秘密の場所で組み立てられた!

2021年6月13日主日礼拝「秘密の場所で組み立てられた!」

詩篇139:13~18 佐々木俊一牧師

 

■新型コロナウィルスによるパンデミックも一年半になろうとしています。このパンデミックによって世界はガラッと変わった感があります。今まで隠れていたことが、このパンデミックを通して明らかにされたことがあります。たとえば、中国の一帯一路は世界にとって有益なものだとの認識がありました。EUの国々もアジアやアフリカの国々も、どちらかと言うとその計画を歓迎していました。しかしながら、将来を見据えていた中国共産党には、一帯一路によって世界制覇の野望があることが見えてきました。現在は、中国の一帯一路構想に対して好意的だった多くの国々が警戒感を持つようになっています。

 そして、パンデミック当初、武漢研究所から新型コロナウィルスが流出したのではないかとの見方がありましたが、多くの人々がそれは陰謀論であると言って否定していました。ところが最近、武漢研究所流出説や人工説が再燃しているようです。断言はできませんが、その可能性が否定できない状況になっています。

■この前の日曜日、NHKスペシャルで、「2030未来への分岐点 “神の領域”への挑戦~ゲノムテクノロジーの光と影~」という番組をやっていました。ゲノムテクノロジーとは、遺伝子操作や遺伝子組み換えのことです。ゲノムテクノロジーが一番進んでいるのはどこの国だと思いますか。アメリカではなくて、中国です。その特許申請は、現在中国がアメリカを抜いて一番なのだそうです。

 中国と言う国は中国共産党による一党支配です。中国共産党によってデジタル管理された監視社会なのです。中国憲法は宗教の自由を認めていますが、実際にはそうではありません。中国共産党員は、唯物論者であって、この地上の事だけがすべてであると考えている人々です。彼らは無神論者ですから、神の存在を否定し、人としての倫理観や道徳観がありません。彼らは自身の欲と利益のためにはどんなことでもするのです。そんな彼らがゲノムテクノロジーを研究しているのですから、世界にとってこれほど大きな脅威はありません。

 今、世界中で、遺伝子操作技術の研究が進められています。難病克服や食糧危機回避のためにそれらの技術が用いられていることは良いことではあります。今回の新型コロナウィルスワクチン開発のためにもこの技術が用いられているようです。ただ、心配なことがあります。それは、世界ではこれらの技術が悪用されないための規則がほとんど整っていないと言うことです。人類を支配したり、殺したりする生物兵器をも作り出せる技術であるにもかかわらず、お金のためや興味本位にすでにこの技術が世界中で急速に進んでいるのです。

 この番組で、中国のゲノムテクノロジーの現状について知ることが出来ました。難病や食糧危機を克服するためにさらなる新しい技術を開発しているのは良いとして、クラゲの遺伝子を組み込まれたネズミの耳が暗闇で緑色に光ったり、さらには、人間とゴリラの遺伝子を編集して将来的にその合成生物を作り出そうとしたり、遺伝子操作によってより優れた人間を作る、デザイナーベイビーの研究をしたり、その現状には愕然としました。中国共産党は、遺伝子操作に対し少しも躊躇することなくアクセル踏み続けているのです。他国では許可されないことが、中国では許可されるのです。ですから、遺伝子操作によって強力な新型コロナウィルスを作る研究だってあり得ないことではありません。

 このまま人の欲望に従って進むならば、遺伝子操作は必ず手が付けられないほどに暴走してしまうことになるでしょう。人間自らの手で自分たちの首を絞めることになり、本当に恐ろしい時代がやって来るでしょう。このパンデミックの前には、ここまで危機感を感じたことはありませんでした。イエス様が再びこの地上に来られて、イエス様にこの地上を治めてほしいと願うばかりです。

それでは、レビ記19:19を見てみましょう。

■レビ19:19「あなたがたは、わたしのおきてを守らなければならない。あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。」

 創世記を見ると、神様は、植物や動物をその種類に従って創造し、それを見てよしとされたことが書かれています。たとえば、犬にはいろいろな種類がありますが、犬同士であれば、次の世代が生まれ、また、次の世代も生まれます。けれども、馬とロバの間ではそうではありません。馬とロバは見た目似ていますが、種が違うのです。馬とロバの間に生まれるのはラバと言われています。ラバとラバの間では次の世代は生まれません。しかし、ラバと馬の間では次の世代が生まれるそうです。でも、生まれるのはラバではありません。馬かロバだそうです。種が異なると、次の世代は続かないのです。それが神様のみこころだからです。

 レビ19:19を見ると、とても不思議に思えることがあります。「二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。」その前後の文脈の内容を見ると、どういう関係があるのだろうかと思ってしまいます。調べてみると、二種類の糸で織った衣服を着てはならないと言っているけれども、実際には、大祭司が身に着けている衣服の中には二種類の異なる糸で織られているものがあるようです。それが聖なる衣服であるゆえに、一般人は身につけてはならないとの説明がありました。また、他方では、異教の祭司が偶像礼拝を行うときに着ている衣服が二種類の異なる糸で織られているために、異教の風習を取り入れないように禁じているのだと言う説もあるようです。現代においては、異なる二種類の糸で織った衣服は誰でも普通に着ています。それにしても、異なる種類の植物や動物を交配させてはならないとの命令の後に、異なる二種類の糸で織った衣服を着てはならないなどと言う命令があるのは、腑に落ちないことだと私は感じます。

■最近、一つ学んだことがあります。遺伝子を作る4つの塩基は文字の役割で、遺伝子は文の役割で、染色体は一冊の本の役割であるという説明を見つけました。このような形で体の中で情報伝達が行なわれているのです。とてもわかりやすい説明だと思います。

