父と子と聖霊

2017年11月5日主日礼拝 メッセンジャー:俊子姉

タイトル:「父と子と聖霊」/中心聖書箇所:ヨハネによる福音書14:16-17、26

■十字架に架かられる前の約束

 今日読んでいただいた聖書箇所はイエス様が十字架に架かられる前、弟子たちと最後の晩餐(晩ご飯)の席でなされた約束です。この席ではいろいろな大切なことが弟子たちに語られ、それと同時に大切な約束がなされました。

16節を見ますと、『父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。』と書かれています。助け主なるイエス様はこれから十字架につき去って行かれる。しかし、もうひとりの助け主が遣わされて来るというのです。そしてその助け主はいつまでもあなたがたとともにおられると書かれています。『もうひとりの助け主』はギリシャ語では『パラクレイトス』というそうです。意味は「傍らに呼ばれた者」ということで、そばにいる弁護人、助言者、慰め手と解釈できるようです。17節では、『その方は、真理の御霊です。』と書かれています。私たちを真理に導いてくださる方、聖書の真理を開き教えてくださる方と言えるのではないでしょうか。興味深いことに、『あなたがたはその方を知っています。その方はあなた方とともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。』と書かれています。信じる者の内には『聖霊』がすでにともにいてくださいます。

■三位一体の神

 ここで、三位一体ということを考えてみたいと思います。『三位一体』ということばは聖書の中には出てきません。これは聖書の神を表現したことばです。父なる神、子なるキリスト、聖霊の三つの方が同じひとつの神であるという意味ですが、人間の知恵ではなかなか理解することはできません。でも三つの神の関係を少し見ていきたいと思います。

 まず、父と子の関係ですが、一番分かり易く書かれているのがコロサイ書だと思います。コロサイ人への手紙1:15『御子は、見えない神のかたちであり、』 と書かれています。神様は目で見ることができません。でもしも見ることができたなら、それはイエス様ということになります。1:19『満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、』神様の本質がイエス様の中に生きている。イエス様は神様そのものであり、イエス様を見るときに神様がどういう方であるかがわかるということです。

 次に、イエス様と聖霊との関係を見ますと、イエス様が十字架に架かられた後、聖霊は『イエスのみ霊』と呼ばれています。イエス様とすべての行動をともにされ、十字架と復活の体験をされたみ霊は、イエス様のすべてを知っておられ、語られたすべてのみことばを覚えておられ、私たちに教えて思い起こさせてくださるのです。(ヨハネ1:26) このように見ていくと、イエス様は神様を見えるかたちで表し、聖霊はイエス様を私たちの内に表してくださる、わからせてくださると言えるのではないでしょうか。

 イエス様が私(自分)と一緒に行動しておられるところを想像してみてください。イエス様は私にいつもすばらしいことばを掛けてくださるので、私は喜びに満ち感謝であふれます。イエスさまの愛に包まれているので、恐れや不安はありません。希望が膨らんで踊りたくなります。私はスキップしてイエス様の後をついていくのです。聖霊の導きと助けがあるところに同じことが起こるのではないでしょうか。そこには喜びや平安、愛、希望、慰めや励ましが生まれます。

■私の証

 私は短大卒なのですが、卒業した後で、もう一年特別支援教育を学ぶために別の大学に行きました。私がその学校に入ったとき、ちょうど聖書研究会がその大学にできたようでした。同じ教会の方に「行ってみたら?」と勧められたのですが、「いやだな~。聖書を学ぶのは教会だけでたくさんだし。」とぜんぜん行く気になりませんでした。でもうちの教会の方が聖書研究会の世話人の方に話されたようで(近所のバプテスト教会の女性伝道師の方だったのですが、)直に私を誘ってこられたのでした。激しく断る理由もないのでなんとなく行ってみたら、クリスチャンの学生たちが4,5人集まっていて、とても良かったのです。その集まりで救われる人も出てくるくらい良いものでした。「聖書研究会」と言うだけあって、週に一回聖書の学びをしていたのですが、だんだん学生たちが持ち回りで学びを導くことになりました。とても導きが上手い人もいて、彼女の聖書の導きはとてもいいねと伝道師からほめられている学生もいました。ある時、私に担当が回ってきましたが、その日は新しく来た女子の学生がいました。聖書の学びが終わって、一人ずつ今日の感想を言う時だったと思います。その初めて来た学生が、「今日は難しい古文の授業を受けたような気がしました。」と嫌味を言って帰っていきました。そして二度と来ることはありませんでした。

 ひぇ~、と思いました。私の聖書の導きがひどく悪かったのです。バプテスマを受けて4年くらい経ってはいましたが、聖書は私にとって、いいことが書いてある『石のような書物』だったのです。聖書が分からない!何かいいことは書いてあるのだけれど、聖書がわからない!

25歳くらいのときでした。教会で聖霊の恵み、助け、導きについて語られることがあり、聖霊の助け、導きを求めました。そうするうちに聖書がだんだんわかるようになってきました。みことばが自分の内に入ってくるようになりました。『あなたがたをすべての真理に導き入れます。』(ヨハネ16:14)ってこのことなのでしょう。

ダビデは詩篇19篇の中でみことばについてこのように言っています。『それは金より、純金より慕わしく、蜜より蜂蜜のしたたりより甘い。』ダビデはみことばは慕わしく甘いと言っています。御霊によってみことばを味わっていたのでしょう。ダビデのように聖書のみことばを味わうところまで行きたいものです。

■すすめ

 今回、日本バプテスト連盟の教会手帳を読んでみました。教会員の方は持っておられると思います。いいことがたくさん書かれていてすばらしいなと思いました。そして、聖霊の助け、導きということについても、例えば、P,71〈聖書の読み方〉というところに、『聖霊の導きのもとに記された聖書ですから、聖霊の導きをもとめつつ読みます。』P,37「バプテストの信仰」というところに、『わたしたちの信仰は聖霊の出来事としていつも新しい状況の中で具体的に言い表されて生きたものとなります。』などなどたくさんのところに書かれていました。

 三位一体の神ですから、聖霊だけをことさらに求める必要はないと思います。イエス様を求めるときに、聖霊もともに働いてくださるからです。しかし、わたしたちが聖霊の助けを心から求め、願うことを主は望んでおられます。三位一体の神の恵みをひとつも落とすことなく受けて行きましょう。