新しい愛の言語を学ぶ

2022年2月20日英語礼拝 メッセンジャー:ジム・アリソン牧師

 

マルコの福音書10章1〜9節

            

「新しい愛の言語を学ぶ」

     

 

 じかにまたはオンラインで神様の御言葉を受け取るためにここにおられる皆さん、こんにちは。今日も皆さんとご一緒できてうれしいです。 今日のメッセージは、バプテストの牧師にして結婚カウンセラー、また作家であるゲーリー・チャップマンに大いに頼るつもりです。 約30年前、彼は「愛を伝える5つの方法:持続する愛の秘訣」という本を書きました。 現在、英語だけで11,000,000部以上を販売し、49の言語に翻訳されています。 その本は、特に結婚において、また独身者、既婚者を問わず、その他の家族関係や友人関係等においても、多くの人々を助けてきました。

 

 その本は聖書の中にある神様の御言葉へのよい窓口になってくれると思いますので、今日は皆さんに主な考え方をいくつかご紹介したいと思います。 私は日頃から、もともとアメリカ人によって英語で書かれたこの本のように、異文化に由来するものについては、注意深く話しをする必要があると感じています。 しかし、その中の教えは、基本的なものとして文化の溝をうまい具合に越えるものと信じます。 それでも、皆さんが必要であると感じられたときは、それらを日本その他の文化的背景に適合させてくださるようお願いします。

 

 長期にわたる健全な結婚生活のためには、パートナー双方が愛されていると感じる必要があります。 結婚生活は、健全でなくても長期であることは可能です。 千江子と私は昨年結婚30周年を迎えましたが、それは私たちの結婚生活が強固なものであるという保証にはなりません。 そうであるためには、私たちは共に努力し続ける必要があります。 そうしなければ私たちは、イエス様が夫婦についてマルコ10章8節で述べておられるように、完全に「ひとつ」となって(「一体」と訳しているものも)、深い親密な関係で生きることにはなりません。 重要な点において、「ひとつ」になるということは、自身のアイデンティティを放棄して自分を失うことを指すのではありません。 あなたは自分を喜んでパートナーに与える前に、自己というものを持つ必要があります。 また、もしも皆さんが真に健全な結婚生活を手にしたいと望むなら、この与えるということは、皆さんが来る日も来る日も続けることを選択しなければならないプロセスです。 本当の結婚生活を送る人たちというよりはルームメイトのようになって、30年、40年、またはそれ以上の結婚生活を続けることはできるでしょう。そのような場合には、夫婦間の会話が、日々の生活を送る上で話し合う必要のある物流的な事柄だけになり、健全な結婚生活に絶対に欠かすことのできない深い愛の絆を示すものは何もないということになり得ます。

 

 チャップマン博士が述べる基本的な問題は、「ある人には愛されていると感じさせる事柄が、他の人にも愛されていると感じさせるわけではない」ということです。(14ページ参照)  たとえば、一組の夫婦が牧師室にカウンセリングにやって来るとします。妻は「私たちの間には、金銭面な問題、法的な問題、お酒やその他、たくさんの結婚生活を破綻に至らしめるものだと私が学んだような問題は何ひとつありません。」と言います。しかし、そのあと彼女は泣き出してこう言うのです。「夫から愛されているとは思えません。私たちは同じ家に住んでいるけれど、そこに愛は少しもないように感じるのです。私はこれ以上耐えられません!」

 

 牧師が夫に目を向けると、彼は、「私は妻を全く理解できません。妻は私が彼女を愛していないと言いますが、私はいつだって彼女を愛していると示すことをしているのです。」と言います。

 

 牧師は尋ねます。「どのようなことをするのですか?」

 

 夫は答えます。「えーと、私は仕事から帰宅するのが彼女より早いので、大抵は夕食を作り始めます。食べ終わったら、皿を洗います。 木曜日の夜は床に掃除機をかけます。土曜日は草刈りをし、落ち葉をかき集め、犬を散歩に連れて行きますよ。」

 

 二人が妻の方を見ると、彼女は、「夫の言うとおりです。 彼は働き者です。 でも、私たちは話をしないのです!  私たちの結婚生活は30年にもなるのに、ただ座ってお互いの心にあることを語り合ったことがないのです。」  と言います。

 

  牧師は、「なぜそう思うのですか?」と尋ねます。

 

  妻は答えます。「なぜって彼はいつも外で草を刈ったり、葉っぱを集めたりなんだりしているのですもの!」

 

