エバ・ハバ・ハハ

2019年5月12日(日)主日礼拝 

「エバ・ハバ・ハハ」創世記3:20-21 佐々木俊一牧師

■「卵が先か、鶏が先か」という疑問がよく話題になります。この疑問は、命がどのように始まったのか、また、世界がどのように始まったのかという問題を提示しています。「鶏が先である」というのが聖書的な答えです。人について言うならば、神は初めに男を造ったとあります。名前は、「アダム」です。「ア」は神を表す文字であり、「ダム」は「血」という意味のことばであると、以前、授業で習いました。「アダム」は「神の血」という意味があるそうです。神は、男にふさわしい助け手として「女」を造りました。アダムをしばしの間眠らせてその間にアダムの肋骨の一つをとって女を造ったとあります。この話を聞く限りにおいて、多くの日本人は、神話かその類の作り話だろうと思うのではないでしょうか。

 そこで、『肋骨(ribs))』ということばに注目したいと思います。ヘブル語で「cella」と発音するそうです。このことばは、周りが仕切られた一つの部屋のようなものを表しているそうです。その他にも、牢屋、船の湾曲した肋骨状の骨組み、鳥かご(cage)にもこの言葉が使われているそうです。そして、英語の「cell(細胞)」は、ヘブル語の「cella」と発音する言葉から由来しているのだと、私が習ったユダヤ人の先生は言っていました。そこで、ネットで調べてみました。そうしたら、「cell」の語源は「小さな部屋」というギリシャ語であると書かれていました。また、あるところには、ラテン語の「小部屋、小区画、最小単位」を意味する「cella」という言葉が語源であるとなっていました。結局、へブル語の言葉が語源であると言うのは見つけることはできませんでした。でも、旧約聖書について言うならば、ヘブル語がギリシャ語やラテン語よりも先なのですから、ヘブル語の言葉が元になっていると言っても間違いではないと思います。

■創世記3:20 アダムの妻の名前は、「エバ」と言います。アダムがその名前をつけました。注釈を見ると、「エバ」とはヘブル語で、「ハバ」とあります。意味は、「すべて生きている者の母」または、「命を与える者」です。ですから、エバは、ここにおられる方々の共通の「ハハ(母)」と言うことになります。アダムとエバに続く人間はすべて、男性も女性も、女性から生まれるように神様は造りました。

 しかし、男性も女性も合わせて、人は男性から始まりました。神様にはできないことはありませんから、初めに女性を造ろうと思えば造ることができたでしょう。でも神様はそうはなさいませんでした。初めに男性を造ったのです。これらの事を総合すると、男性あっての女性であり、女性あっての男性なのです。

■ところで、最初の人アダムはどのように神様によって造られたのでしょうか。創世記2:7にこのように書かれています。「その後、神である主は、土地のちりで人間を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生きるものとなった。」

 「土地」は英語で「ground」です。「ground」をストロングのコンコーダンスで調べてみました。「ground」のヘブライ語は、「アダマー」と発音します。「アダマ―」は、「アダム」という名前の基です。「アダム」という名前は、この「アダマー」から来ています。先ほど、アダムの「ア」は神を表し、アダムの「ダム」は血を表すと言いました。これは、「アダマ―」にも言えることなのです。土地を意味する「アダマ―」にも神と血を意味する言葉が含まれていると言うことです。

 神は土地のちりで人の体を造りました。ちりというのは、ヘブライ語で「アファル」です。これは、細かい粒々のことを言うそうです。土の中にある細かい粒々とは何でしょうか。分子とか原子のことでしょうか。

人の体は体重の半分以上が水でできているそうです。年齢や性別にもよるそうですが、胎児が90パーセント、赤ちゃんが75パーセント、子どもが70パーセント、成人が60パーセント、高齢者が50パーセントだそうです。みなさんは何パーセントでしょうか。私は55パーセントでしょうか。

 そして、人の体の95パーセントが、酸素、炭素、水素、窒素からできているそうです。ほかの5パーセントは、カルシウム、カリウム、イオウ、リン、ナトリウム、マグネシウム、その他のミネラルだそうです。これらの元素のすべてが土の中に存在しています。人の体が土からできていると言っても不思議なことではありません。