 ところで、二本の糸と言ったら何を連想しますか。私は遺伝子の二重らせん構造を思い出します。二つの糸が絡まっているように見えます。あるいは、対になっている染色体を思い起こします。人の場合は、父から23本、母から23本受け継ぎます。一本一本の染色体を引き延ばしていくと、2重らせん構造の遺伝子が見えてきます。その間に4種類の塩基がいろいろな組み合わせで並んでいます。それらは言語のように用いられて情報のやり取りをしながら体を組み立てたり動かしたりしているのです。

 異なる種の遺伝子のミックスによって造られた体は、神様の設計図にはありません。人の霊は神様によって設計された体に住むのがふさわしいのです。ゲノムテクノロジーは、神の領域にまで人の手を入れてしまう恐れのある分野なのだと思います。先ほども言いましたが、人間とゴリラの中間の生物を遺伝子操作によって作ろうとしたり、より優れた人間を作るために遺伝子編集をしたりするような試みは、レビ19:19で言っていることではないだろうかと、私は思いました。

 次に、詩篇139篇を見てみましょう。

■詩篇139:13~14「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」

 139篇は、今から3000年前に書かれたダビデの賛歌です。ダビデは神様に向かって高らかにこれらのことばにメロディをつけて歌ったのです。神様が母の胎のうちでダビデの内臓を造り、ダビデの体を組み立てるように(糸を編み合わせるように)造ってくださったことをほめたたえているのです。ページ下の注釈に、内臓のことを腎臓とも書いてありますが、体の奥の奥、深いところにあるものを意味しています。その意味で霊とかいのちと言う意味にもとれることばだと思います。ですから、神様はダビデの霊といのちを造り、母の胎のうちでダビデの体を組み立てたと言うことになります。ダビデは、自分が神様によって造られた者であることを信じていました。自分の霊も魂も体も、本当に恐ろしいほどに精巧に素晴らしく出来上がっているので、畏敬の念をもって神様を賛美しているのです。神様のみわざは本当に素晴らしいものであると、ダビデは感動しているのです。

 私たちはどうでしょうか。私たちは、なんで自分はこんな風に生まれて来たのだろうかと、思ったことはないでしょうか。私は思ったことがあります。他人と比べて、ある時は優越感に浸り、ある時は劣等感に悩み、そんな不安定な時期が20代初めくらいまであったような気がします。確かに、人の目で人を比べると、人には優劣があるように感じてしまうものです。けれども、神様の目から見ると、人が感じる優劣は、ないに等しいのではないでしょうか。なぜならば、神様と人とではあまりにも優劣の差がありすぎるからです。私たち一人一人は一方では本当に小さな存在です。ですが、私たち一人一人は神様によって恐ろしいほどに精巧に素晴らしく造られている者でもあるのです。ダビデのように、私たちも、自分が神様によって恐ろしいほどに素晴らしく造られている者であることを覚えて、感謝したいと思います。

■詩篇139:15~16「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書き記されました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

 私たち一人一人は、神様によって秘密の場所で組み立てられたと言うことが、英語の聖書を見るとはっきりとわかります。と言っても、医学は進歩して、今は超音波で胎児の成長を見ることが出来ます。しかし、それは、ある程度までであって、そのすべてが見られるわけではありません。いまだに、生命は神秘の中にあります。このところでも、私たちは、糸でもって編むようにして、または、糸でもって織るようにして、組み立てられると言う言い方がされているのはとても興味深いと思います。遺伝子の二重らせん構造を連想してしまいます。そして、私たちのいのちが母の胎に宿る前から、神様は私たちのことをすべて知っておられ、それは神様の書物に書き記されていると言うのです。とても不思議なことです。

■詩篇139:17~18「神よ。あなたの御思いを知るのは、なんと難しいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目覚めるとき、私はなおも、あなたとともにいます。」

 ダビデにとって、神様の御思いを知ることは難しい事であると言っています。ダビデはどのような状況で、このようなことを言っているのでしょうか。1節から16節までは、ダビデの神様への感謝と賛美を表しています。けれども、19節以降を読むと、それは急転して、ダビデの悩みや苦しみに変わります。それがダビデの現実なのです。しかし、そんな中、ダビデは神様に向かって感謝と賛美をささげているのです。

 ダビデは何とかして困難な状況から抜け出したいと願っていました。しかし、神様はなかなかその願いに応えてはくれません。ですから、ダビデは思ったのです。神様の御思いを知ることはなんて難しいのだろうかと。でも、ダビデは神様から離れずに、神様と共に歩み続けました。そこに、神様の主権を認め、神様にすべてをゆだねるダビデの信仰を見ることが出来ます。

 苦しみの中で、私たちはどうすることが最善なのかを、ダビデの姿勢から学ぶことが出来ます。ダビデは苦しみの中にあっても、けっして、神様から離れませんでした。神様が自分の願うとおりにしてくれないからと言って、神様から離れるようなことはしませんでした。それどころか、ダビデは、ますます、神様に感謝し、神様を賛美したのです。そのことこそが、苦しみの中で、ダビデの魂も体も守る結果となりました。

 私たちの人生にはいろいろなことがあります。なぜですかと、神様に尋ねても答えが返ってきません。しかし、それでも、私たちは神様に感謝し、神様を賛美することを忘れずにいたいと思います。神様によって秘密の場所で組み立てられた私たち一人一人には、私たちには計り知ることのできない神様の計画があるのです。神様の主権を認め、すべてを神様にゆだねる信仰が私たちには必要です。その信仰の歩みの中で、きっと、私たちは神様の最善を見ていくことができるのだと信じます。それではお祈りします。