 皆さんは何が起こっているのかお分かりになりますか?   この男性は自分の妻を愛しており、彼は自分が知る限り最善の方法でそれを示そうとしています。 しかし、妻は夫が与えようとしている愛を受け取っていないのです。 そしてそのことが彼らの結婚に実質的な問題を引き起こしています。 チャップマン博士はある日、カウンセリングの現場でこのような会話を聞き、その後で、他の多くの夫婦とのやり取りの記録を見直すことを始めました。 彼の学術的研究の一部が人類学であったことから、彼にはこれらの夫婦が抱えるコミュニケーションの問題が、同じ言語を話さない人々が持つものと同じように思えました。 そこで彼は人々が愛を示そうとする方法に着目し、それらを5つの愛の言語と呼びました。 彼が持つに至った中心的な考えはこれでした。:もし、あなたがあなたのパートナーに伝えようとしている愛を感じてほしいなら、あなたはそれをその人の愛の言語で表現することを学ばなければなりません。

 

 私たちがここオープンドアにいるひとつの理由は、強固な家族の構築を助け支えるためです。 でも、それは簡単ではありませんよね。 私たちは良い結婚生活のために多くの努力をしているかもしれませんが、パートナーがまるで外国語を話しているかのように感じ、理解できないことすらあるのです。

 

 日本に最初に来た年、私が20歳で日本語を学び始めたばかりの時のことを思い出します。 授業の後、私は昼食をとるため、キャンパスに近いカフェに行きました。そこは混雑していて、私には次の授業までの時間がわずかしかありませんでした。 食事をするための時間が足りないように思われ始めたとき、私は決意してウェイトレスに急ぐよう頼みました。  「オクレマスカモシレナイ。イソイデモラエマスカ。」みたいなことを言ったのです。すぐに、彼女は私にタバコを持ってきました。 私が日本語を学び続ける必要があるのは明らかでした。授業にも遅れたと思います。 私たちの生活の中で、人々とうまく意志疎通を図ろうとしても全くそうならないとき、苛立ってしまうことがありますよね。 しかし、この教会に集う私たちの多くは、人々が話す一次言語(母語)が同じではないときに、言語のギャップに日々対処することが生活の一部になっています。 それらの経験は私たちにとって良き先生となることができます。

 

  私たちにとって、結婚生活のような強固な関係を築き維持するということは、人々がそれぞれ異なった愛の言語を話すという基本的な真実に対処しなければならないということなのです。 ほとんどの人は、ひとつの一次言語、つまり愛を伝達するために自然であると感じるひとつの方法を持っています。私たちはまた、通常、二次的な愛の言語も持っていますが、それ以外はもっと扱うのが困難です。 ひとつの伝達方法において、別の方法とまったく同じように強くなることは可能ですが、それは非常にまれなことです。 それよりももっと多いのは、私たちがひとつの主たる言語と、ひとつの副次的な言語を持つというもので、それがほとんどです。 なじみのない愛の言語で愛を受け取ることは、その言語で与えることよりは、はるかに容易なものになり得ます。 けれども、皆さんが健全な結婚生活を望むのならば、あなたのパートナーの主たる言語が何であるかを見つけ出し、それを話すことを学ばなければなりません。習得はしないとしても、使い方を学ぶことはできます。 また、皆さんのパートナーがあなたの愛の一次言語が何であるかを理解するのを助け、相手がそれを話すことを学ぶ手伝いをする必要もあります。

 

 パートナーの双方が同じ「一次言語」を話すことは一般的ではありません。 多くの場合、私たちは異なる方法で意思を伝えます。 また、私たちは自分が習慣としてきた受け取り方と同じ方法―――自分自身の一次言語で、愛を与えようとする傾向があります。しかしそれが、私たちのパートナーが喜んで受け取る用意のある方法ではない場合、コミュニケーションが崩壊し、欲求不満が築かれる可能性があります。 真の理解、そして愛を上手に与えることと受け取ることのどちらも、それらを生じさせるつもりなら、大変な努力を求められます。

 

 昨今の日本や多くの文化においては、たくさんの人々が、恋に落ちた後でお互いをパートナーに選び、結婚します。 米国での研究によれば、恋をしている状態は一般的に約2年間継続します(チャップマン博士の著書30ページ)。  (日本ではどのくらい継続するのか知りたいです。ご存知でしたら教えてください。) 恋愛が終わるときに、あなたが結婚しているのなら、(a)残りの結婚生活を惨めに過ごす、(b)この関係を諦めて再婚してみる、そのいずれかでなければならないと考えがちかもしれません。 現代の日本や西洋、その他いくつかの文化では、多くの人々が諦めて離婚することを選んでいます。 また、昔も今も、多くの文化で、たとえ結婚生活がうまく機能していなくても夫婦であることを続けるという選択がなされてきました。私たちは、われわれの文化の方がよりよい選択をしたと考えるかもしれませんが、 データ(再び米国での研究による、チャップマン博士の著書33ページ)は、2回目の結婚における離婚の割合は最初の結婚よりも高く、3回目の結婚での離婚率は2回目よりさらに悪化することを示しています。

