キリストの復活と恐れからの自由

2020年4月19日英語礼拝(オンライン)メッセンジャー:ジム・アリソン牧師                 

  “ キリストの復活と恐れからの自由 “ ヨハネによる福音書20章19〜23節 

 

 私達の教会の受難日礼拝で私は、キリストの十字架とそれがもたらす孤独からの自由についてお話しました。今日、私は、復活とそれが可能にする恐れからの自由についてお話ししたいと思います。

  私達が恐れがある時代に生きていることを私が皆さんに言う必要はありませんね。 コロナウイルスは、私達又は私達の愛する人誰もが健康を失う可能性があるということを知らしめました。私達の生活の重要な部分を奪われることは恐ろしいことです。 このウイルスが私達の国の経済に与えた被害のために、多くの人がすでに仕事を失っていますし、この危機がどのくらい続くか、どれほど深刻になるかは誰にも分かりません。 未知に直面することは私達を怖がらせます。私達は病気になったり失業したりしなくても、他の人々の健康の必要にタイムリーに対応するのが困難であったり、多くの重要な活動を遅らせたりキャンセルしたりする必要があるなど、COVID-19の間接的な影響をすでに経験しています。 

 イエス様の弟子達もまた、今日の聖書箇所において、恐れと言う気分(雰囲気)の中にいます。 彼らは過去数日間に、権力を邪悪な方法で使用する人々が自分達の主イエス様の命を奪うのを見てきました。 彼らは夜間、群衆と共に、剣や棍棒を持ってイエス様のところに来ました。 彼らは弟子達にも同じようにすることができたのです。それでヨハネは19章で「彼らはユダヤ人を恐れていたのでドアを閉めていた。」と書いています。  その時、” イエス様が入ってきて、彼らの間に立った”  のです。 彼は弟子達にいつもの挨拶をします、” 平安があなた方にありますように!”  

 

 ヨハネは弟子達が最初にどのように反応するか詳しく書いていませんが、イエス様は彼らに御自身の手と脇側を見せ、 弟子達はイエス様の手に釘が入った場所と兵士が槍で突き刺した脇腹を見ることが出来たのです。 多分弟子達はイエス様が現れたのを見て少しショックを受けており、説得力のある何かが必要だったのです。 

 

 そのことは容易く想像できますね。マタイが福音書で描いている通り、その日の初めに墓にいた女性達も状況は同じでした。墓場にいる天使もイエス様も、” 恐れることはありません。(マタイ28:5,10)” と彼らに言わなければなりませんでした。

ルカは、” 女達は大変恐れていたため、顔を地面に向け頭を下げていた。” (ルカ24:5)と書いています。墓場の守衛は天使を見て恐れのあまり、震えて死んだ男のようであったと(マタイ28章4節)あり、女達がイエス様が生きていると聞き喜びを感じ始めた時でさえ、恐れていたのです。(マタイ28章5節)  

 マルコは、” 彼らは誰にも何も言わなかった。彼らが恐れていたからである。” (マルコ16章8節) と書いています。  このように、イエス様が死から甦った事を見たり聞いたりした最初の人々には大きな恐れがあったのです。

 

 そしてイエス様がその日の後半に弟子達がとどまっている場所に来られた時、弟子達は最初の不安の波が過ぎた後でも、その心はまだイエス様が彼らと共にいるという出来事を受け入れる準備ができていなかったことがわかります。 ルカ24章36-39節には、今日私達が学んでいるヨハネ20章の物語によく似た話があります。それは同じ場面の別のバージョンなのか、それともイエス様が現れた別の場面なのかは完全には明らかではありませんが、ルカは弟子達の事を(ルカ24章37節) 、” 彼らは驚き、恐れていた。彼らは幽霊を見たと思ったからである。”  と書いています。その時イエス様は、彼らを叱るように尋ねられます。(ルカ24章38節)   “ なぜあなた方は混乱しているのか。なぜあなた方は心に疑いを持っているのか?” と。

 

 十字架の悲劇的な物語だけでなく復活の喜びの知らせまで、これら全てに渡っている恐れに対しイエス様は弟子達に少々辛抱強くならなければなりません。もちろん、イエス様は彼らの気持ちを理解していますが、彼等をそのままにしておく事を良しとされません。

