主はあなたの志を祝福します!

2017年7月23日(日)主日礼拝 「主はあなたの志を祝福します!」

ピリピ2:13~16a、Ⅰ歴代誌17:1~4  佐々木俊一牧師

■みなさん、「志」というと何を思い起こすでしょうか。私は、やはり、ウィリアム・スミス・クラーク博士の「Boys, be ambitious!(青年よ、大志を抱け!)」を思い起こします。画像を用意しましたので、見てみましょう。

 「Boys, be ambitious!」の後には、続きがあるようです。たとえば、「like this old man(この老人のように)」とか、「in Christ(キリストにあって)」などです。他にもあるようです。どれが本当かはわかりません。「ambitious」の名詞形は、「ambition」です。日本語にすると、「野望・野心」です。日本語で「野望・野心」というと、あまり良い意味では使われません。けれども、「大志」とか「志」であれば、響きとして良いものがあります。では、「志」とは何でしょうか。目標、目的、夢、計画と言ってよいでしょうか。それが「大志」となると、大きな目標、大きな目的、大きな夢、大きな計画となるでしょう。

 今日は、「主はあなたの志を祝福します!」というタイトルでお話をしたいと思います。

■ところで、みなさんにとって親しみのある旧約聖書の人物は誰でしょうか。アダム、エバ、アブラハム、モーセ、ダビデでしょうか。今日はダビデのところからお話をしたいと思います。まず、ダビデというと、イスラエルの王様です。しかし、イスラエルの王様になる前は羊飼いでした。彼の先祖は代々羊飼いだったのです。また、彼は竪琴の奏者としても知られています。彼は詩篇の多くを書きました。そして、歌いました。元祖シンガーソングライターです。神様は彼をとても祝福しました。だからという訳ではありませんが、ダビデは神様をとても大切にしました。彼は非常に信仰の熱い人でした。神様に祈り、神様を礼拝し、神様に信頼し、神様に従順な人でした。しかし、そんな祝福に満ち溢れたダビデの人生にも困難な時がありました。他人から妬まれて大変な目に会いました。また、神様の祝福の中にありながら、大きな罪に陥ってしまったこともありました。その結果、悲劇が彼の家族を襲いました。しかしながら、それでもダビデは神様から離れませんでした。神様のみ前に悔い改め、神様の赦しを信じ、神様に信頼し、神様に従い続けました。今日は、そんなダビデの一つのエピソードを旧約聖書から見てみたいと思います。

■Ⅰ歴代誌17:1~2を開いてみましょう。 「ダビデが自分の家に住んでいたとき、ダビデは預言者ナタンに言った。『ご覧のように、この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にあります。』 すると、ナタンはダビデに言った。『あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるのですから。』 」

 この箇所は、イスラエルの初代の王サウルが死んで後、ダビデがイスラエルの王となり、ヘブロンからエルサレムに移り住んだ後のことです。神様はダビデを祝福し、勝利から勝利へと導き、そしてイスラエルの王として立てられました。多くの強い戦士たちがダビデに従いました。多くの人々がダビデをたたえました。ダビデは王にふさわしい家、杉材でできた立派な王宮に住むようになりました。それなのに、神様のみ座である契約の箱は粗末なテントの中に置かれたままでした。ダビデはそのことを大変申し訳なく思い、何とかしなければならないと思いました。

当時、預言者(王の助言者)として立てられていたナタンは、そのことについてダビデにこう言いました。「神様があなたとともにおられるのですから、あなたの心にあることをみな行ないなさい。」確かに、神様がダビデと共におられたので、ダビデが行なうことはことごとく祝福されてきました。そして、羊飼いだった少年は、イスラエルの王にまで上り詰めたのです。

■ダビデに関するお話をとおして、私たちはいろいろなことを学ぶことができます。何よりもまず、ダビデは救い主イエス・キリストの家系の中にある人であり、ダビデの子孫から救い主がお生まれになると言うことが旧約聖書に語られていることなのです。人類の救いのために成し遂げられようとしていた神様の計画の中で、ダビデという人はそのために選ばれ、用いられた人です。そして、また、ダビデの口をとおして語られた言葉やダビデの人生で起こった出来事が、救い主イエス・キリストがどのようなお方なのか、その救いとはどのようなものなのかを表していたりもします。また、さらに、ダビデの神様への姿勢や態度をとおして、私たちクリスチャンと神様との関係がどのようなものなのか、どのような姿勢や態度をもって神様に接し、信仰の道を歩んで行けばよいのかについて学ぶことができます。ダビデは私たちにとって、良いお手本を示してくれる人物です。

