仮庵の祭り

2017年10月1日 主日礼拝 <仮庵の祭り>レビ23:39~44 佐々木俊一牧師

■9月、10月は収穫の秋です。収穫を感謝するために、日本のいたるところでお祭りがおこなわれています。これは日本人に限ったことではありません。この時期は世界中で収穫祭が行なわれています。人間はみなお祭りが好きなのだと思います。たぶんそのルーツをたどっていくならば同じ起源にたどりつくかもしれません。収穫祭は、人間の歴史の中で、ずっと受け継がれてきていることなのだと思います。

■聖書の中にもいろいろな祭りを見つけることができます。この時期、聖書ではそろそろ、仮庵の祭りが始まる時です。今年は、10月4日から仮庵の祭りが行われるそうです。そのお祭りは1週間の間行なわれます。

イスラエルの民にとって、特に重要な祭りが三つあります。過越しの祭りと五旬節(ペンテコステ、七週の祭り)と仮庵の祭りです。

過越しの祭りは、第一の月(3月中旬~4月中旬)に行われます。これは、イスラエルの民がエジプトから脱出した時のことを記念するためのお祭りです。この祭りには預言的な意味があって、イエス・キリストの十字架と救いを表わすものです。

  五旬節は、過越しの祭りから50日目に行われる祭りです。第三の月(5月中旬~6月中旬)に行われます。旧約時代の出来事として、ちょうどこの時に、モーセがシナイ山で神様から十戒と律法を受け取りました。新約時代においては、この時期に聖霊降臨があり、教会が誕生しました。エレミヤ31:33に「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」とあります。彼らのこころに書き記される律法とは聖霊のことです。五旬節には、旧約と新約の出来事をとおして、律法と聖霊の関わりが表されています。

  仮庵の祭りは、第七の月(9月中旬~10月中旬)に行われます。これは、今日の聖書箇所にあったように、エジプトからイスラエルの民を連れ出した時、彼らを仮庵に住まわせたことを記念するためのお祭りです。

これら3つの祭りは収穫祭と結びついていました。仮庵の祭りは、小麦の収穫が終わったあと、果物や木の実の収穫を神に感謝し、祝うときでした。

  今日は、この仮庵の祭りの中にある神様のメッセージを学びたいと思います。

■レビ23:34に、「この第七月の15日に、7日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる」と書かれています。ところで、仮庵とは何でしょうか。仮庵は英語で「tabernacles」です。日本語の別の言い方は、「幕屋」です。もっと親しみのあることばで言うなら、「テント」です。仮庵とはテントのことなのです。キャンプに行くとテントを張ってそこに寝泊りします。そのテントです。

  この祭りの目的は、レビ23:43に書かれています。「これは、わたしがエジプトの国からイスラエル人を連れ出した時、彼らを仮庵に住まわせたことをあなたがたの後の世代が知るためである。」

  イスラエルの民は430年間エジプトに住んでいました。初めは優遇されていたのですが、後になると勢いを増すイスラエル人に脅威を感じたエジプト人は、イスラエルの民を奴隷とし、こき使うようになりました。それが、ますます、ひどくなった時、神様はモーセを用いてイスラエルの民を再びカナンの地へ導こうとされました。しかし、イスラエルの民の不従順のために、エジプトからカナンの地に入るまで40年かかりました。距離的には300キロくらいですから、1か月もあれば到達できるでしょう。

  この40年の間、イスラエルの民は流浪の民でした。定住することができませんでしたから、家を建てることもできず、テント生活をしなければならなかったのです。しかし、そのような境遇のなかにあっても、水・食料・衣類などの必要は備えられました。神様は不思議な方法で、ある時はウズラの肉を、ある時はマナという蜜のように甘い食べ物を、ある時は水を補給してくれました。こうして、神様の守りの中、ついに、エジプトを出てから40年目にしてカナンの地に入って定住できるようになりました。それからは、イスラエルの民は、テント生活をしなくてすむようになり、家を建てて町々を築いてゆきます。