 イエス様はまた弟子達を恐れから引き上げられるのです。ヨハネの記述よると、(21節)でキリストは彼らに再び “ 平安があなた方と共にありますように。” と言われます。最初は、それが “ ハイ、皆さん” というような簡単な挨拶のように聞こえたかもしれません。 でも、誰かに “ こんにちわ” と言ってから、直ぐに同じことを言う人はいないですよね。 イエス様はまさにご自分で言われた通りの意味で言っているのです。 たった数日前(ヨハネ14章27節)にイエス様が弟子達に与えた言葉、” 私は、平安をあなた方に残します。あなた方に私の平和を与えます。私はこれを世が与えるように与えるのではありません。 心を騒がせてはいけません。恐れてはなりません。” をイエス様は弟子達に思い起こさせているのです。

 

 イエス様がそのように言われた時、それが聞こえが良い事やそのような何かのために言われたのではありませんでした。イエス様は本当に彼らが平安であることを望んでおられて、” 平安があなた方にありますように。” と言われたのです。それはイエス様が一週間後に彼らとトマスのいるところに戻られて、彼らに、恐ろしい時でさえ平安に生きる強い理由があることをもう一度示す為に言われることと同じ言葉です。それはイエス様が生きておられ安泰であって弟子達の間で完全に強く働かれているということなのです。

 この私達の恐れのある時代においても、皆さんと私に対するイエス様のご意志は、私たちが深い平安の中で生きることです。 イエス様は恐れのある状況で私達人間の通常抱く恐怖感を非難されません。ですがイエス様は最終的に私達が私達の恐怖を克服し、それらにコントロールされないように学ぶのを助けたいと思っておられます。  "恐れることはありません。”  これらの言葉は、特に次のような場合には、神様に従う者達が聞き続けて、絶えずお互いに話し続ける必要がある言葉です。

 なぜ、神様は勇気をもって生きるように私達に呼びかけられるのでしょう? もちろん、愛が神様の感情や考えの中心にあるからです。 そして、それは私達のための神様の意志です。しかし、それだけではなく、イエス様は続けて、(21節) ” 父は私を遣わされました。 そして今、私があなた方を遣わします。” と仰り、イエス様の愛は彼らだけでなくすべての人々のためであり、イエス様は彼らを使ってその事を広め、共有しようとされているのです。イエス様には彼らの為の使命があります。そしてそれを達成するために、彼らは、彼らの中の恐れの力から解放される必要があるのです。生きているキリストが彼らと共におられます。実際に、イエス様は彼らの中にご自分の家を作られるのです。イエス様は、” 聖霊を受けなさい。”(22節)と命じ、このようにして彼らに、イエス様が彼らの前に置いた仕事を実行する為に必要な力をお与えになったのです。

 ですから、この素晴らしい仕事を成し遂げることが可能となったのです。しかし彼らは困難な時代に勇気のある人として生きることを学ぶためにイエス様に大きくより頼む必要があるのです。

 

  さて私達には、約2,000年のキリスト教の歴史があって、それによってイエス様のご計画がどのように成し遂げられたのかを振り返り確認することができます。それはもちろん完全ではありません。何故ならご自分の業の道具として使うことを選ばれたのは、欠けのある罪深い者だからです。しかしながら、神様がどのようにしてご自分の救いの御業を素直な信仰で進んで神様に従う者達を通して為されかについて見て行くことは有益なことです。このことを見ていくために、広範囲に渡って感染した病気が幾度も多くの人命を奪った事が参考になります。 

 

 その一例は、アントニンペストとも呼ばれる2世紀のガレンのペストです。 ガレンは医者であり、ローマ帝国の医学分野のリーダーでした。 ウイルス(おそらく天然痘)がひどく広範囲にわたり疫病をもたらしたとき、最初に彼がしたのは、国内にある自分の家の安全のためにローマを去ることでした。 彼は自分で助けることができることは何もないことを知っていました。 通りには遺体が積まれていました。 ガレンは、クリスチャン達が病気の人々を訪ねて行き、自分自身の命を守ることに無頓着であるかの如く行動したとコメントしました。 これは、ほとんどのローマ人が示したものとは著しく異なる反応でした。 クリスチャン達は、もし彼らが死んだとしても自分達がもっと良いどこかへ行くだけだと信じていました。 誰もが何かの理由で死ぬことになるのは事実です。 キリスト教信者たちは、もしこの病気で死んだとしても、またその後で他の何かのことで死んでも、天の国でより良い人生が待っているという一つの重要な事実の前にはほとんど関係がないと結論づけたのです。  

 

