イエス様、助けて!

20171112日主日礼拝「イエス様、助けて!」マタイ14:22~33 佐々木俊一牧師

 

■今日は、「イエス様、助けて!」というタイトルでお話をしたいと思います。みなさんは、今までに何度、「イエス様、助けてください」「神様、助けてください」「主よ、助けてください」と言ったことがあるでしょうか。私は数えたことはありませんが、数えきれないほど言っていることは間違いありません。これからもその数はさらに増えていくと思います。

■マタイ14:22~26 マタイ14章には、イエス様が、5つのパンと2匹の魚で5000人以上の人々がお腹いっぱい食べたという奇蹟を行なったことが書かれています。続いて、そのあとすぐに、弟子たちだけを舟に乗り込ませて、イエス様より先に向こう岸に行かせたことが書かれています。弟子たちが舟に乗っている間、イエス様は何をしていたのかというと、祈るためにひとりで山に登られたとあります。薄暗い夕方になってもまだ、山にひとりでいました。

  イエス様が祈っている間、弟子たちはガリラヤ湖の上を舟で向こう岸に向かっていました。しかし、向かい風や波のせいで、なかなか向こう岸に着けないでいたようです。夜中の3時になってもまだ向こう岸に到着できないでいました。少なくとも出発してから10時間は過ぎているはずです。ガリラヤ湖の大きさは、最大幅13キロメートル、最大長21キロメートルです。その程度の湖ですから、ふつうなら着いていてよいはずです。風と波が非常に激しかったのだと思います。

  弟子たちだけで舟に乗り込ませ、その間、イエス様はひとりで山に登って祈るという状況は、イエス様が意図的につくられた状況だったのではないでしょうか。イエス様が祈る時、それは、何か重要なことを行なうときの前ぶれであり、弟子たちにとっては信仰の訓練と学びのある時であるというのは、時々見られることです。夜中の3時頃、真っ暗闇の中を、イエス様は弟子たちの乗っている舟まで水の上を歩いてやって来ました。大荒れの湖の上をイエス様は歩いてやって来たのです。弟子たちの反応はどうだったでしょうか。湖の上を歩いているイエス様を見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、悲鳴を上げるほどでした。この福音書を書いたマタイもその時乗っていたはずです。

マタイ14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。

  弟子たちが乗っていた舟は風と波で上下に揺れていました。さらに、荒れた湖の上を人の形が動いていたのですから、弟子たちの恐怖心は最高に達したのだと思います。自分たちはこれからどうなるのだろうか。自分たちはここで死んでしまうのだろうか。何か恐ろしいことが起ころうとしているのではないだろうか。マイナスの想像力がどんどん膨らんでいきます。そんな状況の中で、イエス様の声が響きました。イエス様は弟子たちに向かって大きな声で叫んだと思います。ですが、風や波の音でかき消され、弟子たちに届くイエス様の声はとても小さな声としてしか届かなかったのだと思います。でも、その声は、聞き覚えのある声でした。その声は、弟子たちに向かって、勇気を出しなさいと言っています。また、それは、安心しなさいとも聞こえます。その声はわたし、つまり、奇跡をなし、病をいやし、悪霊どもも言うことを聞く、あのイエス・キリストだと言っています。わたし、イエス・キリスト、神の子があなたたちと、今共にいるのだと言っています。だから、恐れることはないのだと言っているのです。

■マタイ4:28~30 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。ところが、風を見て、恐くなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。

  ここでペテロは、純粋に信仰に燃えているのか、それとも、いいところを見せようとしているのか、はっきりしたことはわかりませんが、かなり無理して頑張っているように私には思われます。実は、これに似た状況をペテロはすでに体験していました。マタイ8章に書かれている出来事ですが、この時イエス様は大暴風の中、舟の中で眠っていました。弟子たちがやって来てイエス様を起こし、「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」と訴えました。イエス様は同じように、「なぜ恐がるのか。信仰の薄い人たちだ。」と言って、風と湖をしかりつけました。そうすると、風も波も静かになったのです。

