イエスとその両親と剣

2023年1月15日英語礼拝

メッセンジャー:ジム・アリソン牧師

 

ルカの福音書 2章25〜35節

 

『イエスとその両親と剣』

 

 2023 年の最初の英語礼拝に、ここで直接、またオンラインを通してお会いする皆さんにご挨拶いたします。 少し前の休日中、私たちの多くが家族と共に時間を過ごしました。 そのような関わりは、しばしば人生における最大の喜びと最も深い痛みを含むものです。また、今日の生活の中にある最も困難な社会問題の多くは、健全な家族関係の欠如に根ざしています。

 

 先月私たちが、キリストは「私たちと共におられる神」(インマヌエル)となるべくこの世に来られたと言ったとき、それが意味する一部は、私たちの家族内の人々との関係において私たちを助けるために、キリストはここにおられるということです。そのために、福音書の書き手が示す人間としてのイエスの家族について、今日は皆さんと一緒に見ていきたいと思います。 特に聖家族の中に見る親子関係に焦点を当てましょう。私たちがマリヤ、ヨセフ、イエスと彼らの神との間に起こったことを見るとき、今日の家族関係を前進させるために待ち望んでいた光で道を照らすことができます。 2023年とその先にあるすべての日々を通じ、主が御言葉の中で私たちの家族を強めるためにこの時間を用いてくださることを祈ります。

 

 私たちは神の御子イエスを思い、そのドラマチックな奇跡や有名な教えを想起しますが、イエスが普通の人間でもあったこということを忘れてしまいがちです。 たとえば、キリストの祖父の名前を思い出せる方がいたら手を挙げてみてください。 マタイ 1 章は (16 節)、ヨセフの父親が___だと述べています。ルカは違うヨセフの父親を伝えています(3章23節)。 ルカはその名を___      (エリの少し異なった形)と言いますが、聖書学者たちは、その時代と文化の人々が普通にしていたように、マリヤの方の家系を通してイエスの家族の系図をたどっているのだと述べています。 別の言い方をすれば、マリヤは___の娘なので、夫のヨセフは____の息子であるというふうに分類されるのです。

 

 イエスはその家族の第一子でしたが、マタイは (13章55〜56節a) 、そこには4 人の兄弟—―ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダがいたと述べています。また、「姉妹たちの皆」(名前は書かれていない)についても触れています。 「皆」を控えめに見積もって二人としても、合計で 7 人の子供になります。            

 

 皆さんは、イエスがこれらの兄弟姉妹と口論や喧嘩をしたことがあると思われますか? 私はあったと思います。 両親とはどうでしょう?  両親とイエスの間には何があったのでしょうか?  トラブルがあったとしたら、彼らはどのように対処したのでしょう?

 

 神様は家族生活を好まれると、聖書は私たちに教えます。 神様はそれをお造りになり、親子の関係や子供同士の関係を用いて、人の暮らしを支え守ろうとしておられます。当然それは、いかなるタイプの家族関係も人類の繁栄につながるという意味ではありません。 弱くて罪深い人々である私たちは皆、家族であることを通して互いに助け合うだけでなく、お互いを傷つけます。 それでもなお、家族は、神様が人間の生活を支え、前進させるために用いられる、唯一無二の——他に替わるもののない—―ツールであり続けています。 政府が家族に取って代わることはできません。教師が家族の代わりになることはできません。 教会さえもできないのです。けれども、それら各々が、家族を通じた神様の働きを支えることにおいて重要な役割を果たすことはできるのです。

 

 授かった子供を、忠実に愛を込めて育てるという、神様に対する、またお互いと自分たちが属する社会に対する責務のひとつとして、ヨセフとマリヤは献児式のために神殿に行きます。 これは、今日でも多くの人々にとって信仰生活の一部です。 これを行う際に、二人はシメオンという名の「正しく信仰があつい人」に出会います(25節)。 

 

 物語から彼の年齢はわかりませんが、神様は何らかの方法で、メシアが生まれるまで彼が死ぬことはないと示しておられました。 彼が「あなたのしもべである私を、安らかに去らせてくださいますように。」(29節)と祈るとき、死に言及しているように思えます。ですから、彼が高齢の男性であると想像できます。 そうであるなら、ローマが彼の国を支配し、その支配下での苦しみが始まったときのことを覚えている可能性があります。 彼はその人生のほぼすべてに渡って、神が民を解放してくださるのを待ち続けていたのです。 彼が祈りながら心を開いて耳を傾けると、どのようにしてか、神様は彼らが待ちわびているそのお方が、そこにおられると明らかになさいました。