 3世紀には、キプロスの疫病(おそらくエボラ出血熱)がローマ帝国を席巻しました。 典型的なローマの人々は、彼ら自身が病気になるのを避けることを望んで、死者を路上に放置しました。 残された記録によると、ローマでは1日あたり約5,000人が亡くなっています。 クリスチャンの指導者であるディオニシオ司教は260年頃このように書いています。 

  

  我々のクリスチャンの兄弟達のほとんどは、無限の愛と忠誠心を示して、決して惜しむことなく、ただ人々とのお互いの関係だけを考えていた。危険に無頓着に病人達の世話をし、病人達のあらゆる必要に注意を払いながらキリストにあって彼らの面倒をみ、彼らと共に静かに幸せの内に亡くなった。多くが他の人の看病と治療の中で、病人達の死を彼ら自身の死に移し替え代わりとなって亡くなった。

 

 クリスチャン達はイエス様が何をして何を教えたかを非常に意識していました。 彼らはイエス様だけが世の人々のために死ぬことによって人に永遠の救いを提供することができるお方であると知っていたのです。 彼らにはまた、イエス様が実例となって彼らにも持つように教えた犠牲を愛する精神がありました。 そして彼らは、イエス様が十字架で死なれただけでなく、病人もいやされたことを知っていました。 彼らはまた、信じる者の心に住み、イエス様の御業をし続けることを可能にする聖霊をイエス様が彼らに残されたことも理解していました。 そして彼らは、自分達の時代、社会、文化の中で、自分達が “ 小さなキリスト (クリスチャン) “ として活動するためにそこにいると信じていたのです。

キリストに倣うことの一環として、彼らは出て行って病気の人々の世話をすることが自分達の責任であると信じていたのです。

 

 そのような訳で、クリスチャンは永遠の命の保証と共に、イエス様のお手本、啓示、教えを手にしていました。それがローマ帝国で彼らの周りの人々と決定的な違いをもたらし、結果として彼らは、多くの彼らの隣り人が助けという自分達の必要を認識した時に、キリストのための力強い証人となったのです。

 

 次の世紀(300年代)、皇帝ユリニアスはキリスト教の神ではなくローマの神々に仕えた司祭に手紙を書きました。皇帝は彼にクリスチャン達が運営しているような似た慈善団体を設立することを望んでいました。 ユリニアス帝は明らかにクリスチャンが好きではなかったのですが、彼らの仕事が多くの人々の支持を勝ち取るのに効果的であると分かっていました。彼はこれらの人々について不平を言い、” 神を敬わないガリレオ人(クリスチャンの蔑称)は自分達の貧しい者達だけでなく、我々の貧しい人々をも助けていて、それによって我々の援助が不足していることが誰が見ても明らかになった。” と言いました。

 

 クリスチャンの社会歴史学者であるロドニー スタークは、当時のクリスチャン達は彼らが直面していた疫病を止める薬を持っていた訳ではなかったと指摘しています。しかし、病気の人を訪問して世話をし、死者を埋葬することで、事実上基本的な介護を提供していたのです。そしてそれは、多くの場合人々が危機を通り抜ける為に十分なことでした。 キリストの信者は多くの人々が生き残ることを可能tし、当時は基本的にヘルスケアがないことが当たり前であったことに比べて、その事は非常に画期的なことでした。

  スタークの指摘したポイントは、基本的な介護さえあるところでは、生存率が劇的に上がったということです。 クリスチャン達の行動はおそらく多くの人々にはクレイジーで自殺行為と思われたでしょう。しかしそれらの事象においては公衆衛生への確実な助けだったのです。

 普通のローマ人はそのような事の為に自分達の命を投げ打つことはなかったのですが、クリスチャン達はそのようにしたのです。 多くの人が尋ねるでしょう。 何が彼らにそのような行動を明らかに進んで、そして満足しながらさせたのかと。そして非キリスト教徒が進んで福音を聞きたいと思う心が高まり、興味、関心も大きくなったのです

 

 ローマ帝国において、クリスチャンが非キリスト教徒の隣人に行った信仰の証は、多くの人々がクリスチャンになった主な理由の1つであることは疑いのない事です。 

 ローマ帝国は、イエス様の時代の直後、クリスチャンであることで殺される可能性があった国だったのですが、およそ300年以内には正式にキリスト教国となりました。 この劇的な変化が可能となったのは、キリストを信じる者達が、イエス様のこの世における愛と救いの御業を継続するためにイエス様ご自身から遣わされたと理解していたことが少なからずあったと思われます。

