親の背中

2015年5月24日(日)主日礼拝 「親の背中」創世記2:21~24 佐々木俊一牧師

  前回は、「子どもをおこらせてはなりません!」というタイトルでお話ししました。今日も家族に関わる内容で、お話をしたいと思います。

■「卵が先か、鶏が先か」という疑問がよく話題になります。この疑問は、命がどのように始まったのか、また、世界がどのように始まったのかという問題を提示しています。「鶏が先である」というのが聖書的な答えです。人について言うならば、神は初めに男を造ったとあります。名前は、「アダム」です。「ア」は神を表す音(文字)であり、「ダム」は「血」という意味のことばであると、昔、授業で習いました。「アダム」は「神の血」という意味があるそうです。神は、男にふさわしい助け手として「女」を造られました。アダムをしばしの間眠らせてその間にアダムの肋骨の一つをとって女を造ったとあります。この話を聞くと、多くの日本人は神話かその類の作り話だろうと思うのではないでしょうか。

  そこで、『肋骨(ribs))』ということばに注目したいと思います。ヘブル語で「cella」と発音するそうです。このことばは、周りが仕切られた一つの部屋のようなものを表しているようです。その他にも、牢屋、船の湾曲した肋骨状の骨組み、鳥かご(cage)にもこの言葉が使われているそうです。そして、英語の「cell(細胞)」は、ヘブル語の「cella」と発音する言葉に由来しているのだと、私が習ったユダヤ人の先生は言っていました。そこで、ネットで調べてみました。そうしたら、「cell」の語源は「小さな部屋」というギリシャ語であると書かれていました。また、あるところには、ラテン語の「小部屋、小区画、最小単位」を意味する「cella」という言葉が語源であるとなっていました。結局、へブル語の言葉が語源であると言うのは見つけることはできませんでした。でも、旧約聖書について言うならば、ヘブル語がギリシャ語やラテン語よりも先なのですから、ヘブル語の言葉が元になっていると言っても間違いではないと思います。

■創世記3:20 アダムの妻の名前は、「エバ」と言います。注釈を見ると、「エバ」とはヘブル語で、「ハバ」とあります。意味は、「すべて生きている者の母」です。ですから、エバは、ここにおられる方々の共通の「ハバ(母)」と言うことになります。

  この話はどこかで聞いて、以前にも話したことがあるのですが、女性は男性よりも優れていると言うのです。なぜなら、男性は女性よりも先に造られ、女性は男性の後に造られました。ふつう、先に出来たものより後に出来た物の方が出来がいいのです。どうでしょうか。当たっているでしょうか。もちろん、これは冗談です。 

  神は、女を男の助け手として造られましたが、それは上下関係を意味しているのではありません。どちらかが劣っていて、どちらかが優れているわけではないのです。両者は対等な関係で、ただ、それぞれに役割が与えられているのです。強いて言うなら、互いの不足分は互いに補い合うという関係が成り立つでしょう。

  ところが、人間の歴史をふり返って見ると、長い間、世界中で女性は虐げられてきました。なぜ、女性が虐げられてきたのか、その理由を聖書の中に見出すことができます。

■創世記3:16 「女にはこう仰せられた。『わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。』」

  男が女を支配する世界は、本来、神様の考えていた世界ではありません。「男尊女卑」とか「男性優位社会」は神様のみこころではないのです。創世記3:16に書かれていることは、罪の結果起こった事であって、これが神様による罰とか裁きであると考えるのは間違っていると思います。罪を犯せば、それに付随して起こる出来事は、男も女も自分で刈り取らなければなりません。神は、罪の結果どうなるかを彼らに予告しただけなのです。男尊女卑や男性優位社会が神様のやり方でないということは、聖書をよく読めばわかることです。

■ところで、アダムとエバの関係はどうだったでしょうか。創世記を読む限りにおいては、二人はとても仲の良い夫婦でした。しかし、神様によって罪を咎められた時、アダムは、自分にエバを与えた神様が悪い、善悪の知識の木から実をとって食べさせたエバが悪いのだ、と言って神様とエバに責任を負わせようとしました。また、エバは、自分を誘惑した蛇が悪いのだ、と言って責任を蛇に負わせようとしました。たぶん、この辺りから、二人の仲には不協和音が出始めたのではないでしょうか。

