良い地、悪い地、普通の地

2015年10月25日主日礼拝「良い地、悪い地、普通の地」マタイ13:3~9佐々木俊一牧師 

■1980年代に、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」という番組があったのを覚えていますか。萩本欽一さんが父親役で、イモ欽トリオの3人が、ヨシオ、ワルオ、フツオというキャラクターを演じていたお笑い番組でした。ヨシオは眼鏡に学生服姿の優等生、ワルオはリーゼントヘアーの不良少年、フツオはどこにでもいそうな普通の高校生という設定だったと思います。良い・悪い・普通の3つのパターンに分けてしまうことはあまりにも無茶とも言えるのですが、シンプルにすることによって、伝えたいことをよりはっきり、わかりやすく伝えることができるのではないかと思います。

  今日は、イエス様が話された、「種まきのたとえ話」からお話をしたいと思っています。この話には、良い地と悪い地は出てくるのですが、普通の地は出てきません。先ほどの「良い子悪い子普通の子」の話ではないですが、シンプルではあるので、話としてはわかりやすいのではないかと思います。また、たとえ話というのは、好奇心や興味を促すものであると思います。直接的な言葉でメッセージを伝えるなら興味を示さないことでも、なぞなぞのようにアプローチするだけで惹きつけることができるのではないでしょうか。私は思うのですが、イエス様のなぞなぞは、サムソンのなぞなぞに比べると、ずっとわかりやすいと思います。幸いにも、この時は、イエス様が直接解説してくださっています。この所を通して、たとえ話のとらえ方を教えられているように思います。13:3~8に、「悪い地」の3つの例と「良い地」の1つの例について語られています。そして、イエス様による解説が、13:19~23に語られています。見てみましょう。

■種のまき方にはいろいろな方法があるかと思います。この時代、種まきは、ていねいに土の上に蒔くのではなく、大雑把にまき散らすのです。ですから、種が畑以外のところに落ちてしまうことは珍しいことではなかったと思います。種の落ちる場所として、イエス様は4つの場所を設定しています。

①道端に落ちた種 4節「まいている時、道端に落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。」 19節にイエス様の解説があります。「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪っていきます。道端に蒔かれるとは、このような人のことです。」 

  「種」とは、御国のことばを表しています。あるいは、福音、または、聖書のことばと言ってよいでしょう。「悟る」とは、食べ物で言うと、食べて消化し、自分の栄養になることでしょう。食べないままでいると、その種は、悪い者によって奪われてしまうと言うのです。神のことばを聞いても、それを悟って信じないでいると、せっかく心の中に入った神のことばも、悪魔によって取り去られてしまうのです。

②土の薄い岩地に落ちた種 5節「別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。」 芽を出しても、地中が浅いために根がしっかりと成長しません。根がしっかりしていないので、十分な水分や栄養を取ることができません。茎を支えることもできません。20節のイエス様の解説。「岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」

  一時は神のことばを聞いて、大変喜んでいたのに、その後、しっかりと神様のことばによって養われていなかったために、困難や迫害が来ると、簡単に神様から離れてしまうのです。

③いばらの中に落ちた種 7節「別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。」 周囲のいばらの力があまりにも強くて、成長を妨げられてしまった状態です。22節のイエス様の解説。「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと、富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」 神様は私たちの生活を豊かに祝福してくださるお方です。しかし、もしも、私たちの心が神様よりも、この世の楽しみ、お金、仕事、名誉とかに惹きつけられてしまうのなら、いつか必ず、神様への関心を失ってしまうことでしょう。

④良い地に落ちた種 8節「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」 23節のイエス様の解説。「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人は本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

  神のことばを聞いて、悟り、信じ続けた人の結末です。その人は実を結ぶとイエス様は言っています。イエス様が言っているのですから、これは確かなことです。

■私たちは、イエス様が話されたこのたとえ話を通して、何を学ぶことができるでしょうか。私たちの心は、神のことばが蒔かれる地です。また、私たちは、神のことばを蒔く人でもあります。ぜひ、「種が蒔かれる地」の立場と、種を蒔く人の立場の両面から、自分を見つめていただきたいと思います。そして、私たちは、イエス様のことばに注意深く聞く者でありたいと思います。