希望をつなぐ

札幌オープンドアチャペル礼拝

エレミヤ書29章4~10節 

「希望をつなぐ」

佐々木 和之

 

挨拶と感謝

 

ルワンダで与えられたみことば

今朝の聖書の箇所は、「涙の預言者」と呼ばれたエレミヤが、紀元前597のバビロン第2次捕囚で難民生活を強いられているイスラエルの民に宛てた手紙の中の一節です。エレミヤは国のために祈り、精一杯に神の言葉を預言しますが、当時のイスラエルの指導者や人々から拒絶されました。それは、「バビロンの王ネブカデネザルに屈服しなさい」という人々が聞きたくない預言をしたからでした。今日の箇所でも、エレミヤは人々におもねることなく、神の言葉を語っています。

私はこのみことばを、実は今年の10月初め、ルワンダで参加した礼拝の説教を通して新たに与えられました。当時私は、とても陰鬱な気持ちで過ごしていました。と言いますのは、9月下旬、ルワンダの野党政治家の殺害事件が起きたからでした。ルワンダは多数政党制をとっていますが、実質的には一党支配体制で、政権与党に批判的なスタンスを取っている政治勢力は一政党だけです。その政党のナンバー2である男性が、二人組の男により刃物で数ヵ所刺された後、のどを切り裂かれて殺されました。二人の容疑者が既に逮捕されていますが、殺害の動機は不明のままです。

実は、この政党の主要メンバーが殺害されたり行方不明になったのは、今年に入りこれで4件目です。殺害の背後に誰がいるのか不明ですが、政権与党の関与を疑う者は少なくありません。カガメ大統領率いるルワンダ愛国戦線が1994年7月に権力を掌握して以降、政権に批判的な団体や個人への弾圧が一貫して続けられています。ルワンダは現在、報道の自由度ランキングで155位。この数字が示すように、国民の政治的自由が極度に制限されたままです。目覚ましい経済成長と先進的な社会政策ゆえに「アフリカの奇跡」とも呼ばれるルワンダですが、真の平和への道のりは遠いのです。今回の事件を通し、「夜明け前の状態にある」ルワンダの現実を突きつけられ、心が沈んでいる時に今日のみことばが与えられ、勇気づけられたのでした。

皆さまは今、どのような文脈の中でこのみことばを聞かれているでしょうか?今この時、このみことばが、主にある希望を与えるみことばとして、皆さんの心に響いているでしょうか? 

 

希望の約束を受け入れられないイスラエルの民

バビロンに強制的に連行されたイスラエルの民は、その捕囚の生活から早く解かれて故郷に戻れると言う夢を抱いていました。それが出来るという預言者たちの言葉を信じていたのです。その希望の故に、異郷の地バビロンに馴染もうとはせず、落ち着かない生活を送っていたことでしょう。

その彼らに対して神は、「家を建てて住み、そのに果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように」と言われました。つまり、「その土地に根差して生きよ!」と言われたのです。そればかりか、自分たちをひどい目に合わせたバビロン王国の平和のために祈れとまで言われたのです。

このエレミヤの預言を捕囚の民はどのように聞いたのでしょうか?「私たちの希望は、すぐにでも故郷に帰ることだ。それを神が実現してくださると預言者たちも言っているではないか。エレミヤ、あなたの預言は到底受け入れられない」、と言ったのではないでしょうか。

そのような捕囚の民に対して、神は続けてこう言われました。「70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない」(10~11節)。

これは、「あなたたちを私は顧み、故郷に必ず連れ戻す、そして本当の平和をあなたたちに与える」との約束の言葉です。しかし、この神の約束の言葉を捕囚の民はどのように聞いたでしょうか?「70年?そこまで待たなければならないのですか?」と思った者が少なくなかったことでしょう。それは、それを聞いたほとんどの人々にとっては、自分自身が捕囚を解かれ、故郷に帰ることはできないことを意味する言葉、絶望を強いる言葉であったからです。

 

神の希望に生きる

ここで、クリスチャンとして神が与えてくださる希望に生きるとはどういうことか、今回私なりに考えたことをお分かちしたいと思います。三つのことを申し上げます。

まず第一に、神が与えてくださる希望の約束は、神ご自身の時が満ちた時に実現する、ということです。それが自分の生涯のスパンと合致するかどうかは分からないし、そうでないことの方が大いことでしょう。それでは私たちは絶望せざるを得ないのか?否、私はそうは思いません。なぜなら、私たちにはその希望をつなぐことが許されているからです。私たちの子に、孫に、若者たちに、私たちは神から与えられた希望を引き継ぐのです。若者たちはその希望を受け継ぎ、また次の世代に引き継いでいきます。この様にして、私たちは神の希望の民として生き続けるのです。

 

