私が弱い時に、私は強い

コリント人への手紙第2 12章7節後段〜10節    “ 私が弱い時に、私は強い。”  

 

 皆さん、オープンドアチャペルの毎月第3日曜日英語礼拝にようこそ。 皆さんがどこにいても私達と共にいて下さるのは嬉しいことです。 

 COVID-19の危機が引き続き広がっている中、私達が経験していることの1つは、私達が、私達自身の弱さと向き合っているということです。 おそらく、特に家族の背景が常に安定していて、良い学校に行くことができ、仕事があり、安定した収入があって、信頼できる医療システムに頼る事ができる私達にとっては、物事は完璧ではありませんが、ほとんどの場合かなりスムーズに行くことを期待する強い傾向があります。 

 私達は、少なくとも毎日家から出て友達と会ったり、買い物に行ったり、恐れずに仕事をしたりする自由があって、自分達の生活をある程度コントロールできることを喜んで享受してきました。

 

 しかし実際のところ、それは健康に問題を抱える少数文化圏の人々や、政治的および宗教的自由のない国の人々には当てはまりません。 しかしコロナウイルスのある現在、私達が健康や安全、仕事の保証、つまり自分達が持っているものを失うかもしれないという感覚(知識)を持って生活していることが新しい事態なのです。 そしてそれはショックなことです。 私達はそれに慣れておらず、日々それに直面する能力を見つけることを余儀なくされています。 

 このような状況の中、私達が前に進んで行く時の生活の主要な部分は、私達が弱さという現実と共に生きることをどれだけうまく学ぶかです。 私達の主で教師であるイエス様から学んだパウロは、弱点を体験したことで非常に貴重なことを学んだと言っています。 つまり神様は、実際に私達の弱さを用いて、良好で、美しく、重要なことを行うことができるということです。 パウロの弱さは彼に神様の助けを探し求めるように教え、 彼がそのようにした時、彼はそれらをますます受け取ることができると分かったのでした。    

 弱さというものは実在するもので、私達はそれらから逃れることはできません。しかし、私達がそれらに立ち向かう時、私達は一人ではなく神様が私達と共におられます。また神様は、私達を子供として愛しておられ、私達の弱さから私達を助けたいと望んでおられるのです。

 

 これが今日、私が皆さんと分かち合いたいと思っている良いニュース(知らせ)です。

 今日は、その事をお話しする上で通常とは少し違った方法で行いたいと思います。

 皆さんに私自身の事をお話しします。それは今日でも普通の人々の生活の中でさえ神様が働いて下さることを例として皆さんに知ってもらいたいからです。OpenDoorの方々は私の話の一部または全部を別の機会で聞かれたことがあるかもしれません。 ですが、私は皆さんを退屈させるリスクを負っても良いと思っています。何故ならそうすることによって、皆さんが、神様が皆さんの人生や皆さんが知っている人々の人生の中でどのように働かれるかもっとよく知るためのヒントを得ることができると思うからであって、私の物語もそれと重なるからです。 ではご一緒に、神様が私達が持っているさまざまな弱を用いて神様の力を示し、それを私達の内に働かされる方法を見て行きましょう。 

 

 最初神様は、私を救ってくれました。 少年の頃、私は家族や友達に愛されたかったし、いい人になりたいと思っていました。 私の両親は私と兄弟をよく教会に連れて行ってくれ、私は教会や自宅で神様の救いの計画について聞くことができたのです。 私はローマ人への手紙10章9節、” あなたの口で「イエスは主です」と言い、 神がイエスを死からよみがえらせたと心から信じるなら、あなたは救われる。”  ということを学びました。

 そして、「よし、そうする。」 と6歳の時に決めたのです。 私は家族全員でキリストを信じる家族の一員に加わり、1966年2月6日にバプテスマを受けました。私は、罪を赦され、いつか天国に行く途中であって、神様から愛されていることを知ったスリルを今でも覚えています。 

 その年齢でさえ、私がその選択をしたことは今でも嬉しいことです。 

 

