疲れている時に神様の力で生きること

2020年7月19日主日礼拝

メッセンジャー:ジム・アリソン牧師

 

列王記第一 19章1〜8節

「疲れている時に神様の力で生きること」

 

  コロナウイルスというマラソンが続いていますが、皆さんお元気でしょうか?

今年の初めにコロナによる問題がやってきた時私の勤めている所では、かなり急いで、活動のキャンセル、計画の延期、新しい計画の作成を始める必要がありました。 私たちは100メートルのレースに参加していたようで、すぐに呼び出されるような会議が多くあり、目を通さなければならないメール(主に日本語)が着実に流れて来てそれらは、本当に悪いことが起こる前に物事を整理しようしていたことでした。 しかし、それらの日々は今では数週間に、そして数か月になり、明確な終わりはまだ見えていません。 100メートル競争だと思っていたレースがマラソンになった気がします。 正直なところ、かなり疲れを感じ始めています。 814に授業が終わり夏休みが到来するまでの日数を、その間が長く感じ過ぎないように願いながら数えている、これが今の私の状況です。

 でも、仕事で生計を立てながら、小さな子供やひとり親の家庭で家事をしようとする人々はどうしているのでしょう? そのような無数の人々が経験していることを考えるだけで私は疲れてしまいます! 私たちが知っている、特に大変な状況にある人々に称賛と励ましの言葉を贈ることを忘れないでください。そして、彼らのために名前を挙げて祈ってください。

 このような諺を聞いたことがあるでしょうか。 「もし悪魔が、あなたを悪くすることができないなら、あなたを忙しくする。」 これは皆さんの信仰生活における体験として真実ではないでしょうか? 私はこれに少し追加したいと思います。もし悪魔が皆さんを十分に忙しくさせることができるなら、皆さんを疲れさせることもできる。悪魔が皆さんを十分に疲れさせることができるなら、皆さんは何もすることができなくなります。 物事は完全に停止することとなります。

 

 それが今日の聖書箇所でエリヤに起こっていることです。 私達は列王記第一19章でそれについて伺い知ることができます。彼は燃え尽きているのです。 遠距離ランナーはそれを「壁を打つ」(低血糖で走れなくなること)と呼んでいます。エリヤは自分の状況や自分の属する文化でそして歴史上のある時点における特別な何かを経験しています。そしてそれは2020年にここ日本にいる私達が日常生活を送る上でよく知っていることでもあると言えるのです。 それは疲弊、消耗ということです。人生をより簡単にし、より管理しやすくする方法を探している時に、あきらめてそこから立ち去ろうとする誘惑のことです。

 エリヤの物語は、聖書の物語が私たちに偉大なモデルとして信仰の英雄を与え、私たちがそのような者のようになりたいと鼓舞するためにあるのではないということを思い出させてくれます。 彼はここに示されている通り多くの弱点を持つ男です。聖書の物語はイソップ物語の寓話とは異なります。聖書の物語は、おもに私達が「物語の教訓」を得てそれを私達の生活で美徳を築く助けとするためだけに書かれたのではありません。 そのような役割もありますが、それは要点(ポイント)ではありません。それは、神様について、そして神様が人々とどのように相互作用するかについて書いてあるのです。神様が物語のヒーローであり、聖書は私達が神様とより深い関係へと進むのを助けるため私達に与えられています。 私達が疲れている時に、神様の力で生きることを学ぶということがその一例です。            

 

 先に述べたように、列王記第一19章では、エリヤは「万策休し、進退極まって」、もうやめようとしています。 しかし、そのような状況になる前までは正反対でした。 18章では、エリヤは期待以上の完全な成功者でした。 彼はバアルの預言者たちに立ち向かい、挑戦し、大きな勝負に勝ちます。 神様は天から火を起こし、エリヤが捧げた生贄を燃やし、それを受け入れますが、他の預言者の神にはできません。 エリヤ自身の手で犠牲のために雄牛を切り倒し、天国から降りてくる火を求め、エリヤの神様、エリヤ、および神様の民のための大きな勝利を得ることで、彼自身大きな危険を冒しながらも傑出したやり方で導きました。そしてイスラエルの多くの人々は主を信じ、以前は抗っていた主を崇拝するようになりました。 それからエリヤは、何ヶ月もの間、国に大きな苦痛をもたらしていた干ばつを終わらせるため雨を降らせるように祈ります。 そして干ばつは終わり、エリヤはアハブ王に、自分の国の首都に戻って良いと伝え王はそのようにします。そしてエリヤは(アハブが乗った)戦車に先立って24キロの距離を走るのです(列王記第一 1846節)。

