私たちの将来と希望

2020年6月14日主日礼拝「私たちの将来と希望」エレミヤ29:11佐々木俊一牧師

  わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。エレミヤ29:11

■BC606年、ユダ王国(南王国)がバビロンに支配され、人々はバビロンに連れて行かれました。このとき、エレミヤはエルサレムにいました。エレミヤはバビロンに連れて行かれた人々に向けて神様から受けた約束のことばを手紙に書いて送りました。そのことが、エレミヤ29章に書かれています。その内容は、バビロンに連れて行かれたことは主の計画の中にあることであって、しかし、その計画はわざわいで終わるのではなくて、あと70年したらエルサレムに戻れるのだということです。

  神の計画は人々が苦しみの中を通ることを許されました。けれども、それは定められた期間だけであって、その結末は、将来と希望を与える計画なのだと言うことをエレミヤは伝えました。エルサレムやユダの町々が破壊され、多くの人々が殺され、そして、残された者たちはバビロンに連れて行かれました。この国難の中、エレミヤによって語られた神様のことばが今日のメッセージです。ユダヤ人の中には、このことばを信じた者もいれば、信じなかった者もいたでしょう。しかし、それから70年後、BC536年、エレミヤが言ったとおり、捕囚された人々はエルサレムに帰ることが出来ました。

  この預言は、この当時バビロンに連れて行かれたユダヤ人たちに語られたことばです。そして、また、この預言は、今生きているユダヤ人たちに語られていることばでもあります。また、さらに、この預言はイエス・キリストを信じる人々にも語られていることばでもあります。

  私たちが経験する困難には、自ら招いてしまうような困難もあれば、他者によって起こる困難もあります。このような時に私たちは、神様に助けを求めます。しかし、求めればいつも神様の助けが魔法のようにやってくるわけではありません。たいてい、私たちは、困難の中でもがき苦しみます。そして、私たちはこう思うかもしれません。人は誰も助けてくれない、人は冷たい。こんなに祈っているのに神様は助けてくれない、神様は本当にいるのだろうか。しかし、神様はこのような時、私たちのことをどうなってもいいと思っているのではありません。このような中で、私たちが悔い改めに導かれることもあるでしょう。私たちの忍耐が練られることもあるでしょう。私たちの品性が整えられることもあるでしょう。神様の慰めと励ましを受け、神様との交わりが深まることもあるでしょう。私たちにとっては苦しいことではありますが、ここで、神様のみわざが進められているのです。

  ユダヤ人たちは、バビロンの地で自分たちの生活を建て直しました。また、ユダヤの地にいたときのいい加減な信仰と悪い行いを悔い改め、真の神様に従って歩み始めました。預言者エレミヤの手紙にあった神様の約束のことばを信じて、いつの日かエルサレムに戻れる日を目ざして、バビロンの地で生き延びたのです。彼らはこうして、70年の間に、ユダヤの地に戻るために、神の計画の中で整えられていったのです。

■バビロンに連れて来られたユダヤ人にとって、彼らの将来と希望は、ユダヤの地にありました。彼らが将来、自分たちの国があったユダヤの地に帰ることが彼らの希望でした。現在、世界には1500万人のユダヤ人がいます。その半数がイスラエルと言う国に住んでいますが、残りの半数は他の国々に住んでいます。しかし、年々イスラエルに戻るユダヤ人が増加し、イスラエルに住むユダヤ人が増えています。現代においても、ユダヤ人の将来と希望はイスラエルの地にあるのだと思います。

  ところで、私たちにとっては将来と希望とは何でしょうか。バビロン捕囚でバビロンに連れて行かれたユダヤ人にとって将来と希望はユダヤの地にありました。ユダヤ人にとってのユダヤの地は、クリスチャンにとっては、神の御国です。しかしながら、クリスチャンとは何人であってもかまわないわけです。ユダヤ人であっても、アメリカ人であっても、カナダ人であっても、スコットランド人であっても、イエス・キリストを信じる人はみなクリスチャンです。ですから、神の御国は、すべての国の人々、すべての人々のための将来と希望なのです。

  エレミヤ29:11のことばは、ユダヤ人に対してだけ語られているメッセージでもありません。また、クリスチャンに対してだけ語られているメッセージでもありません。すべての国々とすべての人々に語られているメッセージなのです。イスラエルやその人々に起こった出来事をとおして、すべての国々とすべての人々のために、将来と希望を与える計画が用意されていることを神様は知らせようとしているのです。

■神の御国は、すべての人々にとって、最上の将来と希望です。それは、けっして、なくなることがありません。ですが、すべての人々にとって、この地上に将来と希望があることも現実です。ユダヤ人にとってはイスラエルの地がこの地上にある彼らの将来と希望です。日本人にとっては、日本の地がこの地上にある将来と希望と言えるでしょう。地球が私の将来と希望だと言う人もいるでしょう。

