恵みの7年間

2019年1月27日主日礼拝「恵みの7年間」創世記41:46~57 佐々木俊一牧師

■今年の4月で、オープン・ドア・チャペルに来てから11年になります。そして、オープン・ドア・チャペルの牧師として働き始めてから10年になります。時がたつのは本当に早いもので、あっという間でした。私の人生の6分の1はオープン・ドア・チャペルです。

  10年前の牧師就任式の時の資料を開いてみました。2ページ目の当教会の按手理解の3.「教会の委託として」のところを読んでみたいと思います。

  「教会は、両牧師を主によって立てられたリーダーとして、教会形成の基である御言葉と祈りによる霊的リーダーとして、その職務への信頼を表すと共に、会衆一人一人が御言葉に、牧師と共に、協力牧師と共に、教会の宣教の使命を担うことをあらわします。私たちは、この式典を牧師に対する職務の委託と信頼を表すために行います。牧師を牧師として、協力牧師を協力牧師として、さらに教会を教会として、世にあらしめるのは、主イエス・キリストの御言葉と聖霊による働きにあることを覚え、この式典が他教会・伝道所との交わりのうちに、聖霊のわざがあらわれるように共に祈り求めるべき式になることを願います。牧師の按手については、伝統的な理解から、さまざまに多様な理解に広がっており、オープン・ドア・チャペルにおいても、その多様性を理解しつつ、「儀式としての按手礼」というよりも、聖霊のわざがあらわれるように共に祈り求めるべき式となることを願い、「按手礼式」ではなく、「按手祝福式」と致しました。」こう書かれていました。すばらしい告白ですね。

  また、そこには私の召命告白も載っていました。こんなことが書かれていました。

  「私たち家族は、ゴスペルライブで関わりのできたオープン・ドア・チャペルの礼拝に出席するようになりました。2008年9月14日、私たちはオープン・ドア・チャペルの教会員として受け入れられました。それから、牧師招聘の話が正式にあり、祈った末に、引き受けることにしました。正直に申しますと、私はオープン・ドア・チャペルの牧師として立つことには自信がありませんでした。と言うのも、私には何か特別優れた能力があるわけでもなく、また、資格があるわけでもありません。反対に、私の方こそ教えてもらわなければならないことが多くあるのではないかと思うほどでした。自信のない私に妻は言いました。「イエス様を愛していれば、大丈夫。」 確かに、ヨハネの福音書21章を読むならば、そのように思います。自信を失っていたペテロに、イェス様は3度、「わたしを愛しますか。」と問われました。そして、「わたしの羊を牧しなさい。」と言われたのです。このところを読んで、私は大変励まされました。私には見栄えするものが何もないけれども、私はイェス様を愛しています。イェス様を愛していることが、何もない私にとって、主に仕えることの原点だと思うのです。」

  私自身、そのようなことを思って牧師招聘を引き受けたのだなあと、忘れていた記憶がよみがえってきました。

■さて、今日は、今から3500年から4000年前の時代を生きていたヨセフのエピソードからお話をしたいと思います。彼は、ヤコブの12人の息子のひとりであり、11番目に生まれた息子でした。今日の聖書箇所には、エジプトの王様、パロが見た夢を解き明かしたヨセフが、獄中生活から解放されただけではなくて、エジプトの王様の次に偉い人になったことが書かれています。

  聖書を読むと、ヨセフには子どもの頃から夢を解き明かす能力が与えられていたことがわかります。新約聖書で言うところのカリスマ、聖霊の賜物です。賜物とは、贈り物のことであり、ギフトとかプレゼントのことです。ヨセフの夢を解き明かす能力は神様によって与えられた能力であり、神様から与えられたギフトでした。

  30歳でパロの次に偉くなったヨセフは、パロが見た夢に従って初めの7年間の豊作の時代に、後から来る7年間の飢きんに備えるために食糧を蓄えました。ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多く蓄えたとあります。そのうちに量り切れなくなったので、量るのをやめたと書いてあります。それほどまでに神様は祝福されたので、豊作の7年間にありあまるほどの穀物や食糧を蓄えることができました。そして、ヨセフには二人の子どもも与えられました。ヨセフにとってこの7年間は公私ともに祝福された年であったのです。

  しかし、ヨセフが言ったとおりに、7年の豊作が終わると、7年の飢きんがやって来ました。その飢きんはすべての国に臨みました。やがて、エジプトの民に食糧がなくなってしまいました。そこで、パロは言いました。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ」と。そして、ヨセフは穀物蔵をあけて、穀物をエジプトの民に売ったとあります。それによって、エジプトの民は7年間の飢きんを乗り切ることができました。

  その後、世界中の人々が穀物を手に入れるために、エジプトのヨセフのところに来たとあります。ヨセフの家族が暮らしていたカナンの地にも飢きんが襲いました。このことがやがて、兄たちの妬みによって奴隷としてエジプトに売られてしまったヨセフと父ヤコブや兄弟との再会を導くことになるのです。                            