  彼らには、カインという名の長男とアベルという名の次男がいました。この最初の家庭の中で、人類史上初めての殺人事件が起きてしまったのです。カインはアベルを殺してしまいました。カインのアベルへの嫉妬が原因だったと思われます。原因にはもっと深い根があったのだとも考えられます。アダムとエバの関係はカインにどのような影響を与えたでしょうか。また、親子関係や兄弟関係はカインにどのような影響を与えたでしょうか。

  家庭の問題を意識しながら旧約聖書を読むと、おもしろいかもしれません。聖書の中に、優れた信仰の男性や女性を見つけることは容易ですが、優れた親を見つけることは難しいと思います。アブラハム、サラ、イサク、リべカ、ヤコブ、サムエル、ダビデなど、彼らは信仰の人でしたが、しかし、親としては大きな失敗を犯しています。もっと悪いことは、その失敗に気づいていないと言うことです。彼らの家庭には、子どもの立場からすると、不公平と思われることがたくさんあったのです。ですから、彼らの子どもたちの間には、ねたみや嫉妬があり、ある時には命さえ奪い合いました。いつの時代でも、子どもにとってはえこひいきや不公平は重要な問題なのです。家でも学校でも、えこひいきや不公平に対しては、子どもたちはとても敏感です。アダムとエバの家庭にも同じような問題があってもおかしくはありません。

  人間関係には、今の時代にも昔の時代にも共通する問題があると思います。アダムの時代から今の時代に至るまで、時はずっとつながって流れて来たのです。良いことも悪いことも、家庭をとおして、世代から世代へと引き継がれてきたものがあるはずです。男が女を支配し、女は負い目を感じて劣勢に生きなければならない状態は、世代から世代へ、時代から時代へとつながってきたのです。

■私たちクリスチャンは、先の時代から受け継いできた悪い習慣に従う必要はありません。キリストによって新しく生まれたのですから、それらのものと関わる必要はないのです。

  今日は聖書の中の2つのみことばからそのことを学びたいと思います。

1) Ⅰペテロ3:7 「同じように夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻と共に生活し、いのちの恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。それはあなたがたの祈りが妨げられないためです。」

  夫は、妻が自分よりも弱い器であることをわきまえなければなりません。私は、この点で過去に大きな失敗したことがあります。30代の私は非常に健康で丈夫でした。それに比べて、妻は、体が弱く、家族でどこかに出かける計画をたてても、当日、体調が悪くて中止になったり、あるいは、出かけた後に体調が悪くなって寝込んだりと言うことがよくありました。私にとってそういうことがどうしても受け入れがたいことだと感じていました。そのため、ある日、私は、妻の体の弱いことを指摘し、それに比べて自分の体は頑丈に出来ているということを自慢したことがありました。その後、40代になってから、私は、体に故障が生じて一時は非常に弱くされてしまったことがありました。この時、私は、妻への失言が思い起こされて、思いやりがなかったことを悔い改めさせられました。

  神様は、夫に、妻の弱さを覚えつつ、妻を敬うように命じています。なぜならば、妻は、神様が愛する者であり、神様の栄誉を受ける者であり、いのちの恵みを共に受け継ぐ者だからです。

1) エペソ5:33 「それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。」 

  聖書では、夫に対しては妻を愛するように言っているのですが、妻に対しては夫を敬うように言っています。男性は、愛されるよりも、敬われることを望む傾向があるのではないでしょうか。男性は愛されたいという願いよりも、尊敬されたいという願いの方が強いように思います。それは、家庭においても同じです。神様は妻に、夫を敬うように命じています。

Ⅰペテロ3:1 「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。」

  今の時代、これは不可能でしょう。これは、夫のわがままを許し、夫のしたいようにさせなさいということではありません。また、妻には発言する権利がないということでもありません。服従すると言うのは、夫を敬う一つの形です。ですから、夫を敬うことが大事なことであり、夫への尊敬をことばや態度で表わすことが大事なのです。

■「子は親の背中を見て育つ」ということばがあります。親がどんなに子どもに向かって、「ああしなさい、こうしなさい、あれはしてはいけない、これはしてはいけない。」と言っても、子どもは言ったとおりのことはしません。子どもは親に言われたことをするのではなくて、親がしたことをするのです。

  子どもたちは親の背中を見て育ちます。子どもは父親の背中、母親の背中を見て育ちます。夫は妻を愛し、妻は夫を敬いましょう。健全な家庭は健全な夫婦の関係から生まれます。夫と妻が仲良くするだけで、子どもは安心するのです。

口で言うのは簡単ですが、行なうのは難しいかと思います。しかし、つまずきながらも、あきらめないでやり続けるならば、その報いは大きいのです。それではお祈りします。