  ペテロはあの時イエス様に言われたことを思い出したのかもしれません。「なぜ恐がるのか。信仰の薄い人たちだ。」 そして、思ったことでしょう。「イエス様に、信仰の薄い人たちだと言われるのはまだ我慢できる。けれども、他の弟子たちと同様に信仰が薄いと言われるのには我慢ができない。」そこで、ペテロはかなり無理して頑張って、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と言ったのではないでしょうか。そうしたら、「来なさい。」という声が聞こえたので、ペテロはかなり無理して頑張って水の上を歩き始めました。初めは良かったのですが、大きな波を見ると急に恐怖心が高まってペテロの信仰は小さくなってしまいました。すると、ペテロは水の中に沈み始めたのです。死の危険を感じたペテロは、「主よ。助けて。」と必死になって叫びました。結局いいところを見せられなかったペテロでした。

■マタイ14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

  「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」とペテロはイエス様に言われてしまいました。なんてかっこ悪いのでしょうか。

  ここで、みなさんに考えてほしいことがあります。このペテロとイエス様の出来事を通して、イエス様はどのようなお方なのか、そして、神様はどのようなお方なのかを考えてみてほしいと思います。

①ペテロ、お前は何て駄目なやつなんだ。何度やっても信仰者として立つことができない。周りを見るから恐くなるのだろう。わたしから目を離しちゃいけないのだよ。それくらいどうしてわからないのか。どうしてできないのか。次はもう助けないよ。自分で何とかしなさい。こんなに冷たくて恐くて厳しいお方でしょうか。

②ペテロ、前回よりはちょとだけ進歩したかな。でも信仰者としてはまだまだ伸びしろがあるね。周りを見ると恐くなり、それが信仰の妨げになるのだから、わたしの方をしっかり見続けるんだ。そうしたらきっと、次はもっとよくなるよ。信仰がまだ薄いんだね。疑っちゃうんだね。弱さがあるよね。仕方ないよね。人間だから。ペテロ、お前は駄目なところはあるけれど、でも、一生懸命頑張っているし、やる気があるし、前向きだし、いいところあるよ。期待してるよ。愛と情けをとても感じる、そんなお方でしょうか。

 みなさんはどう思うでしょうか。

■マタイ14:32~33 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。

  「神様、助けてください。」と祈り、そして、神様の助けやみわざを見たときには、私たちが神様に感謝を表し、礼拝をささげるという態度はとても大切です。間違っても、神様の助けやみわざを見た後で、何の感謝も礼拝の心も表すことなく、その結果を自分の力や能力に帰することのないようにしたいものです。

■私たちは、しっかりと信仰に立って歩みたいと思います。けれども、現実的には、私たちは誰でも弱さがあります。ですから、もしも、ペテロのように神様の方ではなく周りの状況を見て不安や心配や恐れが来た時には、「イエス様、助けて!」と叫びましょう。このことばには影響力があります。私たちの精神面や霊的な面への働きや助けがあります。そして、何よりも、このことをとおして、現実的な神様の働きがあり、助けがあるのです。

  来年は何人か受験生がいますね。受験の時、もしも緊張して頭が思うように働かないように感じたら、「イエス様、助けてください。」と祈ってください。あるいは、1つの問題に時間がかかり過ぎて、残り時間が少ないことに気づいて焦ってしまう時、「イエス様、助けてください。」と祈ってください。私たちの日々の生活、仕事、旅行、いろいろな状況の中で何か困ったことが起こったなら、「イエス様、助けてください。」と祈りましょう。神様は働いてくださり、助けてくださいます。そして、助けられた後には、きちんと感謝をささげ、イエス様のみ名をあがめましょう。機会があったらお互いにそのことを分かち合いましょう。それではお祈りします。