主の熱心が成し遂げる

2019年12月8日主日礼拝 

「主の熱心が成し遂げる」イザヤ9:6~7 佐々木 俊一牧師

■10月にイスラエルへ行ってきました。ベングリオン空港に着いた後、地中海沿岸のテルアビブという大きな町のホテルに泊まりました。夜中の12時くらいにホテルに着きましたが、その途中町の中は昼間のようにたくさんの人が歩いていました。都会によくある風景がそこにありました。それとは対照的にエルサレムの町へ行くと、夜は店のほとんどが閉まり、通りはとても静かでした。町によって雰囲気がかなり違います。

 イスラエル全体がとても宗教的な国のように思われがちですが、単に伝統的なユダヤ教徒たちは非常に世俗的な生活をしています。そのような人々の方が圧倒的に多いのです。現在、世界にはおよそ1350万人のユダヤ人がいるそうです。以前は世界中に散って生きているユダヤ人の方が多かったのですが、最近ではそれが逆転して、イスラエルに住むユダヤ人の方が多くなってきていると、現地のガイドさんが言っていました。

 前回、エルサレムの西の壁で祈っている熱心なユダヤ教の人々の写真を見たかと思います。彼らはメシヤ(救い主)の到来を待ち望んでいる人々です。彼らにとってのメシヤとは、モーセやヨシュアやダビデのような強い指導者です。メシヤの到来によって確固たる強くて平和で豊かな国が彼らのためにもたらされることを待ち望んでいるのです。

 彼らのメシヤ像は弱いメシヤではありません。強いメシヤです。今日の説教聖書箇所、イザヤ9:6~7に書かれているメシヤです。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座について、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」このように圧倒的な力と正義によって悪い者を裁き、国を治め、永遠の平和を与えてくれるのがメシヤなのです。

    またゼカリヤ書14章にも強いメシヤを見ることができます。9節では、「主はすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。」11節では、「そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む。」12節では、「主はエルサレムを攻めに来るすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目は瞼の中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。」です。非常に残酷な表現のように聞こえますが、敵から圧倒的な力で彼らの国を守ってくれるが彼らのメシヤなのです。

 ですから、彼らにとって、イザヤ書53章のメシヤ像、つまり、人類の罪を贖い、赦すために代わって死んだ弱いメシヤは、彼らのメシヤではありえないのです。

■11月24日に佐々木和之さんがエレミヤ書29章4節から10節をとおしてメッセージを語ってくれました。バビロンに降伏して先に連れて行かれたユダ王国の王と王室の人々やエルサレムに住んでいた人々にエレミヤは手紙で神様のことばを伝えました。その手紙の中でエレミヤは、70年が満ちたらイスラエルの地に戻って来ることができるのだと、だからその時まで、バビロンの地でその国と自分の家族のために一生懸命働くように伝えたのです。しかし、エレミヤとは違う預言を語る預言者たちがいました。彼らは、あともう2年したらバビロン王の支配から解放されて、捕らえられている人々をイスラエルの地に連れ戻す、だからもうしばらく抵抗を続けるようにと預言していました。みなさんだったら、どちらを信じたいですか。エレミヤの70年という預言ですか、それとも、もう一方の預言者たちがした2年という預言ですか。支配される期間が短い方がいいに決まっています。ですから、捕囚されずに残っていたユダヤの人々はもう少し頑張ればこの戦いに勝利できるのだと信じて、バビロンに抵抗しました。その結果、彼らは剣で殺され、ごく少数の者たちだけが生き残ったのです。しかし、エレミヤの預言に従ってバビロンで生き延びた者たちやその子孫たちは、エレミヤが言ったように70年の月日が満ちた後、無事イスラエルに戻って来ることができたのです。

■ここで先ほど出て来た3人の預言者たちについて少しお話ししたいと思います。まず、イザヤは、ユダ王国のウジヤ王、ヨタム王、アハズ王、ヒゼキヤ王の時代に活躍していた預言者で、紀元前700年代の人です。イザヤが活躍していた時期に北王国はアッシリヤに捕囚され、南王国(ユダ王国)はイザヤが亡くなってから100年後くらいにバビロンに捕囚されました。エレミヤは、ユダ王国のヨシヤ王、エホヤキム王、エホヤキン王、ゼデキヤ王の時代に活躍した預言者で、紀元前600年代の人です。エレミヤの時代にユダ王国はバビロンに捕囚されました。ゼカリヤは、イエス・キリストの系図にも出てくるユダの総督、ゾロバベルと共にバビロン捕囚から戻って来た預言者の一人で、紀元前500年後半から紀元前400年前半にかけて活躍した預言者です。神殿再建のために、預言者としてゾロバベルの下で活躍した一人です。

 彼らの預言した事柄の中には、旧約時代に成就したことと、イエス・キリストの誕生と共に成就したことと、イエス・キリストが天に戻られてから現代に至るまでの間に成就したことがあります。そして、彼らを通して語られた事柄の中にはまだ成就していないことがあります。

