エルサレムへの第一歩を踏み出す

2020年3月15日の英語礼拝(教会での礼拝は休止になりました)

メッセンジャー:ジム・アリソン牧師

マタイ16:21−28 

“ エルサレムへの第一歩を踏み出す。”

(翻訳は要約となっています。)

 

 受難節とイースターに向かっているこの時、今日は、一歩づつ十字架と復活に近づいて行動しているイエス様を見ていこうと思います。

ここでイエス様は従うに者達に、御自身が殺され、生き返ることを伝えます。多くの聖書学者はこのことが起こったのがイエス様の死と復活の6ヶ月前と考えています。

 ルカ9章51節では、” エルサレムに向かうことを決意された。 “ とあって、イエス様は十字架が御自身を待っていることを知っておられ、そこから逃げるのではなく、積極的に近づいていると書いてます。それは御自身の準備のためだけではなく、この事が起きることでショックを受け、大きく変化する弟子達のためでもありました。

 

 神様が聖書でこのような物語を私達に与えているのは私達の助けになるからであって、同様に、キリストに従う者として人生にやってくる困難に対処することができるためです。

 もちろん、主はこれらの物語を通じて私達に、キリストが誰であるか、その生涯、死、そして復活が意味するところが何であるかを語っておられ、その事は、私達個人の人生にとっても、また全世界にとっても大きな意味を持っています。

 しかし今、私達がコロナウィルスによって問題に直面していることで思い起こすように、私達の命は遅かれ早かれ終わりを迎えるものです。私達の命は皆脆く誰もこの世に生き続けることはできません。私達の信仰は、この日々が贈物で当然にあるものでなく感謝を持って生活するべきと教えています。神様は私達が私達の人生の全てを神様の王国のため、神様の王国の価値に従って使えるように助けようとされています。

 

 これはクリスチャンにとって新しいことではなく、聖書で神様の言葉を学べば頭で理解することができるものです。でも人は忘れるに早く、特に不都合なことや死の現実のようなものは考えることを避けるのです。でも、ウィルスや病気、他の危険があると私達は直視せざるを得なくなって、そのことが直接的な方法でキリストにある信仰の意味、価値を示すことになります。直面することで私達はそれを現実のものとしなくてはならなくなるのです。

 

 マタイ16章では、イエス様は弟子達に、” やがて死なれて再び生を得る。” (今日のメッセージ) ことを最初に告げます。ですがその後、基本的に同じ内容の事を2度(17章22〜23、20章17〜19節)繰り返します。何故そのようにされたのでしょう? 一つは師として繰り返す事の価値を知っていてそうされたということ。弟子達が一度では理解し得ないと知っていたのです。

 しかし、他の要素も見て取れます。それは数字の3です。聖書には3という数が繰り返し出てきます。実際467回もです。それは神様に関係する(人間に対するものだけにですが)何かの象徴であって、完全、完璧、又は調和を示しています。誤解しないで頂きたいのですが、聖書のマジックナンバーとか秘密の暗号の事を言っているのではありません。神様が色々な意識の内に調和や論理的な方法を持たせてこの世界を作られました。そして聖書では数字を含む様式を使うことを選ばれたのです。例えば、神様は三位一体で存在されるお方で、旧約聖書ではアブラハム、イサク、ヤコブの3つの家族を通して主要な働きがなされています。イエス様の弟子の中では、ペテロ、ヤコブ、ヨハネが指導的な立場にあって、それは福音書の書き手は特に注目していることです。もちろんイエス様も3日目に死から甦られましたね。

 

 ヨハネの福音書21節15〜17節では、イエス様がペテロに、” 私の羊を養いなさい” と3度言い、その事はペテロにキリストの死の前にイエス様を3度否定したことを思い起こさせるものでした。これは神様や神様に代わる人が同じ事を3度、強調のために言うことの実例です。サミュエルがイスラエルの預言者として選ばれる時一晩で3度呼びかけられ(第1サミュエル3章)、イエス様がゲツセマネの園で捕われる前に3度祈られ(マタイ26章)、イザヤの幻で(イザヤ6章)、セラフィムが神様に向かって1度でなく3度、

と言っている。等々です。

 

 イエス様が敢えて3つの違う場面で御自身が殺され神様によって復活することを弟子等に語るのを見る時、神様は何か同じようなことをされるように思えます。それは弟子達にそれが神様の御業であると知って欲しいからです。聖霊に導かれていた聖書の記者は私達に、イエス様の十字架の死は、何かの酷い間違いや事故、誤解が重なったのことではないと理解して欲しいのです。その復活はただ単に美しい想像上の出来事ではないと知って欲しいのです。死と復活という全ての出来事は神様がはるか昔にご自分の心、意思によって慎重に計画されたことを実行されたということです。これが神様がイエス様を人としてこの世に送られた理由の中心です。神様の御業なのです。

