子どもを怒らせてはいけません!

2015.5.10主日礼拝「子どもを怒らせてはいけません!」<エペソ6:1-4>佐々木俊一牧師

■5月第二週目の日曜日は、「母の日」です。「母の日」の由来はいくつかあるようです。また、その日にちは国々によって異なるようです。日本で行なわれている「母の日」は、アメリカから伝わったものです。1907年5月の第二日曜日、教会での出来事がきっかけで始まり、1914年にアメリカの記念日として制定されました。日本でも、1915年頃には教会で「母の日」が行なわれていたそうです。しかし、一般に広まったのは、戦後のことだそうです。

  6月になると、今度は第三日曜日に「父の日」があります。この「父の日」もアメリカで始まりました。「母の日」があるのなら、「父の日」もあってよいのではないかという理由が本当かどうかわかりませんが、1972年に正式にアメリカの記念日として「父の日」が制定されました。「母の日」も「父の日」も、親に感謝を表すというのが目的です。

  ところで、「こどもの日」は日本だけなのでしょうか。調べてみました。これも多くの国々にあるようです。最初に「こどもの日」を設けたのはトルコのようです。日本では、1948年に「こどもの日」を制定し、祝日になりました。その趣旨は、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」というものです。子どもの日に母に感謝し、母の日にまた母に感謝する。日本の母は、丁重に扱われているようです。

  今日は、母の日なのですが、子どもの日にちなんだメッセージをしたいと思っています。特に、小さなお子さんのいるお父さんとお母さんに聞いていただきたいと思っています。

<子育てについて>

■エペソ6:4は、「父たちよ。」で始まっています。ここでは、父たちが子育てに参与することが当然のごとく語られています。しかし、日本では、父親は外で働き、子育ては家にいる母親の役割と言う考え方が、徐々に見直されてきてはいますが、いまだに残っているように思います。聖書では、子育ては父親にも責任と役割があることが明確に語られています。父親が子育てに関わるべきであることは、新しいことではなくて、すでに、聖書の中で言われていたことなのです。

  エペソ6:4のみことばは、父と母の両方に向けて語られていることばであることを覚えてほしいと思います。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」と書かれています。エペソ6:1‐3は、子どもたちに向けて書かれた勧めのことばです。「両親に従うことと敬うこと」。 これは、モーセの十戒の中で言われていることです。従うならば、神様の祝福が豊かにあるという約束をともなっています。しかしながら、子どもたちが両親に従い、両親を敬うようになるためには、両親の側になすべき大切なことがあるのだということが文脈の流れの中で読み取れると思います。子どもたちが両親に従い、敬うのは当然のこととして考えられていた時代でした。でも、子どもたちがそうなるためには、親がまず、主の教育と訓戒によって子どもたちを育てることが必要です。

<「ごめんね」の力>

■ところで、自分の子どもをおこらせたことはあるでしょうか。私は、何度かあったのを覚えています。子どもがまだ小学5年生くらいの頃のことだったと思います。私たち夫婦が喧嘩をしていた時に、それを見かねた子どもがおこって家を飛び出して行ってしまいました。家が狭かったものですから、子どもの目を避けて夫婦喧嘩をすることはできませんでした。しばらく、子どもの行き先がわからず、とても心配しました。私たち夫婦は悔い改めて、子どもに「ごめんね」、と謝まりました。私たち家族は、そのようにして仲直りしました。親が子に、子が親に、「ごめんね」、と謝ることは大切なことです。「ごめんね」には力があります。自分の非を認めて心から悔い改めることは、自分を低くすることです。自分の正しさを主張しても、神様は働かれません。けれども、自分を低くするとき、神様は働かれるのです。「ごめんね」の力の背後には、神様が働いておられるのです。

<怒りについて>

■エペソ4:26‐27に、こうに書かれています。「怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」 日が暮れるとは、次の日が近づいているということです。当時は、太陰暦でしたから午後6時で日付が変わります。前の日の怒りを次の日まで持ち越してはいけません。その日の怒りはその日のうちに処分してしまうのです。その怒りをいつまでも持ち続けているのならば、私たちの心にその怒りが錨をおろして、そこにずっととどまり続けてしまいます。怒りの感情がいつも心を支配し、怒りの感情が習慣化してしまいます。簡単に怒りのスィッチが入ってしまうようになってしまいます。いつも、腹立たしく、いつもいらいらしてしまいます。いつしか、それは、憎しみや敵意や反抗心や敵対心へとさらに悪い方向に進んで行くのです。「悪魔に機会を与えないようにしなければなりません。」とあります。このような否定的な感情は増幅されると、そこまでやるつもりはなかったのにと思うようなことへとエスカレートさせてしまうことがあるのです。ですから、子どもたちの心に怒りの感情を習慣化させるようなことは避けなければいけません。