  神様は、この40年間のことを忘れないために、祭りを用いられました。祭りをとおして、次の世代へ神様が良くしてくださったことを伝えていきました。この仮庵の祭りは、現代に生きる私たちにどんなメッセージを伝えようとしているのでしょうか。いくつかの聖書箇所を見ながらお話ししたいと思います。

■ヨハネ2:19~22 イエス様はここでとてもおもしろいことを言っています。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、3日でそれを建てよう。」宗教家たちは言い返しました。「この神殿は建てるのに46年かかりました。あなたはそれを3日で建てるのですか。」 イエス様は石で造られた神殿を指して言われたのではなく、ご自分のからだのことを指して言われたのです。イエス様はご自分のからだを神殿と言われたのです。神殿とはどういうものでしょうか。神殿とは、神がおられるところです。その意味で、イエス様のからだは、神がおられるところ、神殿であると言われたのです。イエス様は十字架にかけられて死んで3日目によみがえられました。イエス様はそのことを言われたのです。弟子たちがこの話を聞いた時には、何のことかわかりませんでした。22節にあるように、彼らは、イエス様が死んでよみがえられた時に、イエス様が言われた意味を初めて理解することができました。確かに、イエス様は壊されたご自分のからだを三日で建て直しました。

■Ⅱコリント5:1~5「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」 ここに出てくる幕屋は、ある意味、イエス様が言っていた神殿と共通点があります。幕屋の意味するものは、この地上のからだです。また、Ⅰコリント15:40と44では、地上のからだがあり、天上のからだがあると言っています。「天上のからだもあり、地上のからだもあり、・・・血肉のからだがあるのですから、み霊のからだもあるのです。」

  血肉のからだは、テントです。私のこのからだはテントのようなものにすぎません。けれども、み霊のからだは家です。家はテントより、立派なはずです。ヨハネ14:2に、「父の家には住まいがたくさんあります」とありますが、この「住まい」は、英語では、「mansion」です。原語にもそれに近い意味があるでしょう。「mansion」とは、非常にりっぱで豪華な家のことです。私のからだは神様が造られたものですから、それに対して不満を言うべきではありません。が、それにしても、神様の与えてくださった美的感覚ではかるなら、地上のからだは正直言って他と比べると不公平感を感じずにいられません。しかし、天上のからだ、み霊のからだには、テントのような粗末なものでないことは確かです。マンションですから、かなり豪華なからだを期待してよいのではないでしょうか。この天上のからだに期待したいと思います。

■レビ23:40 なつめやしの枝や柳の枝で小屋を作り、いろいろな木の実を飾ります。仮庵の祭りは子どもたちにとって、とても楽しいときのようです。仮庵の中では、祖父と祖母が、あるいは父と母が、子どもたちと一緒に過ごし、子どもたちは昔あった出来事についてのお話しを聞くのです。そのようにして、彼らは楽しい時を共有しながら、神様のことについて語り伝えていくのです。

■ヨハネ5:46、47「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」

  モーセ五書と言われている書があります。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、

申命記です。イエス様は、モーセが書いたのは、イエス様ご自身の事であると言っています。モーセ五書には、イスラエルの歴史が書かれ、イスラエルの歴史的人物について書かれ、イスラエルに与えられた律法について書かれ、イスラエルの祭りごとや慣習について書かれています。これらのことが救い主であるご自分のことについて書いているのだとイエス様は言っているのです。今日お話しした仮庵の祭りの中に秘められている神様の救いについて、心に留めておいていただきたいと思います。私たちは、この地上では、旅人であり寄留者のような存在です。イスラエルの民が、あの苦しかった40年の荒野でのテント生活、しかし、神様が共にいて助けてくれたあの時の事をふり返ってお祝いしたように、私たちもテント生活のようなこの地上の歩みを、ふり返ってお祝いする時がいつか必ず来るのです。私たちの後の世代がそのことをきちんと心に留めておくことができるように、私たちは楽しい時を共有しながらそのことを語り伝えていきたいと思います。それではお祈りします。