 これ全部私がやったら疲れちゃうと思います。そう思いますよね。

 

 しかし19章で、アハブ王は妻のイゼベルにエリヤの大勝利について語りますが、 彼女は少しも気に入りません。 彼女は激怒しており、翌日中にエリヤが確実に死ぬと脅迫します(列王記第一 192節)。

 そして今や、エリヤの心の中では、物事が崩れ始めています。 私達がこの事を読者として理解するのは難しいかもしれません。 というのはエリヤはこれよりもずっと大きな困難を既に何度も克服しています。 いずれにしても、彼女の脅迫はおそらくはったりです。 彼女が本当に彼を逮捕して殺したかったら、彼女はたぶんそのようにするだろうからです。 代わりに、彼女は彼を脅して、彼を怖がらせて追い払おうとしているようです。 (「これをやめないなら、弁護士から連絡がいくことになるぞ」とかいうやつです)。読者である私達は、エリヤがイゼベルに立ち向かうことを期待しますよね。エリヤは神様の力を知っています。エリヤは大きな挑戦に直面する中で神様を信頼する意思を何度も示してきました。

 

 しかし、今、彼は何をしていますか? 彼は走っています。 南の国境に着くと、彼は僕(しもべ)をそこに残して、また走り続けます。 彼は従者を解任し、国の預言者としての仕事から、そして彼が仕えるように召された人々から離れます。 彼は「人のいない土地」荒野へ行き木の下に座り、すべてを放棄するつもりでいるように話し始めます。 彼は神様に「わたしの命を取り去ってください」と言います。(列王記第一194節)「主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません。」 (詩篇231節)というのではありません。パウロがコリント人への第二の手紙416節で言っている、「私たちはあきらめません。私たちの体はますます弱くなっていますが、私たちの霊は日々新たにされています 。」 というものでもありません。いいえ、エリヤはタオルを投げ入れて諦めるつもりでいるのです。

 

 第18章の「スーパーヒーロー」エリヤは、どうして第19章の絶望的な泣き虫になってしまったのでしょうか。 一つの考えとしては、彼が双極性精神障害だったということです。 今日のようにエリヤがメンタルヘルスクリニックに行くと想像してみてください。 何が起こりそうですか? クリニックのスタッフは躁状態の兆候を探し始めるでしょう。 彼らは18章の中の行動からその多くを見つけるでしょう。恐怖感覚の減退。そうですね。エリヤは預言者を殺しているイゼベル女王から預言者を隠すために洞窟に隠しています。そして彼は、王や王女がどう反応するかわからないまま、アハブ王に直接会いに行くことにしました。 危険な行動? はい、そうですね。偽預言者に対する罰が死だったときに、バアルの預言者との闘争に挑戦しました。 過剰なエネルギー?  はい、そうです。戦車から24キロも走って逃げました。対決的? はい、そうです。彼のバアルの預言者への非常に大胆な言葉によってです。 それは躁病の振る舞いによく似ていますね。   

 

 しかし、19章のエリヤを見てください。

 ここでは、うつ病の兆候が見えますか? 以前ほど活動的ではありませんか? はい、そうです。 以前は深く気にしていたことに興味を失ってしまっていますか? はい、そうです。 疲れていて元気が出ていませんか? はい、そうです。 食欲を失い、定期的に食べるのをやめていませんか? だからこそ、 天使が彼に食べ物を与えているのです。 彼の睡眠習慣に変化はありますか? はい、彼はこの短い物語の間、砂漠の木の下で2度寝ていますから。 彼は自分が無価値であるという気持ちを持っていますか? はい。彼は人生を終わらせることを考えていますか? 神様にそれをするように求めています。 彼は落ち込んでいるように見えますか?  この物語で説明している彼の状態を考えると、彼がそうでないと想像することは困難です。