 神様が共におられたので、ダビデは多くの祝福を受けました。私たちクリスチャンも同じです。私たちには神様が共におられるのです。イエス・キリストを信じている人には聖霊がその人のうちに住まわれると聖書にはっきり書かれています。ですから、神様がいつも私たちと共におられると言うのは本当で、現実の事です。そして、私たちは、祝福されている人々なのです。ナタンはダビデに言いました。「神様があなたとともにおられるのですから、あなたの心にあることをみな行ないなさい。」私たちも、同じようにこのことばを適用できると思います。神様が私たちとともにおられるのですから、私たちの心にあることを行うことができるのです。そして、神様はそれを祝福してくださいます。私たちの心の中に何かやろうとしていることがあるならば、それを志と言うのですが、神様はその志を祝福してくださいます。神様は私たちの心にあること、私たちの志を行なうとき、基本的に、多くの場合、祝福してくださいます。ピリピ2:13~14を一緒に読んでみましょう。

 「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」

 神様がみこころのままにわたしたちのうちに働いて志を立てさせてくださいます。そして、事を行なわせてくださいます。

■次に、Ⅰ歴代誌17:3~4を見てみましょう 「その夜のことである。次のような神のことばがナタンにあった。 『行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。』」

 預言者ナタンが、「あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるのですから。」とダビデに言ったので、ダビデの志は受け入れられたかのように思われました。しかし、この時はそうではありませんでした。神様は基本的に私たちの志を祝福してくださるお方ですが、しかし、神様には、どうしてもゆずれない神様の計画があるようです。これについて、Ⅰ歴代誌22:7~10にその答えがあると思います。

 「ダビデはソロモンに言った。『わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。 ある時、私に次のような主のことばがあった。あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。 見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしにとって子となり、わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。』 」

 神の救いの計画の中で、ソロモン王とソロモン王の治める王国が、主イエス・キリストと主イエス・キリストが治める神のみ国を表しているところがあります。どうして、神殿を建てるのがダビデではなくて、ソロモンでなければならなかったのでしょう。ダビデが神殿を建てるにふさわしくない理由は、ダビデが多くの人の血を流してきたことにあるようです。神殿を建てるのにふさわしいのは、ダビデではなくて、平和という名前のソロモン王だったのです。ダビデは神殿を建てるという志を持ちましたが、しかし、それは神の計画の中にあってはどうしても認めることのできないことでありました。神様には神様の計画があるのです。それでは、ピリピ2:15~16aを一緒に読んでみましょう。

 「それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」

 神様は私たちの志を祝福してくださいます。しかし、それには、神様のはっきりしたみこころがあることを私たちはとらえておかなければなりません。私たちの志によってどこに行って何をしようと、変わることのない神様のみこころは、私たちがいのちのことばをしっかり握って救いをまっとうすることであり、イエス・キリストの救いの光として輝いて生きることです。これを抜きにして、神様の祝福はありません。

■神様は私たちの志を祝福してくださいます。神様はあなたの志を祝福してくださいます。あなたの志を行なってください。しかし、そこには誘惑もあることを覚えておいてほしいと思います。二つの誘惑についてお話ししましょう。一つは、志に向かって進んではみたけれども、自分が思うようになかなか進んで行きません。そんなとき、私たちは否定的になりがちです。神様を信じていても何の助けもない、信じていても意味がない、神様なんて本当にいるのだろうかと思えてくることがあります。そして、思いはどんどん神様から離れて行ってしまうのです。これが一つの誘惑です。もう一つは、志に向かって進んで行くと、事がどんどんうまく進んで行くのです。そして、成功します。自分ってすごいなあと思ってしまいます。そのうちにあまりにも忙しくて、聖書を読むことも、祈ることも、教会に行くことも、礼拝することもなくなってしまいます。神様がいなくても自分はうまくやって行けると思ってしまうのです。

 神様は私たちが何をするのか、何になるのかにも関心があると思います。ですから、私たちの志やその成功にも関心があるはずです。けれども、それ以上に、私たちがいのちのことばをしっかり握って救いをまっとうすること、そして、イエス・キリストの光を受けて輝いて生きること、そのことにもっともっと関心があります。

 ぜひ、神様に心を向けて、聖書を読んだり、祈ったり、礼拝の時を持ってください。自分のペースでよいですから、継続的にキリストのからだである教会につながりましょう。そして、志というのは個人個人だけではなくて、教会にもあることを覚えてください。ぜひ、教会の志を共有し、関わっていただきたいと思います。

 神様はあなたと共にいます。あなたの心にあることを行なってください。主が祝福してくださいます。主がお一人お一人の志を祝福してくださるように、そして、いのちのことばをしっかり握ってキリストの光を輝かしながら生きることができるように、お祈りしたいと思います。それではお祈りします。