたちに身につけさせることが出来るのなら、それは大きな財産であり、大きなギフトだと言うことです。小さい時からこの良い習慣、喜ぶということを子どもたちのうちに育ててあげてほしいと思います。

 しかし、そうは言っても子育てはそんな簡単に行くわけではありません。家庭も社会もそんな甘い物ではないのです。日々、いろいろな問題がやってきて、不安や悩みと戦わなければならないのです。それでも、できる限り、子どもたちに喜ぶ習慣をつけさせてあげることは、後になって大きな力となることを覚えておくべきだと思います。

もしも、子ども時代にこの良い習慣を身に着けそこなったのなら、大人になってからでもその良い習慣を身に着けることは可能です。私自身がそうだからです。私は、もとは心配性でいつも悩んだり、心配したり、恐れたりしていました。けれども、イエス様を救い主として信じてから少しずつ変えられてきました。私の内側は、古いものは去り、新しくされていきました。イエス様を信じると私たちは、霊的に新しく生まれ変わるのです。そのように、新しく生まれた者は、イエス様を信じてイエス様に本気で従い続けるのなら変えられて行くのです。急激に変えられる人もいれば、私のように、3歩進んで2歩下がるような歩みの中で徐々に変えられる人もいます。喜ぶことの大切さを知ってほしいと思います。そして、それを行なってください。そのうちに、それは習慣となり、人格となり、人生の見え方も変わって来るでしょう。このように、喜ぶことは力であり、必ずあなたとその周りの人々に良い影響を与えて元気にします。

■Ⅰテサロニケ3:17には、「絶えず祈りなさい。」とあります。毎日、祈っていますか。祈りは霊の呼吸と言われています。そして、御言葉は霊の糧と言われています。両方とも重要です。毎日きちんととっていなければ私たちの霊は栄養失調になったり、さらに進むと、餓死状態や呼吸困難の状態に陥ってしまうでしょう。

 私は6時に起きて、6時15分から10分くらい聖書を読んで、7時15分くらいまで祈ります。それから、朝食の用意をします。まあ、牧師だからそのようにできると言えば、そのとおりです。この点はとても恵まれています。でも、朝10分でもいいですから、お祈りをして1日を始めてみてください。きっと、するのとしないのとでは何かが違うと思います。そのために時間をとるのが難しければ、朝、目を覚ましたときに、神様に語りかけてください。たとえば、「神様、おはようございます。」とか、「神様、新しい1日を感謝します。」とか。または、朝食を作りながら、そして食べながら、「神様、私にとって食べることはとても楽しみなことです。感謝します。」とか、とりとめのないことを語りかけるのもよいでしょう。祈りは、神様との会話です。私たちは祈りを通していつも神様とつながることができるのです。あなたの1日を祈りをとおして神様と共に始めてみてください。

 また、私たちは、私たちの必要のために、祈りをとおして神様に求めることができます。「求めなさい。そうすれば与えられます。」とありますから、私たちは神様にあたえてください、と祈り求めるのです。神様が祈りに聞いて下さった体験を、みなさん、お持ちだと思います。ただ、私たち人間は、どちらかと言うと、聞かれた祈りよりも聞かれなかった祈りの方をよく覚えているかもしれません。そのため、どうせ祈っても神様は聞いてくれない、と言う印象を持ちやすいのだと思います。

私は以前、手帳に私の祈りの課題を書き留めていた時期がありました。それを見て、私は驚きました。聞かれなかった祈りよりも聞かれた祈りの方が多かったのです。でも、確かに、祈っても聞かれなかった祈りがいくつかありました。もしかしたら、将来、その祈りは聞かれるのかもしれません。また、願った通りではなく、半分くらい聞かれたかな、と思うような祈りの結果もありました。祈りが聞かれない場合、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

 神様は私たちの天の父です。そして、私たちは神様の子どもです。父なる神様はいつも私たちに最善をなしてくださるお方です。そのことを信じましょう。そして、祈りが聞かれない時や祈りが完全な形で聞かれない時も、それでも、神様に信頼していきましょう。できるならば、そのような時にこそ、ただそのことを神様に願い続けるのではなくて、何度願っても願うように聞かれないのなら、自分はどうすべきなのかを神様に聞いてみましょう。もしかしたら、神様の導きが示されるかもしれません。そして、その導きに従ってみてください。お願いするばかりではなくて、神様の言われることや導きを聞いて従うことも、祈りの大切な要素です。そのような交わりが身についてくると、神様との深くて親しい関係へと導かれていきます。祈りの力は、ただ、私たちの願いが実現することのためにだけ働くのではありません。神様の言われることや導かれることに従うことをとおして、私たち自身が変えられたり、人として、また、信仰者として、成熟した者へと成長していくことのために、祈りの力の働きを見るのです。

■Ⅰテサロニケ5:18 「すべてのことについて感謝しなさい。」とあります。感謝することもまた、喜ぶことと同様、心の良い習慣の一つです。感謝する思いは、へりくだりの心を表します。それは相手を認め、相手を尊重するしるしとして現されます。それは、お互いにとって居心地の良い雰囲気を作るでしょう。ですから、お互いに感謝の心を表すことは、お互いの間に良い関係を築き上げるために必要なことです。何よりも、神様に感謝をささげることは、神様と私たちとの間に良い関係を築き上げているのだと言うことを覚えたいと思います。

 また、すべてのことについて感謝しなさい、と言う時、誤解してはいけないことがあります。たとえば、何か悲しい出来事が起こった時に、そのことに対して、それは感謝なことだと思うことが信仰的だと言う誤解です。場合によっては、非情で冷酷な人だと思われても仕方のない結果になりす。悲しいことは、悲しいと言ってよいのです。ただ、その悲しみが深く長く続くことによって、精神的な病に陥ることがあるので、神様に信頼し、ゆだねることが必要となるでしょう。また、その出来事は悲しいことですが、まだ自分には他に感謝すべき理由があることを覚えましょう。支えてくれる人、慰めてくれる人、共感してくれる人、助けてくれる人がいることは、本当に感謝なことです。さらに、私たちは、けっしてなくなることのない神様の備えてくださっている望みを覚えて、神様に感謝をささげたいと思います。

 私たちの内側から感謝の心を絶やしてはなりません。私たちにはいつも神様に感謝する理由があるのです。日々、神様への感謝の思いを神様に向かって表しましょう。神様のみ前に自分を低くし、神様を尊ぶ者を、神様は強めて、再び立ち上がる力を与えてくださいます。神様に感謝をささげることは、私たちの力なのです。

■喜ぶこと、祈ること、感謝することは、私たちの力です。そして、これが、キリスト・イエスにあって神様が私たちに望んでおられることなのです。終わりに、Ⅱコリント23:14を見てみましょう。「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通してキリストを知る知識の香りを放ってくださいます。」私たちはどのような状況にあっても、私たちの存在自体がキリストの香りを放っているのだということを知るべきだと思います。直接福音を語らなくても、私たちの行動や態度を通して、私たちは人々に福音の香り、キリストの香りを放つことができるのです。喜ぶこと、祈ること、感謝することは、誰かにキリストを伝えるために大きな力となるのです。それではお祈りします。