向き不向きより、前向き

11月13日主日礼拝 メッセンジャー:草島兄

 

「向き不向きより、前向き」

 

御言葉は「神様は、目をみはるような奇跡を数限りなくなさるからだ」

ヨブ記5:9

 

おはようございます。

次第に寒くなってきましたね。山の方では雪も積もってきていて、つい何十日前には暑かったのが、あっという間に寒くなる。この四季の移り変わりの速さは北海道の特色じゃないでしょうか。

寒くなる前のことですが、今年夫婦揃って登山デビューをしました。と言っても、札幌近郊のそれほど高くない山です。

円山から始まり、紋別岳、塩屋円山、八剣山、樽前山と。

山は大変ですが、楽しいという感じを最近感じています。

 

◯山登り、目の前の山にただ登るだけ。一度山に入ったら、ただ歩いて、前に進むだけの非常に愚直なスポーツです。しかも平地を歩くのに比べ、傾斜があり、道は岩だらけ、ぬかるんで、草も生い茂り、ただ進むのがこれほど困難なことなのに、なぜだか楽しくて仕方がない。山に足を入れた時から、「登れるのか?登れないのか?」そんな事は考えるだけ無駄。とにかく登るしかないし、それを続けて登頂した際には、驚くばかりの景色があることを信じて、楽しみにして、前に進む。

 

ある登山家も言っていました。なぜ山に登るのか?それはそこに山があるからだと。

 

栗城史多さん〜現在、エベレストに単独無酸素で登頂を目指し、何度も失敗し6回目、とうとう手の指を9本と、殆ど失ってなお、

挑戦し続けている登山家です。彼は元々は北海道の大学にいた時、初めて登山を始めました。

登り始めたきっかけは高校の時に付き合っていた女の子が「山登りするような男らしい人が好き」という理由だったそうです。その栗城さん、色々な伝説をお持ちです。

・彼女に振られ1週間寝込む→体の形のカビが生える

・山登りは2回目で北海道の冬山を先輩に連れられていったが、登頂時の景色を見て山のとりこに。

・その後は世界7代大陸の山に単独無酸素での登頂を次々と成功させる。

・特徴の一つに、「冒険の共有」があり、自身の登山の様子をインターネット動画配信し、多くの人に希望をシェアし続けている。

・エベレストに挑戦するも、6度の失敗。普通ならこんなに何度も挑んでダメなら辞める。でも彼は自分一人では登っていない。発信し続けている。誰かを励ましたいから。

 

「僕は、現実に向かって生きているのではありません。

希望に向かって生きています」

 

あれこれ、人はよそ見をします。栗城さんは自分のことを「山登りに向いているのか、どうか」という横を見るのではなく、前を向いて歩いているから、進めるんだと思います。よそ見しながらでは、真っ直ぐ進まないですよね。そして、前を向き続け、登り続ける先に、素晴らしい奇跡のような景色が与えられるんだと思います。

 

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今日の聖書箇所。実は僕の大好きなヨブのところです。

みなさん、ご存知のようにヨブはとても正しい人です。クリスチャン代表のような。

それが、サタンによってあらゆるものを奪われていき、持っているもの、家族、そして健康と奪われていきます。

そして、そこから始まるのです。ヨブのつぶやきが。

ここからは読んでいてもキツイですねー。聖書にこれほど神様への不平不満、文句を何十章にもわたって言い続けている箇所ってあるでしょうか。

 

でも、それだけヨブは神さまが好きだったし、神様を大事にしていたんだと思います。

それが、裏切られたと感じたんじゃないでしょうか。

よく愛情の反対は?「憎しみ」・・・ではないらしいですよね。愛情も憎しみもそれは「愛して欲しい」という気持ちが向いているという点では同じだそうです。ちなみに反対は「無関心」。だから、ヨブの文句を読んでいると、最初はキツくて、どんだけスネているんじゃ、天邪鬼か!と思いますが、段々、それだけ神さまを信頼し、神さまが好きで、神様を求めているからこそ、あれだけ長々と文句も言えると思うんです。実際、神様に無関心ならさっさと現状を悲観して投げやりになって終わりですもんね。またそれと同時にあのヨブが、クリスチャン代表のヨブが、まさに歩く律法のごとくクリスチャンの模範のようなヨブでさえ、困難の中ではただの弱いオッさんになってしまう。

それも、メチャクチャ弱いです。女の人でも振られてあそこまで、未練タラタラになることは少ないんじゃないかというくらい。

 

でもねーー、だから僕はヨブが大好きなんですよ。

そう、今までクリスチャン代表だったのが、今度は弱さの代表のごとく、神さまに不平不満を言っているヨブが。

 