 

 シメオンの祝福は、イエスの生涯への美しい序章であり、イエスがどのようなお方になられるかをよく示しています。 これに関する三つのキーワードは、「救い」(30 節)、「光」(32 節)、「栄光」(32 節)です。 イエスを受け入れる者もいれば、そうでない者もいますが、世界に与えるイエスの影響は重大なものになるでしょう。 別のメッセージで、それをさらに探求することができますが、今日はシメオンの最後の言葉に注目してみましょう。 それはマリヤへのひと言、「剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう(35節 )」です。それは何を意味するのでしょう?

 

 イエスの幼少期に関する紹介を終えた後に、ルカはこのように述べます (2章51節)。「母はこれらのことをみな、(*秘められた宝のように)心に留めておいた。」〈訳注:(*)は日本語版聖書にはない部分〉 イエスがお生まれになり、成長を始めるにつれて起こった物事について思いを巡らすとき、マリヤはイエスがどんな少年に、また後にどんな男性になっていくのか、メシアであるキリストになるとはどういう姿になることなのか、必死に想像しなければならなかったことでしょう。

 

 マリヤは剣とは貧困なのだろうかと考えるかもしれません。 男子の初子を神に捧げる(出エジプト記13:2、12で命じられた)にあたり、ヨセフとマリヤはその儀式のささげものとして、通常は子羊と家鳩あるいは山鳩を献げることになっています(レビ記12章6節)。しかし彼らが貧しかったためか、ささげものは山鳩ひとつがいか家鳩二羽を献げることが許されている(レビ記 12:8)とルカは説明しています (2章23〜24節)。 ですから、どうやらマリヤとヨセフは、両親がわが子にあげたいと熱望するものを、赤ん坊のイエスに与えることができないようです。可愛らしい産着、毎晩の快適な寝床、成長し続けるにつれ栄養価の高いたくさんの食べ物—―これらのすべてが、おそらく手の届かないところにあります。

 

 間もなくマリヤは、自分の魂を刺し貫く剣とは危険のことだと考えるかもしれません。 ヘロデ王は、最近生まれたすべての男の子を殺すために兵士をベツレヘムに送りますが、ヨセフが神様の指示によって家族を無事エジプトに連れて行きます。 彼らは母国を離れ、避難民としての生活を始めます。 おそらく彼らがあまりよく理解していない言語や文化を学ばなければなりません。 エジプト人は彼らがそこにいることを望むでしょうか?  どれほど優れた健康管理のプランを、彼らが持っていると考えますか?   明確に神のご指示の下にあり、彼らに対する神の御心に従う聖家族は、さまざまな種類の危険を伴って生活することを学ばなければならないのです。

 

 神が最終的に家族をパレスチナに連れ戻し、彼らがナザレに居を構えると、両親はもうひとつの困難な状況に直面します。 ルカは 2章41〜52節にある話の中で、12 歳頃のイエスが、エルサレムでの過越祭の休日から帰る途中に両親からはぐれてしまうと伝えています。皆さん、想像できますか? 生きているのかどうかさえわからず、自分の子供を探すのに3日も費やしたとしたら、どんな気持ちになるでしょうか。それは、マリヤとヨセフが、イエスを育てようとする中で経験したことです。 ですからルカは、彼らがようやくイエスを見つけたときのことを、両親は「驚いた」(48節)と、かなり控えめに述べているのかもしれません。それから、

 

  母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。ご覧なさい。

  お父さんも私も心配してあなたを捜し回っていたのです。」

イエスは言われた。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」 しかし、両親には、イエスの言葉の意味が分からなかった。

 

 自分の息子が「私の父の家」について、自分ではない他の誰かの家として語るのを聞いて、ヨセフはどう感じるでしょうか。 たとえその誰かが神様だとしても、これは少し傷つくと思いませんか? この人は神の御子の父となるよう召されましたが、それは簡単な仕事ではないのです。

 

 ヨセフとマリヤは、たとえ両親が子供たちを愛し、きちんと育てるために最善を尽くしている場合でも、子供たちの考えや感情の重要な部分を理解できない時があることを学んでいる最中です。 彼らは自分の子供をコントロールできないことに気づかされています。イエスにはご自身のアイデンティティと使命があるのです。

 

