神様の熱い思い

2016.12.18 主日礼拝 「神様の熱い思い」イザヤ9:6~7 佐々木俊一牧師

■今年の世相を表す漢字が先日発表されました。「金」だそうです。オリンピックで金の数が多かったということです(東京五輪16個、アテネ五輪、16個、リオデジャネイロ12個)。また、日本でも世界でも、政治・経済界においては、お金の問題が暴露されました。パナマ文書はその最たるものです。今年もいろいろなニュースが世界を駆け巡りました。それによって、世界は揺さぶられ、ますます不安定になってきているように思われます。各国は自国優先主義に傾きつつあります。けれども、そのような中にあっても、昨日も、今日も、明日も変わることのないイエス様がともにおられるということが、私たちにとって何よりも力強いニュースです。神様に感謝したいと思います。

  今日は、今月の聖書のみことばである、イザヤ9:6、7からお話しをしたいと思います。特に、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」というところから、「神様の熱い思い」についてお話ししたいと思います。

■6節 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」

  このみことばは成就しました。「ひとりのみどりご、ひとりの男の子」とは、マタイの福音書とルカの福音書の1章と2章を見ればおわかりのように、「イエス・キリスト」のことです。今から2016年前(2020年前)に、預言者たちによって語られてきたように、ダビデの家系の中に、乙女マリヤをとおして、神の御子、救い主イエス・キリストがお生まれになりました。マタイの福音書とルカの福音書に、イエス・キリストの系図が書かれてあります。ふたつを比べて見ると、ダビデの後の時代から名前が違うので、これはおかしいと思った方がいるかもしれません。でも、それは誤りではなくて、マタイの方はマリヤの夫、ヨセフの側の系図であり、ルカの方は、マリヤの側の系図です。マリヤもヨセフもダビデの子孫なのです。

■7節 「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」

  7節の預言はまだ成就していません。これから、将来、起こる出来事です。6節の預言は成就し、7節の預言はまだ成就していないのです。しかしながら、それは、クリスチャンにとってそうなのです。ユダヤ人の多くは、異なる見解を持っています。彼らは、クリスチャンと同様に、救い主が来られることを信じ、待ち望んでいます。けれども、彼らにとっての救い主なるお方は、まだこの地上に一度も来ていないのです。6節の預言も7節の預言も、彼らにとってはまだ成就していません。旧約聖書に興味深い記事があるので、見てみたいと思います。

■歴代Ⅰ22:9~10 「見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。彼がわたしの名のために家を建てる。わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

  これは、ソロモンが生まれる前に、ダビデが神様から受けたことばです。そのことばを、年老いたダビデがその子ソロモンに語っているところです。「ソロモン」とは、「シャローム」と同じ意味を持つことばです。「平和、平安、祝福、繁栄、健康」の意味があります。ソロモンの王国は歴史上際立って繁栄した王国となりました。しかし、永遠に堅く立つことはありませんでした。ソロモンは、初めはダビデと同じように真の神様を信じ、礼拝をささげていましたが、後になると、多くの妻の影響もあって異教の神々に心を向け、偶像礼拝へとそれていってしまいました。その結果、ソロモンの死後、イスラエルは二つの王国に分裂してしまいました。ソロモン王は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」なる救い主の姿を表わしていたところがあったものの、そのお方ご自身ではありませんでした。

■列王記Ⅰ13:2 「見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。」

  ある神の人が、北王国の王ヤロブアムに向かって言ったことばです。ヤロブアム王はソロモン王の後、北王国の王になりました。「ヨシヤ」は、南王国の王で、ヤロブアムより300年後に生まれた人です。ヨシヤ王は、真の神様を礼拝し、その教えに従ったりっぱな王様です。南王国にダビデの信仰と礼拝を回復し、世の中の正義と秩序を回復し、国を建て上げた王様です。預言者イザヤがいくなった後、約60年後に出てきたのがヨシヤ王ですから、もしかすると、人々は、イザヤが語ったとこしえの王とは、ヨシヤ王ではないかと期待していたかもしれません。しかし、ヨシヤ王は戦いで傷を負って死んでしまいました。ヨシヤ王もまた、イスラエルをとこしえに治める王ではありませんでした。

その後、何人かの王が立ちましたが、結局、南王国はバビロンに敗れて、征服されてしまいます。バビロン捕囚の後、再び、イスラエルの地に戻ってきた人々は、イスラエルの国を再建しますが、またすぐに、ギリシャ、エジプト、シリヤ、ローマの支配を受けてしまいます。