■ヨセフにとって7年間の豊作と7年間の飢きんの時代、合わせてこの14年間は神様の大きな恵みを見る時となりました。無実の罪によって長い獄中生活を強いられていたヨセフはついに解放されることとなりました。それだけではなくて、エジプトでパロの次に偉い人になって実際に政治を動かす人になりました。そして、結婚もし、二人の子どもも与えられました。

  ヨセフがエジプトでパロの次に偉くなった時、兄たちの妬みによって奴隷としてエジプトに売られてから十数年が経っていました。この間、苦難の連続でしたが、ヨセフと共に神様がいなかったわけではありません。神様はいつも共にいたのです。そして、見守ってくださっていたのです。ヨセフに起こった苦しい出来事は、神様の支配の中で、神様の許しの範囲で起こった出来事です。この時、ヨセフは真の神を信じる者として訓練され、成長したのです。そして、神様のみこころとみわざがヨセフの人生に豊かに現されました。 詩篇105:16~24を見てみましょう。

  「こうして主はききんを地の上に招き、パンのための棒をことごとく折られた。主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。王は人をやってヨセフを解放し、国々の民の支配者が、彼を自由にした。王はヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者とした。これはヨセフが意のままに王の高官を縛り、王の長老たちに知恵を与えるためだった。イスラエルもエジプトに行き、ヤコブはハムの地に寄留した。主はその民を大いにふやし、彼らの敵よりも強くされた。」

  この詩篇の箇所も今日の聖書箇所も、救い主イエス・キリストを表しているところでもあります。ヨセフを通して救い主なるお方のことを表し、救いのことを知らせるというのは、神様の意図であると言ってよいでしょう。

  ヨセフの人生の流れは、パロの見た夢の解き明かしを機に向きが変わり始めました。

神様は私たちと共におられます。たとえ、苦難の中にあって、神様は共のおられるのだろうかと思われるような時でさえも、神様は共におられるのです。そして、ヨセフの時のように、必ず、人生の流れの向きが変えられるときが来るのです。神様はあなたの人生においても神様のみわざをなしたいと願っておられます。

■先ほど、私はオープン・ドア・チャペルに来て11年、牧師として働き始めてから10年と言いました。ふり返ると、私たち家族は幾度かの大きな困難を経験しました。皆さんも同じかと思います。その中の一つが11年前に私たち家族に許された状況でした。私は江別で1997年4月から開拓伝道を始めました。それから、11年間江別で牧師として働きました。教会堂はなくて、市民会館の一室を借りて礼拝を行っていました。子どももいれて20名くらいの教会になりました。しかし、結果的には、2008年3月教会を閉じることになりました。その時のことを思い起こすと、それでも、私はいつかまた教会を始めたいと考えていました。けれども、11年間の働きの中で妻は精神的にとても傷ついていました。これは、牧師夫人によくあることなのです。妻は鬱的になり、教会を始めることには否定的でした。牧師夫人はもう二度とやらないと心に決めていたようです。これからどうするのかを二人で祈り、考えました。そんなところに、神様の不思議な導きの中で、三熊さんからの連絡を受けました。私たち家族は2008年4月からオープン・ドア・チャペルの礼拝に出席するようになりました。その頃の祈りの課題が私の手帳の中に書いてあります。前にも一部お話ししたかと思います。・・・・この10年の間にこの祈りのすべてが聞かれています。本当に神様は良くしてくださるお方です。

  先ほどヨセフのお話の中で7年の豊作と7年の飢きんのお話しをしました。オープン・ドア・チャペルに来てから7年間、ある意味私たちにとって経済的に豊作の期間であったと言えるのです。妻は札幌で50歳を過ぎていいところに就職することができました。江別では絶対に不可能な待遇です。そして、私もオープン・ドア・チャペルの牧師として働けるようになりました。ふたりの収入を合わせると、私たちにとっては十分すぎる収入でした。子どもを大学に行かせるお金も与えられました。しかし、このようなことはいつまでも続きません。7年間の豊作は本当に神様からのプレゼントであり恵みです。2015年3月で妻は定年退職しなければなりませんでした。その後の家賃の支払いが私たち家族にとって大きな負担でした。もっと家賃の安いところに引っ越す必要がありました。けれども、その選択はやめました。私たちは、その時すでに5年半で500万円を家賃のために払っていました。それを考えると中古のマンションを買った方がよいという結論になりました。管理費と修繕積立金合わせて20000円以内の中古マンションを探しました。いい物件がなかなか見つかりませんでした。しかし、ついに見つかりました。そして、買うことができました。それも7年間の豊作時代があったからです。今はその時の3分の一の収入になりましたが、妻と私二人が生きていくには十分な額です。これもすべて神様からの賜物であり、恵みです。

■私たちは誰でも困難や苦難の中を通らされます。そのような中にあっても、神様から目を離さないでください。神様は共におられます。そして、神様から与えられている賜物や受けているものをどうか神様のみこころのために用いておいてください。神様はそれをけっして無駄にはしません。神様のなさることには何一つ無駄なことがありません。どんなことでも用いて益としてくださいます。どんな困難や苦難の中にあったとしても、主に信頼しつつ、主に忠実にたんたんと仕えておいてください。そのうちに、必ず流れは変わり始めます。そのことを信じて進んで行きましょう。