 しかし成長するにつれて、信仰についての疑問が形作られていきました。私は個人的にも霊的にも多くの点で未熟でした。高校生の時私は、キリストについて行くという6歳の時に行った決断を振り返ったのです。自分のしていることを十分に理解していたのか ? 家族を喜ばせるためだけに決断したとしたらどうしよう? 救われたかどうかはどうすれば分かるのでしょう? これらの質問が私を悩ませるようになったのです。

 

 高校の終わりと大学の初めの数年間、私は私の信仰と文字通り格闘したのです。それは多くの点で弱いものでした。私は救われていることについて、いつも100%確かでなければならないと思っていたのです。しかし、祈って、もっと聖書を読み、教会で私が尊敬する方々と話をしているうちに、ゆっくりと何かが見えてきたのです。 私は、私の信仰が正しいという、白か黒かと言った数学的な確信が欲しかったのです。

しかし、神様が私に語られたことは、ローマ人への手紙8章16節のようなものでした。       

   “ 私達が神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、証して下さいます。”  

 それは私が求めていた「証明」や公式ではありませんが、自分の質問や疑問よりも神様に耳を傾け始めたとき、一歩一歩、救いの確信がより強固になって行ったのです。 その時以来、自分の救いを疑うことは、実際、私の信仰の旅の一部分とはなっていません。

 

 第二に、神様が私に召命を下さりました。 私が学校を卒業し、残りの人生をどうするかを決め始めたとき、私はキリストに仕え、キリストが私を導いて下さるところは何処であっても従って行こうと思いました。 私は、イエス様が弟子として私達に言われたことを知っていたからです。” あなたは行って、すべての国の人々を弟子とし、父と子と聖霊の名によって彼らにバプテスマを授けなさい。私があなた方に命じたこと全てに従うよう教えなさい。 “ (マタイ28章19節〜20節前段)

 「ワオ!それは素晴らしい教えで、私が実現したいと思うもの。しかし、私にこのようなことが本当にできるのだろうか? 多分、他の誰かがそのような仕事に適しているかもしれない。私にはそれができると思える自信はない。」  私の考えはこのようなものでした。大胆な信仰とは呼べるものでは全くもってなかったのです。

 

 しかし、神様は私と共に働かれ続け、そして私に、日本に来て福岡の西南学院大学で1年間勉強する機会を与えて下さいました。 私は日本の方々と知り合いになり、日本語を学び、日本を旅して回る経験などをしました。そのようにしている時に、私は自分の信仰を共有できるかなり自然な機会があることが分かったのです。 それは例えば友人や一緒に聖書を学びたいと思う人達との会話などにおいてです。それはどういうわけか私に合っているようでした。 キリストのメッセージを広める為に私の時間とエネルギーを使うことが私にとって正しいことであると思えたのでした。 私は福音の為の宣教に召されたのだと思います。 

 私はまだ私が良い宣教師になれるかどうか分かりませんでしたが、そのことを尋ねるのは本当に間違っていると感じたのです。 もちろん私は、私自身の力によっては宣教の仕事を十分うまくはできません。また私は、誰一人をも救うことができないのです。ただ神様だけがそのような御業を行うことができるのですから。私自身の能力を心配している限り、私はおもに自分自身について考えることになるからです。 パウロはコリント人への第二の手紙4章5節で書いています。 “ 私達は自分自身について教えるのではありません。イエス・キリストについて教えるのです。 私達はイエスが主であると言います。 私達はイエスの故にあなた方に仕えているのです。”  私は理解したのですが、宣教の仕事全体のポイントは、特別な方法で上手になることでも、特定の目標を達成することでもありません。神様が私達に命じられたことを忠実に実行することがその核心です。 神様が呼びかけ、私達に可能とされることを私達が行う時、私達は神様の御手に結果を委ねることができます。私達にはイザヤ書55章10-11節の大きな約束があります。

     “ 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、種蒔く者には種を与え、

   食べる者にはパンを与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしく私のところに帰ってはこない。

   必ず私の望むことを成し遂げ、私の言い送った事を成功させる。 “

 

 私が母国の文化の外側でキリストのメッセージを語り始めたとき、神様のその約束は私に希望を与えてくれました。

 