■「血の中にいのちがある」と聖書にかかれています。聖書の中で血について最初に言われているところはどこかと聞かれると、たいていの人はカインに殺されたアベルのことを思い起こすのではないでしょうか。それは創世記4章に書かれています。でも、創世記2章の「土地(アダマ―)」にも「血」を表すことばが入っていました。「ダム」という言葉、音です。実は、もっと前の創世記1章で、すでに出てきているのです。これも先ほどのユダヤ人の先生から習ったことなのですが、創世記1:26にあります。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」英語で言うと、「image」と「likeness」ですが、ヘブライ語では「ダムート」ということばが使われているそうです。このことば中にも血を表す言葉の音が含まれていると言うことです。

 神はご自身に似せて人を造りました。人の目で神を見ることはできません。見た目が似ていると言うことではなくて、目で見えない部分、たとえば、心や感情です。愛する心、喜ぶ心、優しい心、嬉しい心、平安な心、あるいは、悲しい心、寂しい心、怒る心、否定的な心や感情も含むでしょう。さらには、考える力、新しいものを作り出す力、想像力、判断力、洞察力、指導力、管理力、推理力、等々のいろいろな能力や才能や知識や知恵です。

 そして、霊的な存在であると言う点です。これが神に似ている1番重要な点です。先ほど、創世記2:7に、「・・・その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生きるものとなった。」とありました。いのちの息とは、霊のことです。人は神から霊を受けて、神と同じく霊的な存在とされ、生きる者とされたのです。

■私たち人間は神によって造られた存在です。偶然が繰り返されて出来上がったものではなくて、神様のアイデアによって造られたものなのです。神は人を男と女とに造りました。神は、女を男の助け手として造りました。ですが、それは上下関係を意味しているのではありません。どちらかが劣っていて、どちらかが優れているわけでもありません。両者は対等な関係で、それぞれに与えられた大切な役割があるのです。そして、互いに互いの助けとなって生きていくのです。

 ところが、人間の歴史をふり返って見ると、長い間、世界中で女性は虐げられてきました。なぜ、女性が虐げられてきたのか、その理由を聖書の中に見出すことができます。創世記3:16 にこう書かれています。「女にはこう仰せられた。『わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。』」

 男が女を支配する世界は、本来、神様の考えていた世界ではありません。「男尊女卑」とか「男性優位社会」は神様のみこころではないのです。創世記3:16に書かれていることは、罪の結果起こった事であって、これが、神様による罰とか裁きであると考えるのは間違っていると思います。罪を犯せば、それに付随して起こる出来事は、男も女も自分で刈り取らなければなりません。神は、罪の結果どうなるかを彼らに予告しただけなのです。男尊女卑や男性優位社会が神様の方法でないということは、聖書をよく読めばわかることです。

■最初の人、アダムとエバの関係はどのようなものだったでしょうか。創世記2章を読む限りにおいては、二人はとても仲の良い夫婦になるはずでした。しかし、ふたりがしてはならないということをしてしまい、神様によってその罪を咎められた時、アダムは、自分にエバを与えた神様が悪い、善悪の知識の木から実をとって食べさせたエバが悪いのだ、と言って神様とエバに責任を負わせようとしました。また、エバは、自分を誘惑した蛇が悪いのだ、と言って責任を蛇に負わせようとしました。責任転嫁は私たちもやりがちなことです。たぶん、この頃から、二人の仲には不協和音が出始めたのではないでしょうか。

 彼らには、カインという名の長男とアベルという名の次男がいました。この最初の家庭の中で、殺人事件が起きてしまったのです。カインはアベルを殺してしまいました。カインのアベルへの嫉妬が原因だったと思われます。原因にはもっと深い根があったのだとも考えられます。アダムとエバの関係はカインにどのような影響を与えたでしょうか。また、親子関係や兄弟関係はカインにどのような影響を与えたでしょうか。