  イスラエルの民は、この地上において、他国の支配から守ってくれる、平和の君なるお方をずっと待ち続けました。そしてついに、イエス様がお生まれになりました。イエス様が公けにその姿を現されたとき、そのことばと力ある業に多くの人々が驚いて、この方こそが預言者イザヤが語ったとこしえの王、救い主にちがいないと思いました。ところが、いったん捕らえられてしまうと、何の抵抗もせず、ただ弱々しく、十字架にかけられて死んでしまったのです。そんなことで、当時のユダヤ人たちは、イエスが救い主であるということなど、絶対に受け入れることはできませんでした。

  けれども、神様の思いは、人の思いをはるかに越えて高いのです。人間の頭では推し量ることが出きません。その計画が、イエス様がお生まれになった後に、ヨセフとマリヤに語られていました。

■ルカ2:25~35  イエス様は律法に従って、8日目に割礼と言う儀式を受けました。それから33日後に、ヨセフとマリヤは律法に従って、神様にささげものをするためにエルサレムの神殿に行きました。すると、そこに、シメオンという人がいて、近づいてきて、幼子のイエス様を腕に抱きかかえて神様をほめたたえて言いました。

①「私の目があなたの救いを見た。」とシメオンは言いました。

  シメオンは、ずっと救い主を待ち望んできました。彼は、救い主を見るまでは死ぬことはないと示されていました。シメオンが、幼子のイエス様を見たとき、神様の導きによって、この幼子が「救い主」であると示されました。「私の目があなたの救いを見た。」とは、「イエス様が救い主である。」ということです。

②「み救いは万民のために備えられた。」とシメオンは言いました。

  多くのユダヤ人は、救いはユダヤ人のためだけのものと考えていました。しかし、驚くことに、シメオンは、「異邦人を照らす啓示の光」と言ったのです。つまり、救いは、異邦人のためのものでもあることを意味しています。そして、「御民イスラエルの光栄」とは、全人類に神の救いをもたらすために、イスラエルの民を選んで、その中に神なるお方が人としてお生まれになりました。そのことが、イスラエルの民にとって光栄なのです。「み救いは万民のために備えられた。」とは、「救いは、イスラエルの民のためであると共に、異邦人のためでもある。」ということです。

③「この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められている。・・・・それは多くの人の心の思いが現われるためです。」とシメオンは言いました。

  少数のユダヤ人たちは、イエス様を救い主と信じ、その救いをユダヤ人と異邦人の両方に宣べ伝えていきます。しかし、多くのユダヤ人は、十字架にかけられて死んだイエスを見て、自分たちの求めていたメシヤ像とのギャップに失望し、イエス様から離れて行きました。イエス様は、人々の心の思いが現われるために神が与えたしるしなのです。

  神様の計画は、人の思いをはるかに越えていました。ユダヤ人の多くは、この地上の救いと、ユダヤ人だけの救いを考えていました。が、神の計画は、この地上だけのことではなく、死んだ先のことにも及び、そして、ユダヤ人だけではなく、すべての人類のための救いの計画でした。イザヤ9:6の預言は成就しました。イエス様は、この地上に人となって来られました。十字架にかかって人間の罪の身代わりになられました。しかし、3日目に死の力を打ち破り、よみがえられました。キリスト教の信仰において、「受肉」、「贖い」、「復活」、「再臨」は、信仰の大きな柱です。それが、キリスト教の特色であり、明らかに他の宗教と異なる点でもあります。ある人々は、なんと馬鹿げたことを信じているのだろうかと思うかもしれません。しかし、イザヤ9:7 「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、裁きと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」このみことばの成就するときが、必ずいつか来るということが、私たちの信仰の中にあるはずです。万軍の主が、長い年月の中で、忍耐をもって、熱心に、聖書にある預言を成し遂げてこられました。それは、神様の人類への愛、ひとりでも多くの人々を救おうとされる神様の熱い思いの現れではないでしょうか。これからも、変わることなく、万軍の主は、預言者によって語られたことばの一つ一つを、熱心に成し遂げて行かれます。神様の熱い思いがあるゆえに、人の思いをはるかに超えて、神の愛と救いのみわざの成就を私たちは将来見ることになります。私たちも、神様の熱い思いをいただいて、救い主イエス・キリストの素晴らしいニュースを人々に語り伝えていきたいと思います。それは、家族、親戚、友人、知人と広がって、札幌、北海道、日本、アジア、世界へと発信されていくことと思います。それではお祈りします。