 そしてそれは人類の救済のための完全で完璧なもので、完全な神様の御業です。

 キリストは十字架上で死なれた時、”成し遂げられた。“ (ヨハネ19章30節)と言われました。それは、信仰のギフトとして受け入れる全ての者に救いを得させる御業について語られているのです。十字架上のイエス様の命の犠牲によって神様に義とされ罪が洗い潔められ赦されるという方法を世の人へもたらしたのです。最終的に完全に罪に打ち勝ったのです。また復活によって最終的かつ完全に死を打ち負かしました。そしてやがてくる肉体の死の後の唯一の確実な希望である永遠の命を実現したのです。私達にそれを信じ、信頼するよう呼びかけておられます。

 皆さんがそう信じる時、それは皆さんの生活を劇的に変えるでしょう。それは何をもたらすのでしょう。一つには、私達の人生は小さく、短くて少しの意味しかないという恐れから皆さんを自由にし、神様にはできないことがないという考えに基づく大きな希望、世界に対するとてつもなく広い視野をもたらします。それはこの世のものである高給、成し遂げた偉業、人の評価や見た目の良さ悪さといったことより遥かに大きなものへ目を向けることに導くのです。

 

 私達の希望は最終的に、私たちがどの位若さと健康を保っていられるかということではありません。 キリストが最初に戻ってこなければ、私達は100%それらをすべてを失うと聖書は言っています。 それは、どれだけ早く来るかという問題です。 これらがもし皆さんが気にする全てであり、皆さんが若さと健康を失うなら、皆さんは空虚のうちに人生を終えることになります。 あなたは自分の命を救おうとして、それを失ったと感じることかもしれません(25節)。 ある牧師が言っているように、「私の罪は赦され、私には生きる目的があり、天国へ行く途中だ」という誠実な信念は全てを変えます。 私たちの夢は、天国で永遠に神様と生活することを含み、驚くほど壮大なものであって、私たちの日常生活のささいなことをはるかに超えています。 

 カトリックのキリスト教宣教師フランシス・ザビエルは、「小さな野望を諦めて、キリストの福音を宣べ伝えるために東に行きなさいと学生に告げよ。」と言っています。 彼は人々に、人生の気楽さ、快適さ、物質の所有を追求をするのではなく、キリストの福音を世界中に広める神様の働きに加わるように促したのです。聖書にある十字架と復活のメッセージは、同様に私たちのビジョンを高めるのです。 彼は私達の心と思いを神ご自身と天国での生活に向けるよう呼びかけています。 神様は私達に、神様の国を私達の文化、家族、職場、そして個人の生活に持ち込むことよう教えています。 

 

 私達はこのような例を、中国のクリスチャンの兄弟姉妹がコロナウイルスに立ち向かっていることに見ることができます。 ワールドヘルプという名の中国の牧師のチームが中国国外のパートナーと協力して人々にマスクと食べ物を配っています。その多くはコロナウイルスに感染する危険があり、買い物のためにも家から簡単に出られない状態なのです。勿論、これは多くの人々と接触することになり、ウイルスに感染する可能性が高くなります。  「彼らは、困っている人々に援助を提供するため命を危険にさらしている」と彼らの指導者の一人は言っています。  また「私達のパートナーは可能な限り安全で、あらゆる予防策を講じていますが、彼らはこれが招きであり、ステップアップしなければならない時だと感じています。これらの牧師達は福音を広める実際的な方法として、人々への愛の故に彼らの地域に出ていくことを選んでいるのです。」と言っています。

 

  キリストの名によってこのような根本的な奉仕は可能です。何故なら、この世の私たちの健康と人生のすべての部分が神の手にあるという信仰の強固な基盤の上にあるからです。 神様は御自分の民を救い、保護する力があり、私達が死に出会う時が来るとき、私達は天国にいる神様と共に永遠に住む家があるのです。

 

  それが苦しみと死の現実に反応する一つの方法です。 日本においてキリストに従う者として私達が今直面している健康と安全に対する課題にどう取り組むかを自分自身に問うことをさせるものです。私達はこのような時にキリストが呼び掛けている、このような信仰に基づいて、これらに応えているでしょうか? 