 

 それでは、もし私たちが結婚してから以前のような愛情を感じていないことに気づいたとしたら、どんなことを考えるでしょう?  結局、私たちは本当に恋をしていたわけではなかった、あるいは愛を殺してしまう何かが起こって、愛が去ってしまったに違いないと考えるかもしれません。しかし真実は、「恋をしている」感情が愛することのすべてではないということです。 恋する気持ちが続く間は素晴らしかったけれど、それは決して長くは続かないものだったのです。 そして恋が終わるとき、それは夫婦が最初の頃のロマンチックな感情をはるかに超えた、「本当の」愛の中で生きることを学ぶチャンスを手にするときです。

 

 恋に落ちることは、偶然の出来事のように思えます。 しかし、愛を持続させたいと願うなら、それを選ばなくてはなりません。 愛は、フィーリングやひらめきなどというものをはるかに超えた選択なのです。 愛の伝達を学ぶことは、神様がその民に与えてくださる愛の中で生きるという選択の鍵となる部分です。 本当の愛とは、皆さんが自分のために行う何かではなく、他の人のためのものです。 ですから、自分を満足させるために自分がしたいと思うことをするだけでは、本当の愛に導かれることはないでしょう。 愛の中に生きるためには、あなたにとっては心地よいとか自然だとは感じられないかもしれないことをする、という選択をしなければなりません。 あなたのパートナーの愛の言語を使うことを学ぶということは、多くの場面であなたを自分の快適空間から連れ出すことになるでしょう。 それは私たちの多くにとって、朝起きることのようなものです。簡単に難なくとはいきません。 しかし、意志の力を使って自分の足の上に身体を引き上げたなら、じきに、苦労して起き上がることに価値があったと気づくでしょう。 皆さんがご自分のパートナーを愛するつもりでいるなら、自分の感情に優先して行動を起こすことがしばしば必要なのです。 

 

 5つの『愛の言語』にざっと目を通してみましょう。

 

 第一は肯定的な言葉です。 コリント人への手紙Ⅰ8章1節は、「愛は人を造り上げます。」と述べています。 ひとつの主要な方法である肯定的な言葉を通して、これは行われれます。  「うわぁ!今夜の君は美しいね!」  「そのスーツ姿、素敵だわ!」 そのような言葉によって愛の絆を強める人達もいるでしょう。 称賛の言葉とは別に、私たちが言葉の選択のコントロールを主に委ねるとき、主が私たちに、励ましの言葉、親切な言葉、謙虚な言葉、そして寛容な言葉を使うことを教えてくださっているのがわかるでしょう。

 

 箴言18章21節は「生と死とは舌に支配される。」と教えます。 皆さんの言い方一つによって、パートナーに命を与えることもできるし、殺すこともできるのです。 皆さんがパートナーを称賛するとき、相手はもっともっとあなたが自分に言ってくれているような人物になりたいと望むようになる、ということはよくあります。 皆さんがパートナーを非難する場合は、あなた自身と相手の人との間に壁を築いてしまい、健全な関係がより困難なものになってしまうことが多々あります。 箴言15章1節は、それをこのように言います。 「柔らかな答えは憤りを鎮める。しかし、傷つける言葉は怒りをあおる。」

 

 第二の言語はクオリティタイム(充実した時間)です。マルコ3章14節(ニュー・インターナショナルバージョン)には、イエス様に関して、「イエスは彼らを自分のそばに置くため、十二人を任命し・・・」とあります。

 

  テレビかコンピューターの画面で番組などを一緒に見ることは、クオリティタイムではありません。 クオリティタイムを共に過ごすとき、皆さんは完全な注意力をパートナーに注ぎます。皆さんが誰かとクオリティタイムを過ごすときには、肯定の言葉を使うときのように話すことにではなく、通常は相手の話を聞くことに集中するのです。 パートナーが助言や情報を必要としているのではないことも多々あります。たとえそれが良いアドバイスや意見であったとしてもです。彼(彼女)が必要としているのは、あなたが気遣ってくれて、理解してくれて、支えようと最善を尽くしてくれているのを知ることなのです。