 家庭の問題を意識しながら旧約聖書を読むと、おもしろいかもしれません。聖書の中に、優れた信仰の男性や女性を見つけることは容易ですが、優れた親を見つけることは難しいと思います。アブラハム、サラ、イサク、リべカ、ヤコブ、サムエル、ダビデなど、彼らは信仰の人でしたが、しかし、親としては大きな失敗を犯しています。もっと悪いことは、その失敗に気づいていないと言うことです。彼らの家庭には、子どもの立場からすると、不公平と思われることがたくさんあったのです。ですから、彼らの子どもたちの間には、ねたみや嫉妬があり、ある時には命さえ奪いました。いつの時代でも、子どもにとってはえこひいきや不公平は重要な問題なのです。家でも学校でも、えこひいきや不公平に対しては、子どもたちはとても敏感です。アダムとエバの家庭にも同じような問題があってもおかしくはありません。

 人間関係には、今の時代にも昔の時代にも共通する問題があると思います。アダムの時代から今の時代に至るまで、時はずっとつながって流れて来たのです。良いことも悪いことも、家庭をとおして、世代から世代へと引き継がれてきたものがあるはずです。男が女を支配し、女は負い目を感じて劣勢に生きなければならない状態は、世代から世代へ、時代から時代へとつながってきたのです。

■話は変わりますが、先日、NHKで「遺伝子」についての番組を放映していました。出演者は、iPS細胞の山中伸弥教授、タモリさん、鈴木亮平さん、石原さとみさんでした。人の遺伝子は2万2千ほどあるそうです。しかし、それは、DNA全体の2パーセントにすぎません。残りの98パーセントのDNAはジャンクDNA、役に立たないゴミのようなDNAと考えられてきたそうです。ところが、DNA解読の速さが増してきた昨今、ゴミと思われていたDNAに重要な働きがあることがわかってきました。たとえば、がんや認知症を抑えるDNAや人の体や性格や能力に関する細かい特徴を現すDNAの発見が進んでいるそうです。このしくみがあまりにも素晴らしいので、山中教授は、遺伝子は人体最大の神秘で奇跡であると言っていました。それに対して、鈴木亮平さんが、この仕組みをいったい誰が作ったのでしょう、と言っていました。この仕組みを作ったのは人間でないことは確かです。

 みなさん、人は偶然の繰り返しによって出来上がった存在ではありません。神様のアイデアによって造られた大切な作品であることに自信を持ちましょう。人間の頭脳はコンピューターを造り出しました。私は複雑なコンピューターの仕組みはまったくわかりません。けれども、ある人々はそんなすごいものを造りました。そのコンピューターを分解して、何万年、何百万年放っておいたら、コンピューターができるでしょうか。できません。そこに人の知恵や知識が働かなければコンピューターはいつまでたってもできません。人の体の仕組みはコンピューター以上のものです。誰かの知恵と知識がなければできないのです。

■創世記3:21「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」ここに、イエス様のことやイエス様の血潮のことは出ていません。しかし、このところは、イエス様の救いとイエス様の流された血潮のことが書かれています。神様はアダムとエバに皮の衣を贈るために、動物(たぶん、羊でしょう)を殺しました。その時、血が流されました。その皮の衣は、神様の愛を表しています。イエス様は、人の罪のために殺されました。その時、神の血が流されました。それによって、私たちは罪で汚れた衣の代わりにイエス様の聖なる衣を与えられたのです。それは、私たちへの神様の愛です。神様の愛には男性に対しても女性に対してもえこひいきはありません。

 先ほど、男が女を支配し、女は負い目を感じて劣勢に生きなければならない状態は、世代から世代へ、時代から時代へとつながってきたのです、と言いました。しかし、この流れを断ち切ってくれたお方がいます。それが、イエス・キリストです。イエス様ほど女性の立場を理解し、女性を大切にされた方はいませんでした。男性はイエス様に習いましょう。女性を大切にし、妻を大切にし、母を大切にしましょう。これは、キリスト教の真骨頂です。ヒンズー教にもイスラム教にも仏教にもありません。他の宗教にはない教えです。リバイバルのヒントはここにあるのかもしれません。女性を大切にすること、妻を大切にすること、母を大切にすること、これは神様のみこころです。神様に従いましょう。それではお祈りします。