 第三に、神様は私に備えを下さりました。

神様によって導かれたこの仕事をするために、私は、あらゆる状況に立ち向かい、あらゆる仕事をするために必要な知識と技術を多く持ちたいと思いました。 問題点といえば私には宣教の仕事をするために必要な聖書の知識が乏しく、日本文化への理解や日本語能力もそうでした。これらの弱点は「私の肉体のとげ」のようなものでした(7節)。

 

  しかし、神様は私のサポートの為の必要性に気づかれないことはなく、私が神様の仕事をする時に私を一人にされなかったのです。 神様は私に米国カリフォルニア州サンフランシスコのゴールデンゲートバプテスト神学校で3年間勉強する機会を与えてくれました。またその間、19番街バプテスト教会の日本人会衆の中で奉仕する経験も少し得たのです。 学校で、そして教会で経験したことは、コリント人への第二の手紙3章5-6節の教えと精神でした。 

 

 何かを、自分が成したことだと考える資格は、私達自身にはありません。私達の資格は神から与えられるものです。

 神は私達に、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。

 文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。

 文字は殺し、御霊は生かすからです。

 

 神様が私を通してなさることは私自身が行うよりもはるかに大きいということを信じることは、私が日本でキリストに仕える準備を続けている間、私に希望を与えてくれました。

 

 第四に、神様は私を遣わして下さりました。 神学校を終えて、キリストのメッセージを異文化コミュニケーションの中で伝えることの最も良い方法を探していた時、私は、そのことを仕事として私を支援してくれるグループ(組織)から送られたいと思っていました。 

私は一人でその仕事をしたいとは思わなかったのです。

       

 新約聖書における宣教活動のモデルは、神様が選択し準備したと信じる人々を教会が全体として送るというものであると私は信じていました。

 私の問題は(他の多くのように)、私の属する宗派でのことで、私が召された場所だと感じた日本への渡航は益々難しくなってきたのでした。 日本の教会は以前よりももっと独立しており、それ以前に行っていた海外からの支援の必要性が薄れてきていたのです。1つの家族を教会員の献金でサポートするためのコストは非常に高かったのです。それに、このような仕事から生まれる新しい信者の数が段々と少なくなって来ていたのです。宣教組織とは典型的な宣教師の家族を別の国に派遣し、数倍の数の新しいクリスチャンを獲得する「投資」として期待するものなのです。そして(おそらくこれが最大の障害)私は独身だったのです。 私の宗派では独身男性が宣教師として日本に送られることはまれでした。 

 

 ですから私は多くの点で強い立場にいませんでした。 しかし私は、それでもまだ神様が積極的に機会を探すように私を導いておられると何とか感じていたのです。 また、聖書の話から、神様は突拍子もないことをされ、道がないように見える所に道を作られると知っていました。 たとえば、神様はユダヤ教とキリスト教の信仰の父であるアブラム(創世記12章1節)に次のように語りました。「あなたは生まれた地と親族、あなたの父の家族を離れて、私が示す地に行きなさい。」 

 私はアブラムが、「神様、私が行くべき場所の名前を聞き取れませんでした。 「私が示す土地」とおっしゃったようですね。 もう少し具体的に教えてください。 そして、誰がこの冒険にお金を払うのでしょう? 私の貯蓄がどのくらい続くかわかりません。 事態が困難になった場合、誰が私を助けてくれるでしょう?」このように言うのが想像できます。

 しかし、神様が答えられたとしたら、それはイエス様が弟子達へ語られた言葉のようだったでしょう。「わたしに従って来なさい」(マタイ9章9節)。 それは神様の導きの要点ではないでしょうか? 神様は私達に「見えるものではなく信仰によって歩む」(第二コリント5章7節、新キングジェームズバージョン)ことを学んでほしいと願っています。

