ヨナ書に見えるイエスの姿

2016年3月13日主日礼拝<ヨナ書に見えるイエスの姿>マタイ12:38-41 佐々木俊一牧師

■38節 「しるし」とは何でしょうか。注釈を見ると、「証拠としての奇跡」と書いてあります。イエスが本当に神から遣わされているのか、そして、メシヤなのか、その証拠として、宗教家たちはイエスに奇跡を要求したのです。

■39節 すると、イエス様は、このように言われました。「悪い姦淫の時代はしるしを求めています。だが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」 聖書の中で「姦淫」という言葉は、文字通りの不道徳や不品行の意味として使われているほかに、イスラエルの民が異邦人の神々に心を許して礼拝することについて用いられています。真の神以外のものを第一にし、不道徳と不品行にふける悪い時代は、何かすごい奇跡を求めたがります。しかし、そんなすごい奇跡を見たからと言って、真の神を信じるわけでもないのです。実際に、彼らはイエス様の奇跡を見てはいるのです。にもかかわらず、彼らは信じませんでした。そんな宗教家に対し、イエス様は、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられないと言っています。「預言者ヨナのしるし」とは何でしょうか。

■40節 「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子(イエス様)も三日三晩地の中にいるからです」とあります。ヨナが三日三晩大魚のお腹の中にいたことが、イエス様が三日三晩地の中にいることと同じことのように語られています。ヨナに起こった出来事が、イエス様に起こった出来事を比喩的に表していると言えるのではないでしょうか。三日三晩という言葉からお分かりになるかと思いますが、これは、イエス様が十字架にかかって死んで、三日目によみがえられたことを表していると言えます。ですから、「預言者ヨナのしるし」とは、イエス・キリストの十字架と復活を表しているのだと思います。イエス・キリストの十字架と復活が、この悪い姦淫の時代に与えられた神の救いのしるしなのです。

■ヨナ1章 ヨナは北王国(イスラエル王国)の預言者でした。紀元前800年頃の人です。皆さんは、預言者ヨナに対してどのような印象を持っているでしょうか。良い印象でしょうか、それとも、悪い印象でしょうか。身勝手で不従順な預言者というイメージがあるかもしれません。しかしながら、Ⅱ列王記14:25によるならば、北王国において、ヨナは預言者として忠実に神に仕えていたのです。

ヨナはある日、神様からあるミッションを受けました。「ニネベに行って、人々の悪行があまりにもひどいので、町を滅ぼすと警告しなさい。」 ニネベは当時、アッシリヤ帝国の首都でした。そこには、12万人以上の人々が住んでいました。ヨナはこのミッションについて、あまり乗り気ではありませんでした。はっきりとその理由は述べられていませんが、ヨナとしては、ニネベが滅ぼされてしまう方がよかったようです。たぶん、ヨナは、異邦人が嫌いだったのでしょう。あるいは、アッシリヤの勢力が強くなってきていたためかもしれません。実際に、ヨナの時代から約50年後には、アッシリヤによって北王国は滅ぼされてしまいました。預言者ヨナとしては、将来の侵略者アッシリヤことを脅威と感じていたのかもしれません。あくまでも、私の想像です。

   ヨナは、神のことばに従いませんでした。ヤッフォでタルシシュ行きの船に乗りました。タルシシュはニネベとはまったく反対方向にありました。すると、嵐が起こって船は今にも難破寸前の状態になってしまいました。水夫たちは恐れて、自分たちの神々に助けを求めました。困ったときの神頼みです。こんな嵐の中、なぜかヨナだけは余裕がありました。船底におりて横になってぐっすり寝込んでいたのです。ところで、みなさん、こんなシーンを新約聖書のどこかで見たことはありませんか。嵐の中、イエス様の弟子たちは恐れで震えあがっていたのに、イエス様だけは船底でぐっすり眠っていたのです。私が思うには、この箇所を知った弟子たちは、たぶん、あの時のイエス様の姿と重なるところがあったのではないでしょうか。

   この船の船長は、ヨナがイスラエルの預言者であることを知っていたようです。起きて、神様に助けを求めるように言いました。誰のせいでこんなことが起こったのか、みんなで相談してくじを作りました。そうすると、ヨナに当たってしまいました。その後の展開について簡単に言うと、ヨナが天と地の創造主である神を信じていることと、神様の命令に逆らってこの船に乗り込んだことなどが、明らかになってしまいました。どんなに頑張っても、もはや船をコントロールすることはできませんでした。とうとう彼らは、ヨナを海に放り投げてしまったのです。そうしたら、嵐はおさまってしまいました。人々は、それを見て、ヨナの神を非常に恐れました。そして、ヨナの神を信じたのです。ここに見るように、ヨナの言動によって救いの働きが起こっていました。しかし、海に放り出されたヨナは、三日三晩大魚の腹の中に飲み込まれて苦しむことになります。しかし、三日三晩の苦しみの後に、ヨナの命は守られて、大魚の腹の中から吐き出されました。それからヨナは、神様に従ってニネベに行き、ニネベが残り40日で滅ぼされることを警告しました。そうしたら、ニネベの人々は、一生懸命悪い行いを悔い改めて、真の神を信じたのでした。

   こうして見てみると、ヨナはイエス様のことを表している人物であると言えると思います。弟子たちにとってこの箇所は、イエス・キリストの十字架と復活と救いとを思い起こさせるところであったと思います。イエス様も人々の救いのために、十字架にかかって苦しまれました。しかし、三日目によみがえられたのです。そして、イエス様は40日の間、弟子たちに現れて神の御国のことを教えました。 

■ルカ24:44~47 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」

   イエス様が弟子たちと共にした3年半の間に、旧約聖書を教えました。そして、この箇所を見ると、イエス様の旧約聖書のとらえ方を学ぶことができると思います。皆さんは、ルカ24:46に書かれていることばをそのまま旧約聖書の中に見つけたことがありますか。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」 旧約聖書のどこにこのようなことが書かれているでしょうか。私はこのようなことばを見つけたことがありません。これは、旧約聖書全体を総合的に見て、旧約聖書が人間に伝えようとしているメッセージのエッセンス、福音の中心部分です。イエス様は神様ですから、神様の視点から旧約聖書をとらえたときの結論がここにあるのだ、と私は思います。

   ヨナ書に限らず、私たちは旧約聖書の中にイエス様の姿をいろいろなところで見ることができます。イエス様の見方で旧約聖書を見るとき、救いのことばの確かさをもっと強く受けとめることができると思います。

■聖書というのは、本当に、人をかっこよく描かない本(書)であると思います。人の弱さ、欠点、失敗、罪をはっきり表します。しかし、それでも、神様はいつも希望と救いを表してくださいます。

   ヨナ書をとおして、ヨナという人の人間性を知ることができます。ヨナは人間として完璧ではありません。弱さも、欠点も、失敗もあります。神様はそんな人を用いて、ご自身の御心を成し遂げられました。同じように、イエス様の地上での最期は、人間が期待した強い王様としての姿は微塵もありませんでした。十字架に架けられたイエス様は、人の目には無力で弱々しい可愛そうな姿を表しているだけでした。しかし、神様の御心はその中で成し遂げられたのです。敗北を通して救いが完成し、復活に至るまで苦しみに耐えた結果、悪魔に勝利しました。

   私たちはみな、弱さも、欠点も、失敗もあります。できたらかっこよく映りたいものですが、そうはいかないようです。けれども、神様の手にかかると、そんな人を用いて神様は事を成し遂げるようです。もちろん、そのプロセスの中に、神様を信じて従うことを選び取ることが必要であることは言うまでもありません。それではお祈りします。