  個人的にはどうでしょうか。もちろん、私たちにとって神の御国が最上の将来と希望です。それは、永遠になくなることがありません。この地上ではどうでしょうか。

  私は25歳ころから将来フルタイムで神様の働きに就きたいと思っていました。しかし、牧師や伝道師以外の立場で働くことを模索していました。日本では、非常に難しいことです。なぜ、牧師や伝道師以外かと言うと、それは単純に、自分には無理だと思っていたからです。けれども、29歳のときに牧師になることも考え始めました。牧師になったのはそれから10年後、39歳の時です。そう考えると、どんなことをやるにしても遅すぎると言うことはありません。また、私が牧師として立つまでに、10年と言う時間が必要だったとも言えるかもしれません。

  一旦牧師になると、夢はどんどん広がるものです。10年後、多くの信徒と大きな教会を夢見ていました。しかし、それは、はかなくも崩れ去ってしまいました。そして、2009年4月からオープン・ドア・チャペルの牧師として務め始めてからこの4月で12年目に入りました。この間、会堂が手狭になってきて何とかしなければならないと思ったことが何度かありました。そのたびに、会堂を広くするために家財道具を取り除いたり椅子の並べ方を変えたり、いろいろ考えてました。しかし、それからしばらくすると、人がいなくなると言う現象があって、とても不思議に感じましたし、また、落胆もしました。一生懸命積んだ積み木が崩されてしまうような感じでした。

  そして、今回の新型コロナウィルスです。このようなことは、私の60数年の人生において、オープン・ドア・チャペルの30年の歩みにおいて、初めての事ではないでしょうか。歴史上、今までにいくつかの大きな戦争がありました。また、世界的な伝染病パンデミックがありました。それらによって世界中の多くの命が奪われました。さらには、世界的な経済恐慌も起こったりもしました。それらに匹敵するほどの大きな出来事です。今、私たちはその中に置かれているわけです。私たちはこれからどこへ向かって行くのでしょうか。

  新型コロナウィルスによって私たち人間の計画は大きく狂ってしまいました。日本で7月に予定されていたオリンピック・パラリンピックは来年に延期されました。もしかしたら、中止になる可能性もなくはありません。私たち自身の計画もガタガタです。教会としての計画もガタガタです。しかし、今日、やっと、総会ができます。感謝です。

  今回のコロナウィルスのことをとおして、みなさんも思ったかもしれませんが、一つ良いアイデアが与えられました。どこの教会もそうですが、オープン・ドア・チャペルも同じ問題を抱えています。それは、高齢化の問題です。今回、コロナ問題の中でオンライン礼拝やオンライン祈祷会が始まりました。スマホとテレビを繋げば大画面で礼拝中継を見ることが出来るそうです。たとえば、毎週、車で教会と家の送迎が難しければ、月に一度、送迎によって会堂で礼拝をし、月に3度はステイホームで礼拝に参加すると言うこともできるでしょう。会堂の2階でも大きなモニターに映して礼拝中継ができます。そんなアイデアは、コロナの問題の中でわかったことです。

■終わりに、箴言16:1~3を見てみましょう。「人はこころに計画を持つ。主はその舌に答えてくださる。人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」

  今までに何度もこのところを開いて読んだことと思います。神様は計画を持っています。私たちも神様に似せられて造られた者ですから、同じように、計画を持ちます。神様は、「あなたの計画を主にゆだねなさい。」と言っています。「主にゆだねる」とは、主に任せること、主にささげること、です。私たちは、自分の計画が自分の願う通りになってほしいです。ですが、その結果さえも、神様に任せるように、神様にささげるように言っています。自分の計画を主のみ手にゆだねましょう。そして、自分の計画のとおりにならないことがあったとしても、それでも、主に信頼し続けましょう。主に信頼し続けるあなたのことを主は喜び、そして、誇ることでしょう。私たちが主にゆだねることは、主にとって価値のあることなのです。

私たちがどんなに素晴らしい業績をこの地上に残すよりも、私たちがどんなに大きな成功をこの地上でおさめるよりも、なかなか計画通りに行かない中でもがき苦しみながら、人としての品性や忍耐や従順や思いやりを身に着けていくことの方が神様の目には尊いものであると私は思います。

  そして終わりに、私たちの将来と希望は、神の御国にあります。それは、私たちのための神様の最善の計画です。この地上においても私たちの将来と希望は神様の計画の中にあります。ですから、私たちの計画を神様にゆだねていきましょう。そうすればきっと、神様がこの地上においても私たちの将来と希望を一番良い形で導いてくださると信じます。神様の計画は、わざわいでは終わりません。必ず、私たちの将来と希望につながっています。そのことを信じて困難を乗り越えて行きましょう。それではお祈りします。