 

 注意を注ぐことに加えて、クオリティタイムの言語を使用するためには、現実的で意味のある会話の中で交流することを学ぶ必要があります。 皆さんの文化や家庭環境、また性格により、対話を通じて率直で積極的なコミュニケーションの習慣を形成することは、多くの結婚相手にとって新しい事柄になり得ます。 他の人よりも多くの努力と練習が必要な人もいるでしょう。 しかし、それがなければ、皆さんが求め、必要としているような夫婦関係に到達することは、大抵の場合あまりに難しいのです。

 

 チャップマン博士は、以下の具体的なアドバイスポイントを提供してくれます:

(a)相手から視線をそらさない (b)相手の感情を聞き分ける (c)相手のボディーランゲージ(しぐさ)を観察する (d)相手の話をさえぎらない

 

 第三の愛の言語は贈り物です。 エペソ5章25節は、「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、自分の妻を愛しなさい。」と教えます。 この場合、キリストご自身が贈り物です。 ヤコブ1章17節aでは、「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は、上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」ということを学びます。 ですから、与えることは、私たちが望む成果を生み出すために使うことのできる単なるテクニックではありません。 それをはるかに超えて、私たちが神様の愛に満たされた心によって与えるとき、そこには何か霊的で神聖な出来事があるのです。

            

 ひとつには、主の教えに従うことへの願望から、私たちはこれを行います。  「与えなさい、そうすれば自分にも与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を測る量りで、自分も量り返されるからです。」(ルカ6:38)。  与えることは、信仰によってキリストに従うことの自然な一部です。 

 

 皆さんはおそらく「大切なのは気持ちです(気持ちだけで嬉しいです)。」という言い方を聞いたことがあるでしょう。 それは真実です。 ほとんどの場合、受け取る側に変化をもたらすのは、その贈り物がどれだけ高価かだけではありません。 それよりも、贈り物をしたいと思っている人の心の中に何があるかです。  でも、忘れないでください。皆さんの頭の中に残されたまま伝えていない思いが大切なのではありません。 愛の言語が贈り物である人に対する可視化された愛の表現は、しばしば何年にもわたる多大な影響を及ぼすことでしょう。 贈り物は、あなたからの贈り物を受け取る人との関係をあなたが大切にしていることを示す明確な方法なのです。 

 

   第四の言語はサービス行為です。 神様は第一ヨハネ3章18節で、「子どもたちよ、私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」と語っておられます。 それは行いによる愛の重要性ですが、イエス様はまた、どのような行いを選ぶべきかも教えてくださっています。  「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」(ルカ6:31)。

 

 そして、繰り返しますが、私たちはパートナーの言語を話すことだけでなく、相手が私たちの言語を理解するよう教えることも同様に学ぶ必要があります。 このようにして、私たちは、ヘブル人への手紙10章24節にある神様の教えに従うことができるのです。 

 「また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。」

 

 特に、愛を伝える言語が肯定的な言葉である人は、「愛しているよ。」とか「君は素晴らしい」というようなことを頻繁に言う傾向があります。  しかし、彼らのパートナーの言語がサービス行為であるとしたら、「あら、そんなに愛しているなら、立ち上がってお皿を洗うのを手伝ったらどう!?」と答える可能性が非常に高いです。

 

 また、どのようなサービス行為が、相手が愛されていると感じるのに役立つか、いつも明確なわけではありません。 たとえ両方のパートナーが共にサービス行為を愛の一次言語として持っているとしても、二人が異なる方言を話していることを発見する場合があります。チャップマン博士は言います。(著書の99〜100ページ)

 

 間違ったことに取り組んでしまうことはありがちです。 夫が長い週末のすべてを雑用――熊手で葉っぱを集めて芝生を冬に備えたり、…車の冬装備をしたり、物置からクリスマスの装飾を引き出したり…することに費やしても――妻の愛のタンクには一滴も注がれないかもしれません。 一方、その同じ夫が、中華のテイクアウトを持ち帰り、後でキッチンを片付けて、それから、長い1日の後で妻がくたくたになっている間、彼自身で子供をベッドに寝かしつけると――妻の愛のタンクを溢れるほど満たすということがあり得ます。

 

 適切なサービス行為を見つけるためのもうひとつの課題は、以下のとおりです。(100ページ)。

  結婚前に私たちがお互いのためにする行為は、結婚後の行動パターンの目安にはならないということです。交際中は、恋愛妄想の力によって動かされています。そして結婚後には、「恋に落ちる」以前の姿に戻るのです。  (※本の日本語訳の引用)