■バビロンに降伏を迫られて降伏してバビロンに連れて行かれた者たちは生き残りました。その中には、ヨシヤ王の孫であるエホヤキン王がいました。エホヤキンがバビロンに連れて行かれた後は、その兄弟、ゼデキヤがユダの王になりました。ゼデキヤは、あと2年でバビロンから解放されると言う偽預言を信じて反逆しました。その結果、自分の子どもはみな殺しにされ、その上に両目をくり抜かれてバビロンの牢獄に閉じ込められたまま死んでしまったのです。

    エレミヤの預言には重要な役割があったと思います。それは、メシヤの到来に至るまでその家系を守ることです。メシヤはダビデの家系から出るのです。エホヤキンの後、エルサレム総督になったゾロバベル(ゼルバベル)はダビデの子孫です。それから500年後のマリヤの夫ヨセフへとはっきりした系図でもってつながっていくのです。マタイの福音書1章を見ればわかります。

■神様から何かことばや導きを受けた時に、私たちは、自分のこだわりや自分の好む方を一時お預けにして、神様の導きやことばを吟味することが必要な場合があると思います。バビロン捕囚の時のエレミヤの預言がそうでした。あの時、先にバビロンに連れて行かれた人々は奴隷にされるくらいなら死んだ方がましだと思ったのではないでしょうか。けれども、そんな彼らのところにエレミヤの預言が届けられた時、彼らの内に信仰が湧き出てきて大きな希望と慰めと励ましになったに違いありません。70年と言う年月はとても長いです。もう自分は戻ることができないかもしれないと思ったのではないでしょうか。しかし、子どもや孫がイスラエルの地に戻ることができるかもしれない、そう思った彼らは、バビロンの地でその国のため働き、家族のために働いて、次の世代を生み育てることを選んだのです。そして、エレミヤの預言の通りに、70年後、彼らは戻ることができました。

 自分のこだわりや好みに執着するならば、神様のみこころが見えなくなってしまうことがあります。たとえば、ユダヤ人にとって十字架にかけられて死んだイエスがメシヤであると信じることは非常に受け入れがたいことです。ですから、イザヤ書53章を読んだとしても、それがメシヤのことを言っているのだと言うことは到底理解できません。また、クリスチャンの中には、イエス・キリストが十字架に死んで贖いのわざを成し遂げられたので、もうユダヤ人への約束や祝福は終わったと思い込んでいる人々がいます。しかし、それもまた聖書的ではありません。彼らへの賜物と召命は変わることはないとパウロは言っています。両者ともに自分たちのこだわりを一時お預けして、今一度神のことばである聖書を読んでみることが必要なのではないでしょうか。

 ユダヤ人に対する神の約束と祝福はまだ終わってはいませんし、この救いは、ユダヤ人と異邦人両方のためにあることが、エペソ書2章に書かれてあります。エペソ2:17を見ると、「それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。」とあります。遠くにいたあなた方とは、ユダヤ人でない人々であり、近くにいた人たちとはユダヤ人のことです。ユダヤ人にも異邦人にもイエス・キリストによって救いがあるのです。そして、18節にあるように、両者ともにキリストによって御霊が与えられ、その御霊によって父なる神と平和な関係を回復することができるのです。そして、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、イエス・キリストを信じる者はみな、神の御国の民、神の家族となるのです。

■神様の一つ目の目的は成就しました。神のみ子なるキリストはこの地上に人となって来られたのです。そして、十字架に死んで三日目によみがえられました。すべての人の罪は完全に贖われて、一つ目の目的は完了したのです。そして、イエス様は天に戻られる時、何と言われましたか。使徒の働き1章に書かれています。再び、この地上に戻ってくると言って天に戻って行かれました。イエス様は再びこの地上に戻ってきます。神様の二つ目の目的を成し遂げるために再び戻って来るのです。

 イザヤ書9章6節と7節のことばの中でまだ成就していない部分はいつか必ず成し遂げられます。ユダ王国の人々へのエレミヤのことばが70年後に成就したように、このイザヤのことばもいつか必ず成就します。

 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座について、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

■主の熱心が成し遂げます。エレミヤが預言した時、主の熱心がエレミヤを通して人々に伝わりました。しかし、エレミヤを通して主の熱心が伝わらなかった人々もいました。伝わった人と伝わらなかった人がいたのです。伝わった人は神のことばの成就を見ることができました。私たちもエレミヤのように主の熱心を伝える人になりたいと思います。また、エレミヤを通して主の熱心が伝わった人のように、主の熱心が伝わる人になりたいと思います。主の熱心を伝える人と主の熱心が伝わる人の両方になりましょう。

 私たちは主イエスの到来を待ち望む者でありたいと思います。一回目は弱いメシヤだったかもしれません。しかし、2回目はユダヤ人が待ち望んでいるような、イザヤ書9::6節~7節に書かれているような、力強いメシヤです。

 イエス様はいつ戻って来られるかはわかりません。私たちは、主の到来を私たちの次の世代に主の熱心が伝わるように伝えて行かなければなりません。それではお祈りします。