 

 エリザベス、クブラー・ロスという有名な心理学者は、人々が大きな損失(たとえば、彼らが深く愛している人)に対して、よく反応する5つの方法を書いています。 彼女は、人々は時に悲嘆の段階を経ると言っており(1)否定、(2)怒り、(3)ふさぎ込み、(4)交渉、そして(5)受け入れです。 これらは特定の順序がない場合があり、喪失を被っている人は、その喪失を受け入れる前にこれらの段階のいくつかを何度も戻る必要があります。 

 

 イエス様の弟子達も、自分達の人生の中心であって、主と呼ぶ人が、自分は死ぬと言っているということを理解する上で、何らかの形でそのプロセスを始めています。

 

 初めに、ペテロが主の来るべき死について聞くと、「主よ、これはあなたには決して起こりません!」と言って否定します(22節)。 マタイが「ペテロはイエスを片側に連れて行き、彼を諫め始めた」と言うように(22節)ペテロの声には怒りのトーンがあるようです。 マタイは17章23節で「弟子達は深い悲しみで満たされた」と言います。 悲しみは喪失とは同じではありませんが、多くの部分で重複しています。 ペテロと他の弟子等が受け入れられるまでには長い時間がかかります。

  弟子等は受け入れるますが、それは長く、苦痛に満ちた葛藤を通してのみ起こり、そして彼らが戻る「普通の」人生は以前とは異なるものになるのです。葛藤は彼らを変えました。 神様の恵みによって、それは彼らを深め、神様が彼らと共にいることを教え、神様が共に歩み、彼らの旅が完了するまで次の一歩を踏み出すことができるように彼らを強めたのです。  「死の影の谷」を通る彼らの旅へ(詩編23編4節)。

  彼らがついにキリストの死の深い意味を知るようになると、彼らはそれを受け入れることができるようになるのです。何故ならそれが復活への唯一の道であるからです。

  そして弟子等は、永遠の命の奇跡であるこの最大の贈り物が、キリストだけではなく、キリストを通して弟子等とキリストが弟子等を送りこの良い知らせを伝えた人々とそれを受け取る全ての人にあることが分かるのです。 結局、イエス様の死の知らせは良い知らせなのですが、イエス様と彼の弟子等が喪失の現実に直面し、悲しみのサイクルを通して信仰に苦しむことなしにはそうならないのです。

 

  私たちは今、いくつかの重要なことで辛い時を通っています。 しかし、今日また皆さんと祝福できる良いニュースは、私達は一人でこの道を歩まないということです。 神様は私達と共におられます。神様の言葉を通して、私達の心のそれぞれに神様の存在を通して、そしてこの信仰の家族を通して、私達はこの道を歩みながらお互いを支え、励まし合います。 キリストは私達よりも先に進み、生きる道を開いてくださいました。 そこでイエス様に従うために、私達は自分自身にノーと言い私達の十字架を拾い上げ、それを運ぶ必要があります。 もし私達がイエス様と一緒に困難な道を歩むことを拒否し、私達が今持っている命を自分で救おうとするならば、私達はそれらを失うことになり、 もし私達がその命を主の御手に委ね、それを失うなら、私達ははるかに大きな方法で命を見つけることになります。(マタイ16章25雪)。 アーメン。 それは朗報です。 それを心に留めて、主に祈りましょう。

  生と死を超えておられる主よ、キリストが来るべき死について弟子たちに語ったように、この世界に生きるという厳しい真実を私達に十分に語って下さることを感謝します。 そして、私達が日々の苦しみや喜びをもたらすたびに、一歩一歩共に歩いて下さることを感謝します。私達のl歩む道が、苦しみ、喪失、そして死であっても、私達が歩む生活の中で、あなたの手をしっかりと握ることができるように助けて下さい。 その反対側には永遠の命があり、終わりのない喜びがあることを知って、私達がそのようにできるようにして下さい。 信仰によって歩むことを教えてください。今日もキリストの御名によって祈ります。 アーメン。 

 

参考

 

Bolinger, H. (October 3, 2019). What does the number 3 signify in the Bible?  Crosswalk.com. Retrieved March 6, 2020 from https://www.crosswalk.com/  faith/bible-study/what-does-the-number-3-signify-in-the-bible.html

Christians risk lives to help fight coronavirus in China as death toll skyrockets. (February 20, 2020). Christian Post. WorldHelp. Retrieved March 11, 2020 from www.world  help.net

Kubler-Ross, E. (2014). On Death and Dying. Reissue edition. New York, New York: Scribner.

Xavier, F. GoodReads. Retrieved March 12, 2020 from https://www.goodreads.com/ quotes/805679-tell-the-students-to-give-up-their-small-ambitions-and