 

 ですから、考える続けること、祈り続けること、そしてコミュニケーションを取り続けることが、この言語を上手く学ぶために当然欠かせないものになります。途中で失敗も起こり得ますし、この言語で愛を与える者と受け取る者の双方が、ある程度の忍耐を持つ必要があるでしょう。

 

 この言語について、もうひとつ注意が必要なことがあります。 パートナーにサービスを提供することは、自分が利用されたり虐待されたりする(「玄関マット」になる)のを許すことを意味しているのではありません。 それは事実、関係性を裏切り、葬り去ることを助長します。 皆さんは、誰かがこのような言葉を使うのを聞いたことがありますか?(101ページ)

 

 私は夫に二十年間仕えて、まめまめしく世話をしてきました。その間、夫は私を無視して虐待してきました。友人や家族の前でも恥をかかせられました。 彼を憎んではいません。 彼の不幸を願ってもいません。でも彼に憤りを感じているのです。もう一緒に生活したくありません。(※本の日本語訳の引用)

            

  チャップマン博士は、「この女性の果たしてきた二十年間のサービス行為は、愛の表現ではありませんでした。それは、恐れや罪悪感や憤りから出てくるものだったのです。」とコメントしています。 真に愛する人たちは、「私をこのように扱うあなたを、そのままにしてはおけないほど、私はあなたを愛している。それはあなたにとっても私にとってもよくないことだから。」という態度を取るものなのです。(102ページ)

 

 第五であり最後の愛の言語は身体的なタッチです。 神様が私たちを人間として創造されたとき、神様が私たちに与えてくださった身体は、触れるためのものでもあります。 身体的な接触は非常に強力なコミュニケーションの形であり、愛を与えたり受けたりすることのために神様が私たちに与えてくださる重要な方法のひとつです。 キリストは聖書の中で、子供たちの上に手を置くことによって彼らを祝福されます。 身体的な接触は、話したり書いたりした言葉では不可能な、明確な一体感をもたらしてくれます。 触れるという単純な行為は、特定の文化や関係性の内側において適切な方法で行われるとき、深い愛の中に関係を築き、強めることができるのです。

 

 それは特に危機や苦難に際して大きな意味を持つことができるものです。 よくある例として、人は愛する誰かを亡くした喪失の苦しみのさなかで、人々が掛けてくれた慰めの言葉を覚えていられないものです。 しかし、彼らはハグや肩に回された腕を決して忘れることはないでしょう。それらは彼らに愛を伝えたもの――つまり本当に必要なときほど不足してしまうものだからです。

 

 このように、五つの言語があるのです。 もしも皆さんが興味を持たれたなら、たとえば皆さんの愛の一次言語を発見することについて、学び続けることが可能です。 もちろんこの本を買ってもいいですし、私から借りることもできます。 そうすれば、どの言語が皆さんの一次言語であるか分かるように作成された質問リストに答えることができます。 そのすべては、皆さんが信仰とともに、祈りと注意深い思考においてアプローチするならば、人々や主との個人的な関係に役立つものになるでしょう。

 

 ですが、皆さんが学び続けるためにこの本を使うかどうかにかかわらず、神様の愛の中で生きるために、私たちがそれぞれ受け取っている神様の呼びかけを皆で覚えましょう。それを私たちの最高の価値であるとともに、私たちが日々努力して向かうゴールとして。

祈りましょう。

            

 愛の神様、あなたは私たちに「愛を追い求めなさい…」(第一コリント14:1)と明確に命じられました。 私たち自身の失敗と罪を見ることを通し、これが実際にどれほど難しいことかを知ります。 しかし、私たちはすべてのことを可能とされる神様に祈っています。 あなたが私たちに生活の中で持つことをとても深く望んでおられる、結婚相手や家族、他のたくさんの人たちとの、そして何よりもあなたとの愛の関係を築き、大切にし、守ることを教えてください。 キリストの御名において求めます。 アーメン。

 

参考

 

Chapman, G. (2013, November 13). Essentials of a Healthy Marriage. Calvary Baptist Church. Winston-Salem, North Carolina. Wheaton College. (2015, April 25). Retrieved February 10, 2022 from https://www.youtube.com/watch?v=v     M1LzhHQcf0&t=1834s

Chapman, G. (2015). The 5 love languages: The secret to love that lasts. Chicago:   Northfield Publishing.

Chapman, G. (2007). 愛を伝える5つの方法 (The 5 love languages: How to express heartfelt commitment to your mate). Tokyo: Inochinokotobasha.