宣活

2015年9月27日主日礼拝「宣活」ローマ10:11~17 佐々木俊一牧師

 

■若者言葉というのがあります。長い言葉は短縮してしまう傾向があります。たとえば、「就職活動」は「就活」、「結婚活動」は「婚活」です。「就活」は別の「終活」もあるようです。最近、やっと、このような言い方に慣れてきました。

  今日のメッセージタイトルは、「宣活」です。漢字4文字を短縮しました。何かわかりますか。・・・・「宣教活動」でしょうか。「宣伝活動」でしょうか。どちらでもよいかと思います。「宣教」と「宣伝」の意味を電子辞書で調べてみました。「宣教」は宗教をのべひろめること。「宣伝」は3つ書かれてありました。①のべ伝えること。②主義主張や商品の効果などを多くの人に説明して理解・共鳴させ、ひろめること。③大げさに言いふらすこと。①は字のごとく、のべ伝えることです。②の意味は一般的によく使われています。③はあまりやらない方がよいでしょう。

  私たちは、福音を「宣伝」します。つまり、福音を宣べ伝えます。人々の注意を引くためにありもしないことを大げさに言いふらすことは良くありませんが、福音について聖書に書かれていることや、福音を信じて自分が体験したことを正直に語ることは、別に悪い事でも恥ずかしい事でもありません。

  今日は、福音の宣教活動、あるいは、宣伝活動、略して「宣活」についてともに考えてみたいと思います。

■11節 「彼に信頼する者は、失望させられることがない。「彼」とは誰ですか。「イエス・キリスト」ですね。「イエス・キリストに信頼する者は、失望させられることがない。」みなさん、本気でそう思っていますか。そう思っていますよね。私もそう思っている人間のひとりです。過去をふりかえると、何度沈みかけたことでしょうか。その度に、もうだめだと思いました。自分ではどうすることもできないので、「イエス様、助けてください。」といつの間にか叫んでいました。そして、結果は、いつも大丈夫でした。

  創世記28:15にこんなみことばがあります。「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」神様がヤコブに約束したことは、遡ると、祖父アブラハムに約束したことです。その約束とはどのようなものだったでしょうか。創世記12章の初めに書かれています。「約束の地カナンを与え、大いなる国民とし、アブラハムへの約束をとおして、この地上のすべての民族を祝福しよう」という約束です。その約束は、ヤコブが生きる意味であり、そして、その約束のある部分をヤコブが担うことが、ヤコブの使命であったと言えるでしょう。このみことばによるならば、神によって与えられた使命を成し遂げるまでは、あなたの命は大丈夫というメッセージが伝わってくるのではないでしょうか。私たちが生きているということは、と言うよりも、私たちが生かされているということは、わたしたちにはまだ、しなければならない使命があるということです。

■教会から出て行って福音を宣べ伝えるとき、または、日本から出て行って福音を宣べ伝えるとき(それが長期だろうと、短期であろうと)、想定外のことが起こりえます。そんな時、弱気になってしまいますが、しかし、神様の守りを体験します。出て行って福音を宣べ伝えるとき、そこには私たちのための信仰の学びと訓練があります。

  また、イエス様を信じる者が起こされて、その喜びを共有することの素晴らしさを体験します。私は個人的に思うのですが、今まで生きてきた中で、結婚式とバプテスマ式には格別な感動と喜びを覚えるのです。両方ともに、人生の新たな出発点です。見ている方も気持ちが新しくされるような思いになります。

■12節 「ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。」皮膚の色、国籍、民族、文化、宗教の違いは、いまだに人々の間に争いや差別を生じさせています。しかし、それは、神様の見方ではありません。神の御国にはそのような区別も差別もありません。イエス・キリストはどんな人でも、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあるのです。

■14節 イエス・キリストの救いのドアは、世界中のすべての人々に開かれています。しかし、イエス様のことを聞いたことのない人がどうして信じることができるでしょうか。イエス様のことを宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょうか。「良いことの知らせを伝える人々の足はなんとりっぱでしょう。」と、イザヤ52章に書かれています。イザヤ52:7~10を見てみましょう。神様は、良い知らせ(福音)を告げ知らせる者たちを絶賛しています。そして、イザヤ52:10に、「地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。」と書かれています。福音を告げ知らせる者たちの働きによって地の果て果てに住む人々もみな、神の救いを知るようになるのです。しかし、そうなるためには、宣べ伝える人が必要です。宣べ伝える人がいても、その人を遣わす人、その人をサポートする人がいなければ、このみことばを成し遂げることはできません。

  ローマ10:17に、「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。」とあるように、キリストについてのみことばを、行って告げ知らせる必要があります。地の果て果ての人々がイエス・キリストを知るために、私たちは、さらに、海外宣教を意識して目を向けて行きたいと思います。それでは、お祈りします。


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プーケットからコックンカップ
北星学園大学出身の平吹光太さん(フリーウィルバプテスト、コイノニア教会)の証とタイ宣教レポートがありました。
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