このことに直面しなければならないことは、おそらくマリヤとヨセフに苦痛を与えます。それがまるで剣のように感じるかもしれません。 私たちは自身の親子関係について、ある人は自分の親との関係、またある人はわが子との関係の両方を含めて考えます。状況や人をコントロールしようと試みて、それが難しすぎると気づくことによる失望を、皆さんはわかっておられるのではないでしょうか。 子供たちを理解するための自分たちの最善の努力が、せいぜい部分的に成功を収めただけだと悟るような気持ちをご存知かもしれません。

 

 マリヤ、ヨセフ、そして私たちは、神様が自分たちの管理の下に置かれた者に対して「ゆったりと構える」ことを学ぶ良い機会を持ちます。 彼らは、私たちではなく神様のものなのです。 私たちは彼らを託されてはいますが、決して所有するわけではありません。 その主な目的は、私たちを幸せにすることではなく、彼らが神ご自身に造られた人々であることによって、神様を褒めたたえることなのです。最も真実かつ深い意味において、私たちは彼らを育てることができません。 できるのは神様だけです。 彼らが大人になり、自立する時が訪れても、彼らの人生における私たちの役割は終わりませんが、重要な点で変化します。人生のどの段階に彼らと私たちがいるとしても、神様にしかできない方法で彼らと一緒にいることは、私たちにはできません。それが真理です。ですからそれを受け入れることが、私たちを自由にするでしょう—―結局のところ。 しかし、私たちがそれを学ばねばならないとき、それは剣のように感じるものかもしれません。

 

 イエスは成長します。 おそらくヨセフはこの頃までに亡くなっていたでしょう。 イエスは宣教を始められますが、ある意味粗削りなスタートを切ります。イエスが結婚披露宴に出席しておられ、ワインが底をついたとき、マリヤはイエスに問題を提示します。 もしかするとイエスは、ご自分ができる手助けをなさるために、彼女からの一押しを必要としていたのかもしれません。しかしイエスは、辛辣に聞こえる可能性のある話し方で、マリヤに言い返しているように見えます。イエスはマリヤを「母上」でも「お母さん」でもなく、「女の方」と呼びます。それから、「…私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」と尋ねて言います(ヨハネの福音書2章4〜5、9節)。

 

 しかし、マリヤは彼の言葉を受け入れ、使用人たちに「この方が言いつけるとおりにしてください。」と言います。最終的にイエスは水をぶどう酒に変え、奇跡を含むご自身の活発な宣教の一部を開始されたのです。

 

イエスはご自分の働きを続けられますが、それは非常に奇妙なものに思えます。 イエスの両親は信仰によって、イエスがメシアであるキリスト、神がそうなるとお約束された救世主になることを期待してきました。 しかしイエスは、「主は救いである」と名付けられたお方、救い主であり選ばれたお方がするものと人々が期待した種類のことをなさいませんでした。 彼は「罪人たち」と食事を共にし、徴税人たちと付き合い、売春婦にはその涙で足を洗わせます。 イエスはらい病患者に触れて、安息日の掟に違反します。 国内の偉大な指導者たちは誰一人として、イエスに従うことを望んだり、イエスがメシアであると認めたりしないのです。 

 

 イエスに対するマリヤの夢のほとんどが、完全にではないとしても、ある程度終わろうとしています。 イエスの兄弟の名前はすべて、信仰が深いことでよく知られている旧約聖書の登場人物から取られています。 子供たちに対する両親の願いや夢は、時折、彼らが子供のために選ぶ名前の中に表れます。 ヨセフとマリヤは、イエスがイスラエルの歴史を通して尊敬される偉大な信仰者たちのようになってほしいと願っていたのかもしれません。            

 

 しかし、その夢は実現するどころか、むしろ消え去って行くように見えます。 マルコは、イエスの身内の人たちが、イエスがある場所にいると聞いて「イエスを連れ戻しに」そこへ行ったと述べています(3章21節)。彼らは「イエスは気が変になっている。」と言うのです。

 

 誰かがイエスに、ご家族の方々があなたと話すために来ていると知らせます。イエスの返答は、「本当ですか?素晴らしい!ここに来させてください!」ではなく、「私の母とは誰のことですか。また、兄弟たちとは誰のことですか。」です。 それからイエスは言われます。「天の父の御心を行う者は誰でも、私の兄弟であり、姉妹であり、母です。」 イエスを胎内に身ごもり出産し、その後何年にも渡って毎日食事を与え、清潔にして、服を着せてあげてきたマリヤにとって、それらの言葉は魂を貫く剣のようなものに感じられたに違いありません。

