神が私たちと共におられる!

2016年11月27日主日礼拝「神は私たちと共におられる!」<ヨハネ1:9-14>佐々木俊一牧師

■ヨハネの福音書の始まりを見ると、ヨハネは、創世記を非常に意識していたのではないかと思われます。あるいは、聖霊の導きに従った結果、そうなったのかもしれません。創世記もヨハネの福音書も同様に、「初めに」で始まります。そして、神様というお方が初めからおられるお方として語り始めるのです。宇宙も世界もそのすべての始まりは、神様がそれらを造られたということから始まっているのです。創造のプロセスについてはいくつかの仮説があったとしても、神様がこの世界を造られたということは、私たちの信仰の大切な部分です。

  最近、とても興味深い話を聞きました。メダカの話です。今、メダカがブームになっているのだそうです。私が知っているメダカは、地味な灰色のとても小さな魚です。皆さんが知っているメダカはどんな魚でしょうか。日本で、2003年に絶滅危惧種に指定されたそうです。その後、保護と共に交配を繰り返される中、いろいろな特徴のあるメダカが造られました。現在、数百種類のメダカが存在するそうです。錦鯉のようなメダカ、オレンジ色のメダカ、真っ白なメダカ、透き通ったメダカ、目が出ているメダカ、お腹が出ているメダカ、いろいろなメダカがいます。最初は地味な灰色のとても小さな魚だったものが、いろいろな色や形が交配する中で現れて来ました。もとはと言えば、神様が与えた遺伝子の中にそのような可能性を秘めていたからではないでしょうか。そう考えると、アダムとエバから始まって、多種多様な特徴のある人々が生まれて来たとしても不思議はありません。

■9節~11節 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」と9節に書かれています。「光」は何を表しているのでしょう。5節にも「光」ということばがあります。その光は、闇の中で輝いています。まるで、神様の創造のわざが起こる創世記の始まりのようです。その光は、すべての人を照らすために世に来ようとしていました。

  「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」と10節にあります。「光」とは、ある人を表しているようです。そして、この方は、もとからこの世界にいて、この世界を造ったのだと言っています。太陽や月や星々も、そして、この地球もその自然も、その上に生きているすべての植物や生物も、もちろん、私たち人間もこの方によって造られたのです。次に11節を見ると、「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」とも書かれています。ご自分の国とはどこの国でしょうか。それは、イスラエルです。イスラエルの民の僅かな人々はこの方を受け入れましたが、多くはこの方を拒絶しました。この方とは、誰でしょうか。イエス・キリストです。

■それでは、この方の国がイスラエルであるということの理由をお話したいと思います。マタイ1章を見ると、イエス・キリストの系図があります。旧約聖書では、救い主なるお方は、アブラハムの子孫、イサクの子孫、ヤコブの子孫から出ると言われています。ヤコブには12人の息子がいました。その中にユダという息子がいました。救い主は、ユダの子孫、エッサイの子孫から出ると予告されています。エッサイはダビデの父です。さらに、救い主なるお方は、ダビデの子孫、ソロモンの子孫から出て、イスラエルという国を永遠に治める王として、この地上にやって来るということが予告されています。

■14節に、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」と書かれています。この出来事がクリスマスの出来事です。今から約2000年前に、イスラエルの民が長い間待ち望んできた救い主なるお方がやっとお生まれになりました。神様は、このクリスマスという出来事のために、「イスラエル」という国を選びました。この出来事が起こる、ずっとずっと昔から、イスラエルの預言者たちによって予告されてきました。そして、予告通りに、ベツレヘムという町でキリストは生まれました(ミカ5:2)。     

  神様は、乙女マリヤを選んで、マリヤによってキリストは生まれました(イザヤ7:14)。しかし、この赤ちゃんは、マリヤとも夫ヨセフとも血のつながりはありません。聖書には、聖霊によって身ごもったとあります。イエス・キリストは、聖霊によって人の体に造られ、人間の世界に入って来られました。

  では、なぜ、神なるお方が人の体をもってこの地上に生まれてくる必要があったのでしょう。その理由の一つとして、目に見える形で神様の愛を知らせるためではないかと思います。人は神の存在を認知できないほどに、神様から離れてしまいました。自分の生んだ子どもが、もしも、親として認めてくれないとしたら、どんなに悲しいでしょうか。神様が人を造りました。もしも、そのことを認めてくれないとしたら、人を造られた神様にとってそれは大きな悲しみです。しかし、神様は忍耐深いお方です。あきらめることなく、人となって、この地上に来られたのです。

  キリストは人々の間に住んで、神様がどんなに人々のことを愛しているのかを知らせてくださいました。ある時は、病で苦しんでいる人々をいやしました。ある時は、あまりにもの罪深さのために人々からでさえ仲間はずれにされているような人々を受け入れ、一緒に食事をし、神の愛を示しました。ある時は、奇跡によって神の圧倒的な力を表し、人々の神への信仰を回復しました。イエス・キリストを通して、人々は神の愛を知らされました。その愛が、最も表されたのが、イエス・キリストの十字架の出来事です。そして、復活は、人々の将来に大きな希望と可能性を示してくれました。

■12節~13節 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」と書かれています。イエス・キリストの名を信じた者は神の子とされ、永遠のいのちが与えられます。イエス・キリストがこの地上に来られた理由は、神様の愛を伝えるとともに、十字架と復活の出来事を通して、人々に聖霊による新しい命を与えるためです。それが、神によって生まれると言うことなのです。    

■マタイ1:23に、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、神は我々と共におられるという意味である。」と書かれています。「インマヌエル、神が私たちと共におられる」というメッセージは、どんなにヨセフとマリヤにとって力強いことだったでしょう。神があなたたちと共におられる。だから、あなたたちは大丈夫だよ。恐れないでいいよ。あなたたちには希望もあるし、将来もあるよ。神様がちゃんと考えていてくれているよ。そんなメッセージを発信しているように思えます。そして、このメッセージは、ヨセフとマリヤだけに与えられたのではありません。すべての人々に与えられているメッセージです。インマヌエル、神が私たちと共におられる。私たちのうちには、三位一体なる神の聖霊なるお方が住んでいます。これは、聖書が明確に語っていることです。このことを実現してくださったお方が、イエス・キリストです。ヨハネ1:17に書かれてある通りです。

  今日からアドベント(待降節)に入りました。イエス・キリストの到来を待ち望むのです。クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いすると共に、天に戻られたイエス様が再びこの地上に戻って来られるという約束を覚え、イエス様の来臨を私たちの希望として確認する時でもあるのです。私たちは、私たちの内におられる聖霊によって励まされながら、私たちの救い主であり、希望の光であるイエス・キリストを待ち望んでいきましょう。それではお祈りします。