第二に、神が与えてくださる希望に生きるとは、決して安全や幸福が保証された中で生きることではありません。神の希望の事柄が実現するプロセスにおいて、自分自身が喜ばしい状況に置かれているとは限りません。もしかしたら、自分はその中で、さらなる苦難を負わされるかもしれません。神の救いの働き、平和と和解の働きに私たちがより深く預かっていく中で、私たちは苦難を得るのです。しかし、私たちはそのような中でこそ、私たちを愛してやまない神が共にいてくださり、その苦難を共に担ってくださると信じて歩むのです。

第三に、神が与えてくださる希望に生きるとは、「心を尽くして」神を祈り求める歩みであります。それは、神がやがて平和を与えてくださる、全ての苦しみから私たちを解放してくださるという約束に信頼しつつも、神の具体的な計画が何なのかを祈り求める歩みなのではないでしょうか。時にはその計画が分からなくなって「神様あなたの計画はどうなっているのですか」と神に向かって叫びを上げる歩みでもあるはずです。またそれは、神の平和の計画に自らも参与していく歩みであり、その神の救いの働き、平和と和解の働きに自らがより深く預かっていく歩みであることでしょう。そのような歩みの中で、「あなたたちは私を見出し、私と出会うことが出来る」、と神は言われるのです。

ここで、これらのことを私自身の人生に引き付けて考えたことをお分かちしたいと思います。私は、横浜の牧師の家庭に生まれました。生まれてから高校3年生までは、父が牧師をしていた横浜にある教会の牧師館に住んでいました。自分がその牧師館に暮らしていた、まだ幼稚園や小学校に行っていた頃の思い出がたくさんありますが、そのうちの一つは、家族で食卓を囲み、共に祈った食前の祈りに関する思い出です。もう50年近く前のことになるわけですが、私はその食前の祈りで、平和のための祈りがなされていたことを今でも覚えています。当時まだ続いていたベトナム戦争が一日もはやく終結するようにとの祈りがなされていたのです。ベトナム戦争は、1955年から1975年の20年間続きました。その泥沼の戦争により少なくとも700万人以上の人々が犠牲になりました。私は1965年12月生まれですから、私が生まれる前からその戦争が始まり、9歳になるまで続いていたのです。私が物心ついたころから9歳まで、ベトナム戦争の終結を求める祈りが私の家の食卓でなされていたのです。私の名前は和之、平和の和に之と書いて和之と読みますが、私の両親は、「あなたがた平和を創りだす者たちは幸いだ。彼らは神の子と呼ばれるであろう」というみことから私を名付けたそうです。「この子を平和のために働く者にしてください」との祈りを込めて私をそう名付けたのです。両親のその祈りが、またあの食卓の祈りが、私を形作っていったと言っても過言ではないと思います。

そして、最近気づいたのですが、子どもたちと共に世界の平和のために祈るということを、私も自分が家族を持ち、子どもたちが与えられた後、食前の祈りのなかでしてきたのです。その祈りの一つが、1990年代に家族で過ごしたエチオピアに「平和をもたらしてください」、との祈りでした。エチオピアと隣国エリトリアとの戦争は1999年に勃発し、両国が和平合意を結んだのは実にその20年後、昨年のことでした。和平合意が実現し、20年ぶりに両国の国交が回復したとのニュースを受け、とても嬉しく思っていた時、今27歳になる私の娘が彼女のフェイスブックに書き込みをしました。その書き込みはこのようなものでした。

今回のことがとても嬉しい… エチオピアに引っ越したころからずっと家族の会話にはエチオピアとエリトリアの戦争があった。食前のお祈りでも本当に小さい頃から「エチオピアとエリトリアの戦争が一日でも早く終わりますように」とお祈りしていた。その両国が平和条約を結んだことは、長年の願いと祈りが答えられた気持ちです。これからどのように関係を再建して行くかが試練ですが…でも平和のために祈っていきたい。

私はこれを読んで、率直に「たとえ短い言葉でも家族で祈り続けるって大事だなー」と改めて思いました。このように私たち夫婦が、私たちの親たちから受け継いだことの一つが、食前に家族で共に平和のために祈るということでした。私はそれが、私の子どもたちの家族にも受け継がれていくことを心から願っています。

 

希望をつなぐ民として

私たちは神の民の一員として、私たちの信仰の先輩達から神が示してくださった希望を受け継いできました。災いではなく、平和の計画を受け継いできたのです。私たちはそれを私たちの子へ、孫へ、若者たちへと引き継いでいかなければなりません。しかし、「心を尽くして」神の御心を祈り求めつつ、具体的に平和と和解のために祈り、たとえ小さくても、そこで示された具体的な行動を積み重ねていくことなしには、本当の希望が若い世代によって受け継がれていくこともないでしょう。祈りは行動を生み出し、そしてその行動はまた私たちをより具体的な祈りへと導くのです。

 

「わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見出し、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」

 

私たちを愛して止まない神、希望と平和の計画を必ず私が実現すると言われる神を信じ、私たちは希望をつなぐ神の民として、共に祈り、共に働き、共に歩んでまいりましょう。