 それで私は、JRのパスを買って日本に飛んで行き、働いて、暮らし、奉仕する機会を求めて日本全国を廻りました。そしてここ札幌で私が見つけたのは、組織から派遣・支援を受ける宣教師ではなく、 日本のクリスチャンの学校と教会とに直接関係を持つという機会でした。私は北星学園女子短期大学で英語と聖書を教え始め、西野バプテスト教会で働き始めたのです。それ以来、時代と状況は大きく変わりましたが、34年経った今でも私はここにいて基本的に同じことをしています。 私は、勤めている学校や教会に伝統的な宣教団がもたらすような財政的または組織的な強さを与えることができませんでした。 しかし、私が教えることができたと思うことは、今日の聖書箇所における神様の約束の真実、「私の恵みはあなた方には十分です。私の力はあなた方が弱いときこそ最も大きくなるのです。」ということだと思っています。 

 今私は、私が望んでいたように物事がうまく運ばなかったことを嬉しく思っています。

 

 また他の機会に、時間がもっとある時、神様がどのように私を支え、用いて、祝福されたかをお話ししたいと思っています。ですが、皆さんはもう既に私の人生における神様の御業のパターンがお分かりになっていますね。神様は必ずしもいつも私が望んだ人生を与えて下さったのではありませんし、私は様々な種類の弱さと共に生きなければなりませんでした。それでも神様はこれらの大きな弱さを御自身の力を表す為に使われる方法を探されて来られたのです。神様はこれらの弱さを、導きのため、教えることのために、祝福されるために、そして私が期待し、または思いつくより以上の方法で神様の王国の為の仕事の一部を私にさせて下さいました。それ故に、ここに示す言葉で、それよりも感謝に溢れる人生そのものを通して、神様は心から褒め称えるべきお方なのです。

 

 さて、多くの皆さんが、ここOpen Doorで以下の言葉を聞いたことがあると思います。ですが、今日のメッセージの終わりにもう一度耳を傾け、それらが私達の人生における神様の働きについて私達が分かち合える証しであることを考えてみましょう。 

 

 

        最も豊かに祝福された者

        名もなき南北戦争兵士による

        アメリカルイジアナ州シュリーブポートの退役軍人病院のロビーに展示されている。

 

    大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに、

    謙遜を学ぶように弱い者とされた。

    より偉大なことができるように健康を求めたのに、

 よりよいことができるようにと病気を戴いた。

  幸せになろうとして富を求めたのに、

  賢明であるようにと貧しさを授かった。

  世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、

  神を求め続けるようにと弱さを授かった。

     人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、

  あらゆることを喜べるようにと命を授かった。

     求めたものは一つとして与えられなかったが、

   願いはすべて聞き届けられた。

   神の意に沿わぬものであるにも拘わらず、

   心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。

   私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

  (渡辺和子 訳)

 

 天のお父様。私達へのあなたの大きな愛とあなたが私達の中に住まわれたい、私達の心をあなたの住まいにされたいと願っておられることを感謝します。 私達は多くの弱点を持っていますが、それらが私達をあなたへと導くのを助けて下さい。 私達と共に苦しんで下さり、私達を引き上げ私達の毎日の生活にあなたの力が与えられる、そのような私達の弱い分野で、私達があなたを見つけることができますよう助けて下さい。パウロがしたように、あなたの力が私達の弱さの中で完全にされていることを私達が見つけることができますよう助けてください。 私達が弱さを受け入れ、さらには歓迎さえできますようにして下さい。「キリストの力が私達をおおうことができるためです(第二コリント12章9節後段)  神様、あなたの助けによって心の底から「私は弱いとき、私は強い」(第二コリント12章10節後段)と言うことができるようにして下さい。 これが私達の祈りです。

イエス様のお名前によってお祈りします。 アーメン。

 

参考

Anonymous. (n.d.). “Most Richly Blessed.” Mother Bird Three. Retrieved May 23, 2019 from http://www.suddenlink.net/pages/jimhug/Most_Richly_Blessed.html

Watanabe, K. (渡辺和子). (July 15, 2018). 「苦しみを超えて」(“Overcoming Suffering”) in 「神様に負かされて」(“Entrusted by God”). Katsutadai Church. Retrieved May 23, 2019 from http://katutadai-c.sakura.ne.jp/m27.html