 

 ローマ帝国固有の宗教的な考え方を背景に持つ人々は、自然災害に苦しむ人々が神々から罰せられているものと考えていました。 クリスチャン達は、苦しんでいる人々が必ずしも罰せられているのではなく、共に苦しみ、困難な時を乗り越える力を与えて下さる神様の深く変わることのない愛が共にあるという根本的に異なった見方をしていました。

  神様は、ゼウスのように雷を天から落とすような裁きの神ではありません。それどころか、キリストの十字架が最も良くあらわしている救いと癒しと回復の道を与える憐みの神様です。イエス様の復活が最も良くあらわしている命の神様であって死の神ではありません。

 

 広範囲にわたる病気が幾つもの時代続きました。  6世紀には、ユスティニアヌスの疫病がヨーロッパを襲い、コンスタンティノープルからアイルランドまで広がりました。 クリスチャンの霊的指導者の多くがこの病気で亡くなったのです。

 それは14世紀に黒死病(ペスト)として知られているヨーロッパで最悪の疫病を引き起こしたのと同じバクテリアでした。 3年間でヨーロッパの人々の約48%が亡くなったのです。 マルチンルターの生きた時代の2世紀後及びその後も、この疫病は再発し多くの命を奪いました。 これらそれぞれの危機において、クリスチャン達はキリストの名によって人々を助けるため、病気から逃げるのではなく病気に向かって行くことで信仰を生き延びました。 神様の愛、他人への奉仕、死後の人生についての彼らの信念は、そのすべてが彼らの動機の重要な部分でした。 ヘブル人への手紙12章2節では、イエス様が十字架に向かって行かれたのは、” ご自分の前にある喜びの故に” とあります。 伝染病がはびこる時代のクリスチャン達は、ただ単に人々を助けることになっていたから助けただけではなくそれが正しい事であって、神様を喜ばせることだから、この世界よりもはるかに良い世界での生活に深い確信を持っていたからそのようにしたのです。

 

 ルターは、自分の教区を離れて安全な場所に行くべきか、それとも止まって支援すべきかについて、書面で、聖書の教えに基づいて両方の選択肢のプラスとマイナスを挙げました。 人々の健康と神様が与えて下さった素晴らしい命を守るという理由において、すべての事を行うことが彼にとって非常に重要でした。 したがって、彼は、” 自分自身の死または他者の死のいずれかに責任を負う” ことを避けたかったのです。 しかし結局、彼は残って自分の教区の世話をすることにしました。 主な理由は、彼が自分自身の人生と他の人の人生は最終的に神様の御手の中にあると信じたからです。彼は、” 神が私を取り去ろうとなされるならば、確実に私を見つけられる...( もし神が私を連れて行こうと思われるなら、必ず私を探し出される...) “ と書いています。

  

 危機の時代にここにいる私達はどうでしょうか?  特に2020年の札幌で必要とされていることに見合った(適合する)やり方で私達がキリストの手と足なることとはどのような事なのでしょう?

 誰が、私達が買って持って行く食べ物を必要としているのでしょう? 混雑したエリアに買い物に出かける必要がないように、オンラインで必要な多くの物を注文する方法を私達は誰に教えることができるのでしょう?  短く簡単な電話やオンラインでの会話、あるいは祈りを共にする時間を歓迎し待っている方々とは、誰なのでしょう?。これらは、専門家だけではなく、皆さんや私のような普通のクリスチャンでも神様の導きによって尋ねて答えを得ることにできる問いの例です。

 

 さあ今、神様がお選びになる全ての方法において神様が私達を導いて下さるようにお願いしましょう。

 

 天におられます父なる神様、私達は、” ...平安があなた方にあるように!” 、 “ ...私があなた方を送り出します。” 、“ 聖霊を受け入れなさい。” というあなたの言葉を通して、今日再びあなたが私達に語られるのを聞きました。

 私達が今生きて経験しているこの恐れがある時代に、私達をあなたの平安で満たしてください。 あなたの名前によって他の人に仕えるためあなたが私達を送られる時に、私達があなたの勇気と知恵に耳を傾け従う勇気を下さい。私達がそのようにする時に私達を守り祝福して下さい。あなたの霊の力を通してキリストの救いの福音を、あなたの救いの愛を知る必要がある私達の周りの人々へ、私達が言葉と行動をもって効率よく共有できるようにして下さい。。 キリストの御名によって祈ります。 アーメン。