真二つに裂けた神殿の幕

2017年4月14日受難日礼拝「真二つに裂けた神殿の幕」マタイ27:45~54佐々木俊一牧師

■イエスは、ゴルゴタ(アラム語でどくろ/ラテン語の派生語でカルバリ)の丘で十字架に付けられ処刑されました。右と左に二人の極悪人も十字架に付けられていました。その周りには、イエスを十字架に付けたユダヤ人の宗教家や一般の人たち、処刑を執り行うローマ兵たち、そして、イエスの母マリヤとイエスを慕っていた弟子たちや女性たちがいました。ある者たちはイエスをののしり、嘲笑っていました。ある者たちはイエスの着ていた衣服をくじを引いて取り合っていました。そして、ある者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るのかどうかを見ることにしよう。」と言って、まるで円形劇場でショーでも見るかのようにふるまっていました。しかし、昼間であるにもかかわらず、だんだん空は暗くなり不気味な感じになってきました。そんな中、イエスは最後に大声で叫んで、息を引き取られました。すると、その時です。神殿の幕が上から真二つに裂けました。地は揺れ動き、岩が裂けました。大きな地震が起きたのです。そして、墓が開いて、死んでいた多くの聖徒、つまり、旧約に出てくる預言者たちのような人々でしょうか、そんな人々が生き返ったという、とても不可解な話が書かれています。彼らは、イエスが復活した後、墓から出てきてエルサレムに入って多くの人々に現れたと言うことです。これらの事は、マタイの福音書が聖霊に導かれて書かれた過程の中で、いろいろな証言をもとに調べられ、集められた情報なのだと思います。そして、54節には、イエスの処刑に立ち会ったローマの百人隊長と、いっしょに見張りをしていたローマ兵の証言が書かれています。彼らは、地震やいろいろな出来事を見て、非常な恐れを感じて、「この方はまことに神の子であった。」と言いました。

■マタイ27:51をもう一度見てみましょう。「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。」と書かれています。神殿の幕とは、聖所と至聖所を仕切る垂れ幕のことです。年に一度だけ、大祭司だけが、その垂れ幕を通り抜けて至聖所に入ることができました。そのとき、大祭司は必ず小羊の血を携えて入らなければなりませんでした。その小羊の血は、大祭司と民たちが犯した罪を贖うためのものでした。このように、神様にお会いするためには、垂れ幕という隔たりを通り抜けなければなりませんでした。

へブル10:19~20を見てみましょう。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」 

神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたという出来事は何を意味するのでしょうか。それは、神と人との間にあった隔たり(壁)が取り除かれたということです。それによって、私たちは、大胆に神様のみ前に出ることができるようになりました。イエス・キリストという垂れ幕を通っていつでも自由に神と交わり、祈り、礼拝することができるようになったということなのです。

■終わりに、コロサイ1:20をお読みしたいと思います。「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」このように、イエス・キリストがその血によって私たちに神との平和をもたらしてくださいました。私たちを神様から遠ざけてきた罪は、私たちの救い主イエス・キリストが罪そのものとなって十字架の上で処分されました。今私たちは、まったく正しい者として、さらには神の子どもとして、いつでも自由に神様のみ前に出入りし、祈り、賛美し、礼拝し、交わることができるようにされました。この恵みを、こころから感謝して、すべての栄光を主イエス・キリストにおささげしたいと思います。それでは、お祈りします。