<イエス様が模範>

■「主の教育と訓練によって育てなさい。」この勧めから受ける印象はどのようなものでしょうか。子どもは厳しく育てないといけないという印象を受けるでしょうか。堅苦しくて、今の時代には不適切な育児法だと思うでしょうか。過去のキリスト教教育において様々な考え方があったかと思いますが、概して、厳しさが強調されていた時代が長く続いていたように思います。そのもとになっているのは、神観だと思います。神様というお方は、厳格なお方というイメージが強かったように思います。ですから、子どもは厳しく育てることが神様のみこころだと考える傾向があったのではないでしょうか。これは、旧約聖書から来るイメージだと思います。

  私たちは、今、新約の時代に生きています。古い革袋の古いワインではなくて、新しい革袋の新しいワインを味わい、喜ぶことができるのです。私たちは、イエス・キリストによる新しい契約の中に生かされています。もっと自由に喜んで生きるように導かれています。そのような生き方の模範が、イエス・キリストです。当時のイエス・キリストと宗教家たちの言動を比較するならば、イエス・キリストというお方が、いかに人々が自由に喜んで生きることができるように模範となる教えを提供してくれていたかがわかります。イエス・キリストの教えと行ないこそが私たちの模範であり、本来の神様のイメージなのです。ですから、イエス様の教えと行ないの中に、父として、母として、どうあるべきかのヒントがあるのです。

  マルコ10:13~16 古い時代においては、女性と子どもは軽んじられていました。弟子たちでさえ、「イエス様というお方は子どもがふつうに近寄れるようなお方ではないのだ。偉いお方なのだから」と思っていたのです。しかし、神様の目には、男であろうと、女であろうと、子どもであろうと、王様であろうと、取税人であろうと、誰であろうと、上下関係はありません。イエス様は神なるお方ですが、弟子たちとは違って、偉ぶってはいませんでした。イエス様の子どもたちへの態度は、まったく対等なものです。上から目線ではありません。厳しいどころか、子どもたちが安心して近寄れるように、受容的で、やさしい心遣いを感じます。

  「主の教育と訓戒によって育てる」とは、けっして、厳しく律法的に育てることではありません。しかし、だからと言って、まったく叱るのをやめてしまったり、ただ子どもの要求を受け入れて、甘やかして育てることでもありません。私たちはイエス様のことばと態度から学ぶことができます。イエス様は弟子たちを叱ることもありましたし、厳しいことばで言い聞かせることもありました。でも、それは弟子たちにとって良いことであり、いつもイエス様のなされることには彼らへの愛がありました。イエス様は彼らの失敗や過ちを、いつまでも覚えていて責め続けるようなことはしませんでした。彼らへの愛を率直に言い表すこともありましたし、ご自身の悲しみや苦しみをありのままの感情で弟子たちに表したりもしています。イエス様と弟子たちの間には、信頼感と親近感がありました。これらのことを通して、親として子どもと良き関係を築いていくためのとても良いお手本が示されていると思います。

  主の教育と訓戒によって子どもたちを育てるために、私たち大人がしなければならないことは、まず、私たち大人が、イエス様を模範として生きることです。子どもたちに主のことばに従わせるのではなく、まず、親が主のことばによって養われて生きることです。子どもたちはそれを見て育つのです。主の教育と訓戒によって子どもたちを育てるならば、きっと、子どもたちは親を敬うようになるでしょう。それは、また、子どもたちに祝福をもたらすことになるのです。

■子どもたちが幸せになるために、子どもたちの内面に注意を払う必要があります。子どもたちの内面はどのような気持ちや感情が占めているのでしょうか。肯定的で明るい感情、うれしい、やさしい、楽しい、暖かい、安心、自信、喜び、などでしょうか。それとも、否定的で暗い感情、苦しい、辛い、悲しい、妬ましい、憎い、怒り、敵対、反抗、不安、恐れ、心配、劣等感、などでしょうか。否定的で暗い感情が習慣化しないように、配慮する必要があります。

  私たちは子どもたちに良いものを継承したいと思います。目に見えるものだけではありません。信仰はもちろんのことですが、内面の豊かさを継承させてあげたいと思います。「子どもをおこらせてはいけません。」という聖書のことばには、親と子の間に良き関係を築き上げ、内面の豊かさを世代から世代へと伝えていくようにという意図を、私は感じます。この目標はしっかりと見つめて行きましょう。けれども、正直言うと、口で言うのは簡単ですが、実際に子育てをするの難しくもあれば、大変な作業でもあります。自分の限界と力不足を感じます。それは素直に認めて、しかし、主がすべてのことを働かせて益としてくださることを信じて、主にゆだねて進んでゆきたいと思います。それでは、お祈りします。