エルサレム教会とアンテオケ教会

2015年6月14日(日)主日礼拝 「エルサレム教会とアンテオケ教会」使徒15:14~19佐々木俊一牧師

■オープン・ドア・チャペルが始まってから25年が経ちました。いま、私たちは6月28日に行われる25周年記念行事に向けて準備を進めているところです。1990年1月にホエリー宣教師宅のガレージをリフォームしてそこで礼拝が始まりました。私事になりますが、私たちはその1年後1991年3月に結婚しました。結婚して24年目になります。ふりかえると、あっという間の24年間でした。時間のたつのは本当に早いものです。24年の間に家族にとって危機と思われることが何度かありました。けれども、それらの中にあっても神様の守りがあって、今日このようにしてオープン・ドア・チャペルの礼拝に出席できていることは本当に幸いなことだと思います。オープン・ドア・チャペルの25年間にもきっと大変なことが幾度かあったのではないかと思います。しかし、そのような中にあっても神様の守りがあって、今ここにオープン・ドア・チャペルがあります。そして、ともに主に礼拝をささげることができることは本当に幸いなことだと思います。

  オープン・ドア・チャペルの歴史はまだ25年間です。それでは、教会の歴史はどうでしょうか。その始まりは今から1985年くらい前の五旬節のときでした。エルサレムに第一号の教会が誕生し、福音が人々に宣べ伝えられ始めたのです。そして、それは今、世界中に広がっています。こんなことを考えてみました。私は1979年4月15日にバプテスマを受けました。ですから、およそ1950年かけて私のところに福音が届いたということになります。その福音が私のところに届くまで数知れない多くの人々を経由してきたはずです。その人々をたどるならば、必ず第一号の教会であるエルサレム教会にたどり着きます。まさに信仰のルーツに到達するのです。すごいと思いませんか。

■さらに、教会について見てみましょう。「教会」ということばを初めて用いたのはイエス様です。そのことがマタイ16:18に書かれています。イエス様は弟子たちに、「あなたがたはわたしを誰だと言いますか。」と質問しました。すると、ペテロが真っ先に、「あなたは生ける神の子キリストです。」と答えました。それに対しイエス様は、「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に教会を建てます。」と言われました。ペテロの名前はもともと、シモン、またはシメオンです。イエス様はシモンにペテロという新しい名前を与えました。ペテロとは「岩」という意味があります。「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に教会を建てます。」このイエス様のことばは、ペテロが将来、どんなに偉大な人物になるのかということを言おうとしているのでしょうか。そうではありません。ペテロの口を通して言われた言葉、「あなたは生ける神の御子キリスト(救い主)です。」という告白こそが、教会が教会であるための土台になる部分だということです。教会が教会であるためには、イエス・キリストこそが真の神であり、救い主であるという信仰が必要なのです。そして、「教会」はギリシャ語で「コイノニア」、召し集められた者という意味です。教会は、イエス・キリストこそが真の神であり、救い主であるという告白によって召し集められた人々の集まりなのです。

■使徒の働き2章を見ると、エルサレムに最初の教会が誕生した時のことが書かれています。イエス様は過越しの祭りの時に十字架にかけられて死にました。しかし、それから3日目によみがえられました。それは、ちょうど週の初め日曜日のことでした。その日曜日から数えて50日目に五旬節というお祭りがあります。この日も週の初め日曜日です。この五旬節はペンテコステとも言われていて、この時に、聖霊が地上に下られました。イエス様を信じる人々は、この時から教会として動き始めたのです。集っていた人々はみなユダヤ人でした。その後、ステパノの殉教があって、それから、教会への迫害が激しさを増していきました。彼らの多くがエルサレムから避難し、ユダヤ、サマリヤの他の町へ逃れて行きました。ただ逃げただけではありません。イエス様が救い主であることを他のユダヤ人に伝えながら逃げました。そして、もっと多くのユダヤ人がイエス様を真の神様と信じ、救い主として受け入れたのです。人々はさらに北上し、シリヤに向かって移動しました。ダマスコ(ダマスカス)やアンテオケ(アンタキヤ)に多くのクリスチャンが集まりました。最初、クリスチャンはユダヤ人だけでした。なぜなら、ユダヤ人だけにしか福音を伝えなかったからです。しかし、アンテオケにおいては、キプロスやクレネ出身のユダヤ人がギリシャ人にもイエス様のことを伝え始めたことが、使徒11:20に書かれています。結果、多くのギリシャ人がイエス様を信じました。そのことがエルサレム教会に伝わると、エルサレム教会から指導者の一人であるバルナバがアンテオケ教会に派遣されました。バルナバは、その事実を確認した後、タルソにいたパウロを連れて来て、1年間一緒にアンテオケ教会で聖書を教えました(使徒11:26)。なぜ、バルナバはパウロを呼んだのでしょう。それは、パウロが異邦人に福音を宣べ伝えるために神が選んだ器であるということを聞いていたからです(使徒9:15、27)。