 

  私は、数千年が経過した後、この物語にあるだけの情報量のみに基づいて、エリヤのメンタルヘルスを判断しようとすることにあまり興味はありません。 しかしこの物語は、身体的、感情的、精神的、または霊的な健康を維持しようと頑張っていて、疲れきった人達について私達に何かを語ってくれています。 もちろん、これは私達全てのことです。 そしてそれは精神疾患の症状を持つ人々にも特別な方法で話しかけています。それは多分皆さんや皆さんと共に生きている、愛する方かもしれません。 不安や憂鬱が高い状態にある人は、エリヤの(行動の)中に、自分自身の経験から知っていることを見つけるかもしれません。

 

 エリヤの物語は、強迫性障害や自閉症、依存症などの病気を抱えているために神様の仕事には決して用いられないと感じるかもしれない人々に対して強力なメッセージを与えてくれています。 エリヤは、神様が、内面で大きな苦悩を抱えている人々の生活の中でどのように働かれるかを示す顕著な例です。 神様はこの男性を助ける方法を見つけ、素晴らしい御業で仕えさせ続けます。そしてそのことによって数千年後も人々を助けているのです。エリヤが自分の内面的で個人的な苦悩によって神様のために働く場所がなく、価値をもたらす何物も持ち合わせていないと考えるのはとんでもない誤りです。 神様はそのようなことは全く考えておらず、教えてもいません。 神様は、私達の生活にどんな弱点、病気、痛みを伴う状況があっても、私達一人ひとりを完全に助け、人々を救う神様の働きのために用いて下さいます。

 

 繰り返しになりますが、聖書は、メンタルヘルス(精神衛生)、確固たる人格、道徳的な生き方の良い手本例私達に示してくれる偉大な人々についての本ではありません。 それは神様についてと、神様があらゆる種類の状況であらゆる種類の困難を抱える全ての人々の生活の中で働かれる方法について書かれた本です。それは、エリヤのような人と皆さんや私のような人々です。

 

 もし皆さんが体力が尽きて疲れ果て、燃え尽きて、死ぬことを考えていても、皆さんは孤独ではないことを知ることができます。 エリヤと彼の時代以降の他の者を含んだ、神様の最も偉大なしもべたちでも、自分達の限界に達していました。 彼らが学んだことは、私達が今日学ぶことができることです。神様は皆さんが絶望の中で生きることを望んでおられません。 皆さんは皆さんの疲労と燃え尽きた状態、絶望感の真ん中でも神様にお会いすることができます。 神様もそこにおられるのです。 神様は皆さんが何を必要としているのか、誰にもできない方法で皆さんを助ける方法を知っています。 人生の砂漠の中にいても、神様の救いの臨在を見つけることができます。

 

 エリヤが4の祈りの中ですべての苦い感情と不満をさらけ出した時(「主よ、私はもううんざりです。私の命を奪ってください。」)、神様の天使はどのように反応しますか? 何もなしです。神様は答えさえ下さりません。神様はエリヤを眠るようにして下さいます。どうやら神様はこの時点でエリヤが最も必要としていることがわかっておられるようです。しかしすぐに、適切なタイミングで、エンジェルフードケーキ(おそらくこの話はエンジェルフードの名前の由来です)と水を準備されて、エリヤを起こされます。「起きて食べなさい」と神様は言われ(5)、そしてエリヤに再び眠りの機会を与え、別の軽食を与えられます。エリヤが目覚めると、結局物事はそれほど悪くないかもしれないと感じ始めました。食べ物は彼に新しい強さを与えたのです。彼の問題はすべて解決されたわけではありませんが、彼は次のステップを踏んで前進する準備ができたのです。

 

 これはあまり霊的なことには思えないかもしれません。 昼寝 ? 軽食? そんなことですか? それこそが神様の癒しの手法のようなものなのです? 単純すぎるように思えるかもしれませんが、神様はこの単純な方法で、エリヤに、そしてこの話を通して私達にも、神様が共におられることを思い出させているようです。 神様の実在は私達が何よりも必要としているものです。そして、それがあれば、直面するのが難しい問題はありません。また、このエリヤの物語が示しているのは、皆さんができる最も霊的なことが、時には家に帰って睡眠を取るというものです。 神様に仕える偉大な人である預言者でさえ、神様と人々によく仕えるためには、休息と栄養という肉体的な必要を満たさなければなりません。