もし、あそこでどんな試練を与えられても、ただ「ハレルヤ!」とテニスの松岡選手のごとく、全く気にせず文句も言わない、まさに聖人君子のようだったら、おそらくヨブ記は全部で42章ありますが、4章で終わっていたんじゃないでしょうか。そして読んだ人は「こんな人には私は成れない」とその違いに落胆して終わりですよきっと。

 

つまり、人間はどんなに強く、正しくても、

神の前では弱さという、自分のありのままの姿を隠すことはでない、という本当の真実が記されているのだと思います。

 

・・・実は、今日のメッセージですが、非常に苦労しました。

もともと話すのは好きで、人前で話すことも仕事上でもあったため、メッセージにおいても、それ程大変だとは思っていませんでした。

 

でも自分の話をするのと、神さまが導かれる話をするのとでは、大きく違っていました。

 

何を話せばいいのか、さっぱり浮かんでこないのです。

 

自分ではかなり前から準備していたつもりで、ある程度の話の方向性や内容を考えていたのですが、どうもそれとは違うというか、その話ではないような、しっくりと来なく、本当に今朝の直前まで御言葉を読むも、祈るも、「何を話せばいいのか」が全く浮かんでこなくて、実は昨日も徹夜で話を考えていましたが、本当にキツかったです。

 

そして、あまりにもメッセージが思いつかないので、教会に行って、無言になるか、ドタキャンするかなどという大不信仰な悲惨な場面しか想像できませんでした。

布団の中に入って、ずっと何を話せばいいのか?うまく話せない自分を想像し、皆さんになんて、思われるのか?

怖くて仕方ありませんでした。もう逃げたしたくて、辞めたくて、本当は来たくありませんでした。

そうやって布団の中で究極にウジウジし続けていた時に、ふと聞こえました。「なぜ書かないのか」と。

 

あなたが書くのではない。

私があなたを遣わし、私が伝える。

と。

 

なんのことやら、サッパリ分かりませんでした。

まぁ、半分投げやりになっていたので、意味もわからず書いたのが、今読んでいるこの原稿です。ちっとも聖書らしくないですよね。本当にスミマセン。

 

でも、そこに神さまがいるのかなと思うことが出来ました。

 

自分に何が向いているか、向いていないか、

できるのか、できないのかではなく、とにかくやるだけ。

 

神さまを信じられるか、信じられないか、、、ではなく信じてどうするか?

自分に奉仕ができるか、できないか、、、、ではなく、どんな奉仕をするのか?

 

あるカウンセラーも言っていました。「悩んでも解決しない」と。つまり、目の前の出来事をただ「どうしよう、どうしよう」と悩んで、慌てても解決しない。それよりも、考えて対応することが大事。そのために、問題に対して「これはまず、神さまが許されて起きた出来事なのだから、必ず意味があるはず。神さまはこのことを通して、何を伝えたい、教えたいのだろう。そのいずれであっても、最終的には、この事が自分の、自分の周りの人にとっても、とにかく全てにおいて「益」になるのだ。そして、また私は信仰が増し、人間的にも成長でき、より「豊かな人生」が与えられるのだ」と。

 

道があって、右を見て左を見て、向いているのか、向いていないのか、

よそ見ばかりでは、一向に前に進みません。

 

結局は前を向いて、歩きだすしかないんです。

「向き不向きよりも、前向き」

 

アメリカのキャリンさんという女性の話です。彼女は家が貧しく、母と弟と三人で福祉施設に住んでいました。ある時に見た演劇が忘れられず、いつか自分もそういう舞台に立ちたいと思い続けていました。しかし高校生になる頃、彼女は女優にとって必要な台本を読めない、読書障害という知的障害があると判断され、高校を中退し、ドラッグにはまり、その後シングルマザーになる道を歩む。しかし女優になる夢を思い出し、昼はレンガ積みの仕事、夜は美容学校や演劇を続け、日々の生活は困窮していたが、あきらめずに頑張っていた。前を向いて歩み続けるからこそ、道は開ける。彼女の演劇を見た監督(スティーブン・スピルバーグ)に抜擢され、そこから表舞台に進出する。その頃に彼女は名前を変え、あの有名な映画「天使にラブソングを」の主人公として活躍していた。彼女こそ、ウーピー・ゴールドバーグである。

彼女はいつも自分にこう言い聞かせていた。

「私は、いつも『何ができないか』ではなく、『何ができるか』という視点から考えている」

 

 

・・・ヨブも弱さの中では、神の裁きに納得しない、自分の考えにこだわったり、自分で悩み、自分で状況を悲観して、自分で落ち込んでいる。

それも人間の弱さであり、だからこそ前を向いて、神様を向いて、主に帰り、悔い改める時、ヨブのように今まで以上の神さまの恵みにふれることができるのえはないかと思います。