  クリスチャンという呼び方はいつから始まったのでしょうか。使徒11:26には、イエス様を信じる人々がクリスチャンと言われるようになった経緯が書かれています。それは、アンテオケで起こった出来事でした。アンテオケ教会には、ユダヤ人もいれば、ギリシャ人やシリヤ人もいました。ユダヤ人はふつう、他の民族や国民と一緒に何かを行なうということはありませんでした。ですから、当時の常識を破るような驚くべき社会現象としてとらえられたのだと思います。ユダヤ人も、ギリシャ人も、シリヤ人もみんなが仲良くしているそんな光景を見た周囲の人々は、彼らのことをクリスチャンと呼ぶようになりました。常識を破ることは悪いことばかりではありません。常識を破って良いものが生まれるならば、私たちは、大胆に常識を破って良いものを生み出したいと思います。アンテオケ教会は、このようにして国際的な教会になり、世界に向けて福音を発信するために準備を進めて行きました。

■当時、多くの教会が築き上げられていたことが、使徒9:31に書かれています。その中でも、エルサレム教会とアンテオケ教会は際立った存在でした。しかし、この二つの教会は、非常に対照的な教会だったと言えると思います。エルサレム教会は保守的であり、アンテオケ教会は革新的でした。アンテオケ教会は、当時の常識に縛られないというのが特徴かと思います。そして、エルサレム教会は、元パリサイ人や元律法学者出身のクリスチャンがたくさんいました。その影響力も相当なものだったでしょう。彼らはイエス・キリストの十字架の贖いを認めながらも、それにプラスしてユダヤ人特有の律法の慣習に従うことの必要性を主張しました。そのような人々をもエルサレム教会は受け入れていたのだという事実を知って、とても驚かされます。彼らに対して、使徒たちはむやみに排他的な対応をするようなことはしませんでした。対等な話し合いの場で、相手にも理解してもらえるように忍耐をもって事を決めようとしている様子が、使徒15章から知ることができると思います。実際に激しい論争があったようです。感情的にもなっていたかと思います。しかし、その中にあって、主のみこころを求め、冷静に判断し、主のみこころが何かをとらえ、主のみこころに従おうとしている人々がいました。それは、エルサレム教会のペテロやヤコブであり、アンテオケ教会のパウロやバルナバです。彼らが、現実に起こっている出来事を、聖書のことばと聖霊の導きによって吟味している姿を見ることができると思います。

■この話し合いの場で議論されていることは、おもに2つあると思います。一つは、救いは異邦人のためでもあるのか、そして、もう一つは、そうだとしたら、異邦人もユダヤ人の律法の慣習に従う必要があるのかということです。ヤコブの発言、アモス書のことばが決定打になりました。「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元通りにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。」

  ダビデの時代、ダビデの幕屋では動物のささげものではなく、賛美と祈りがささげられていました。これは何を意味するのでしょうか。律法的な神様とのかかわりではなく、自由な神様とのかかわりを意味します。また、律法的で形式的な礼拝ではなく、自由で親しい交わりのある礼拝を意味しています。ダビデの幕屋は教会を表し、ダビデの幕屋での礼拝は教会での礼拝を表しています。そして、それは、ユダヤ人だけではなくて、異邦人も共に参加できる集まりであり、礼拝であることを表しています。暗くて喜びのない礼拝ではなくて、明るくて喜びのある礼拝は、ユダヤ人だけではなくて、異邦人をも導くために神様が導かれたやり方なのです。それが教会なのです。

  エルサレム教会もアンテオケ教会も、きっと、ダビデの幕屋のような教会を目指していたのだと思います。聖書のことばと聖霊の導きとイエス様のことばとイエス様の生き様を模範として、必要ならば、時には時代の常識に縛られずに、福音を宣べ伝える教会、そして、自由と明るさと喜びのある礼拝を目指していきたいと思います。