 

 世界中の多くの人々が今ズーム疲労と呼ばれるものを経験しています。 この何ヶ月もの間続いているパンデミックを経験し、毎日何時間も座って、人々の顔を、常に同じ顔が多いのですが、見ていて、多くの人々はうんざりし、疲れています。 皆さんは、何時間も仕事をしても通常の睡眠をとらずに働き続けることができ、さらにはネットフリックスやアマゾンプライムなどの数限りない映画や番組を見ても大丈夫なほど十分なエネルギーを持っている人だと思いたいのかもしれません。

 でも、エリヤの物語は、偉大な信仰の持ち主にも限界があったという現実を直視するよう私達に働きかけてくれています。

 神様の言葉をもたらし、主の強大な力を示すことによって歴史を変え、国家の指導者たちに影響を与えて、偉大な国を築いたこの人が、睡眠と栄養を必要とするなら、多分私達は、そのようなものが必要ないと決めつける前にもう一度考えるべきです。

 

 神様の言葉は、皆さんの肉体がいつも疲れ切っている時なら、常に霊的に新しくされる経験が絶対にできないということをここに示しています。 私達が肉体的に疲れ果てたままでいることを自分自身に許すなら、命を支える神様の霊の力で日々生きるために十分霊的に成熟し成長することはできません。 このパンデミックを乗り切るためにテレワークをしている時でさえ、絶え間なく活動し続けることを現代の私達の文化から強いられていると感じることがあるかもしれません。 私達は、常に睡眠不足でエネルギー不足のまま日々を簡単に終えることができます。 皆さんはそんなことを経験されたことがありますか?

 もしかしたら今そのような状態にあるかもしれませんね。 しかしそれは、神様が設計した人間の生き方ではありません。繰り返しますが、 エリヤの物語は、皆さんができる最も霊的なことは時々プラグを抜いて昼寝をすることだという真実を私たちに示しています(今ここでそのようにして下さいということを意味しているのではありませんが、神様が皆さんにそうするよう導くなら、ぜひ行ってください。直ぐに!)。

 

 私が今日皆さんと分かち合ったメッセージは、神様が御言葉によって与えられた他のすべてのメッセージと本質的に同じだと思います。 神様は皆さんを愛しています。 皆さんは、全ての人がそうであるように、神様にとって、今、この時に大事な存在なのです。皆さんの周りで何が起こっていようと、神様は皆さんと共におられます。そのことを知ることで、皆さんは皆さんの本当の必要がすべて満たされていることを知り、聖霊の導きの下で、神様の力と祝福の中で生きることを学ぶ素晴らしい機会を持てるのです。 それが今日の福音です。 そのことが皆さんに、荒野を横切って4040夜を行こうとも、またこの先何日も続く何かを皆さんが通り抜けるとしても十分な強さを与えてくれることを願っています。そうなるように祈りましょう。

 

 深き賢明なお父様、私の生活においてがいかに多くの点で弱く、壊れやすく、制限されているか私達が思い知る時、私を一人にされないことを感謝します。 あなたはエリヤにされたのと同じように、あなたの言葉と幾多の方法によりのところに来られます あなたは私にあなたの御手にあってむことを教えられ、私達が自分の足で立って戻り、もう一度私の人生の旅を続けるようにされます。 のような神様であられることを感謝致します。 あなたの変わらぬ優しさの贈り物を、それがどんな形であっても受け取れるように助けてください。 達がそれによって強められリフレッシュされ、新たにされ、あなた愛の力であなたと共に私たちの目の前にある毎日を進んで行けますように。 イエスの御名によって祈ります アーメン。

 

参考

 

Ortberg, J. (May 3, 2020). Hope Killers. Hope Has a Name. Menlo Park Presbyterian     Church. Retrieved July 12, 2020 from https://menlo.church/series/hope-has-a-              name#/modal/message/6503/mlo