 

そののち、おそらく皆さんが予期しているとおりに、十字架刑がやって来ます。 マリヤは十字架の近くに立っていると、ヨハネは伝えています(19章25節)。 彼女は、自分の産んだ息子が犯罪者として死ぬのを見なくてはなりません。 イエスが亡くなっていることを確認し証明するために、兵士の 1 人がイエスのわき腹に槍を突き刺します。「すると、 すぐに血と水とが流れ出た。」(ヨハネ19章34節)   マリヤは今や、あの日神殿でシメオンが語った言葉の意味を確信しています。

 

 たとえば、今では多くの人々が身につける十字架のついたネックレスや指輪をつけている人を見たら、マリヤはどう感じるでしょうか。 私たちは想像することしかできません。 その十字架は、苦しみと痛みの象徴以外の何ものでもないかもしれないのです。

 

 しかし、どうやら、それが物語の終わりではありません。 すべての困惑と失われた夢と痛みの真っただ中で、マリヤは神様がまだ働いておられる兆候を見始めます。 イエスは十字架上にあっても、ヨハネにマリヤを彼の家に連れて行くよう手配することにより、マリヤの必要を備えました(ヨハネ19章26〜27節)。 そののち復活のときが訪れ、すべてがひっくり返ります。

 

 マリヤは、実際は自分の問題が、神様がずっとし続けておられたことを理解できないことにあると気づき始めます。 マリヤのわが子に対する希望も夢も展望も、天の御父が心に留めておられたすべてを収めるにはあまりに小さすぎたのです。 神様は彼女のすべての苦闘や困惑の只中で、積極的に働いておられました。 事実、神様は最初に約束されたすべてのことを実現なさるために、イエスとの関係でマリヤが直面するすべての困難を用い続けておられます 。イエスが神の民を罪から救うためにこの世に来られると神様が宣言されたとき(マタイ1章21節)、これこそが心に抱いておられたことなのです。

 

 聖書の物語の中で私たちが最後にマリヤについて目にするのは、イエスが天に戻られた後、弟子たちが祈るために定期的に集まる場所でのことです。筆者は、「女性たちも彼らに加わり、イエスの母マリヤ、また兄弟たちと心を合わせて、祈りに専念していた。」(使徒1章14節)と記しています。 聖家族が再会したようです。 イエスの死と復活を通して、彼らはこれまで以上に、神様が共におられることに対する認識を深めました。 イエスは彼らが家族の間に平和と愛の関係を建て上げ、再構築し、深め続けるのを、喜んで力強く助けておられます。 それは、彼らの苦難を通してイエスの家族を助けたという福音です。神様がその中に私たちを置き続けておられる、愛に満ちた忠実な家族の一員として生きようと努めることができるよう、神様は私たちにもその福音を与えてくださいます。

 

 私たちがそうするのを助けてくださるよう、今、神様にお願いしましょう。

 

 天のお父様、私たちが人生の中でたくさんの人々、とりわけ家族との健全で強固な関係の中で生きることを教え、力を与えるために、御子イエス様をお送りくださったことに感謝します。私たちの家族生活の中で、それぞれによくあるすべての困難や失敗にもかかわらず、私たちの家族を通してあなたの民の生活を築き、守り、豊かにしてくださっているあなたのお働きを、私たちの中でお続けください。この世界で何より必要な、あなたの愛を知らせ、感じ、受け取ってもらうということのために、それらを用いてください。

これが私たちの祈りです。イエス様のお名前によって。 アーメン。

 

参考

 

Gill, J. (1746-1763). John Gill's Exposition of the Bible. Retrieved January 8, 2023 from                       https://www.biblestudytools.com/commentaries/gills-exposition-of-the-       bible/luke-3-23.html

Heitzig, S. (2013, December 17). A Baby in an Old Man’s Arms. Calvary Church              Albuquerque. Retrieved January 7, 2023 from https://www.youtube.com/watch?v=   com/n3jusG5CapY&t=442s

Ortberg, J. (2022, December 21). The Two Doorways. Become. Retrieved January 8, 2023            from https://www.youtube.com/watch?v=k19d0oL1TBE

Sproul, R. C. (n.d.). Song of Simeon. Ligonier Ministries. Retrieved January 8, 2023 from        https://www.youtube.com/watch?v=uDHtWzKQK6c