初穂をささげる

2015.4.26主日礼拝「初穂をささげる」レビ記23:10~11佐々木俊一牧師

■みなさん、聖書を読んでいて、「初穂」ということばを見かけたことがあるでしょうか。旧約聖書にも、新約聖書にも見つけることができます。「初穂」とは、その年、最初に実った稲や麦の穂です。また、すべての穀物や野菜や果物の最初の収穫のことでもあります。他に似た言葉として、「初子」というのがあります。人でも動物でも初めて生まれる子は「初子」と言います。また、「初物」という言い方もあります。その年に初めての収穫した作物のことです。聖書では、「初穂」も「初子」も「初物」も、神様にとって特別な物として扱われています。それらは聖別されていて、神様にささげられるべきものなのです。

<初穂は何を表しているのか>

■今年のイースターは、4月5日でした。私たちの希望である、イエス・キリストは、十字架に死んで三日目に復活し、目には見えませんが、今も私たちと共にあって生きて働いておられます。

  イエス様が十字架にかけられて死なれたのは、ちょうど過越しの祭りの時でした。イエス様が死んで墓に納められて、その後すぐに、ユダヤ人の安息日となりました。ユダヤ人の安息日は週の7日目、土曜日です。過越しの祭りの最中のこの土曜日は、いつもの安息日とは違って、ユダヤ人にとって特別なお祝いの日でした。そして、次の日の夕方になると新しい週が始まります。ユダヤ人の1日の始まりは夕方からです。新しい週の一日目、日曜日の朝に、イエス様はよみがえられました。実は、この日曜日こそが、ユダヤ人たちが神様に初穂をささげるお祭りの日であったのです。先ほど読んでいただきました、レビ記23:10~11に書かれている律法の慣習に基づいていることです。レビ記23:10~11をもう一度読んでみましょう。「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたが入り、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って来る。祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を主に向かって揺り動かす。祭司は安息日の翌日、それを揺り動かさなければならない。」安息日の翌日に収穫物の初穂を祭司のところに持って来て、それを祭司は揺り動かさなければならないというのです。興味深く、そして、奇妙とも思える儀式です。過越しの祭りの頃、3月中旬から4月中旬には、大麦の収穫が始まるときでした。ですから、この時の初穂とは、大麦の初穂のことです。過越しの祭りの最中の安息日の翌日、日曜日に、祭司はこの大麦の初穂の束を主に向かって揺り動かさなければならなかったのです。

  過越しの祭りにささげられた子羊は、人の罪を贖うために十字架に死なれたイエス・キリストを表しているということを、みなさん、ご存知の事と思います。それでは、過越しの祭りに続く日曜日に、祭司が揺り動かす大麦の初穂の束は何を表しているのでしょうか。Ⅰコリント15:20~21を見てみましょう。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。」このところで、イエス・キリストは死者の中からよみがえった初めての人、初穂であると言っています。祭司によって揺り動かされた大麦の初穂、この奇妙とも言えるユダヤ人の習慣こそが、イエス・キリストの復活を表しているものだと言えるでしょう。

  そして、それから、7週間後には小麦の収穫が始まります。大麦の初穂の次には、人々は小麦の初穂を祭司のところへ持って来ました。レビ記23:16~17に書かれていることです。「7回目の安息日の翌日まで50日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげものを主にささげなければならない。あなたがたの住まいから、奉献物としてパン、主への初穂として、十分の二エパの小麦粉にパン種を入れて焼かれるもの、二個を持って来なければならない。」この時は五旬節、または、ペンテコステと言われているお祭りです。このお祭りは小麦の収穫祭でもありました。今年のペンテコステは5月24日(日)です。新約時代には、ちょうどこの五旬節の時に聖霊が降臨し、教会が始まりました。使徒の働き2章にある出来事です。イエス様が十字架にかけられて死んでよみがえられた時も、その後50日目に聖霊が降臨して教会が始まった時も、ちょうど収穫祭と重なっていました。そして、それは、新しい週の始まり、日曜日に起こった出来事でした。これは偶然ではありません。旧約時代からユダヤ人のお祭りやささげものの儀式の中に表されていた神様の救いの計画が成就したのだ、と言える出来事です。初穂は、霊的な収穫、新しい出来事の始まり、神様の計画の成就を表していると言うことができると思います。

<カインとアベルのささげものから、何がわかるか>

■大麦や小麦の初穂のささげものについてお話してきましたが、ささげものというのは、私たちの神様への気持ちが反映されるものだと思います。創世記4章を開いてみましょう。有名なカインとアベルの話が出てきます。創世記4:2によると、カインは土を耕す者(農夫)となりました。ある日、カインは収穫した作物の中から神様へのささげものを持って来ました。また、弟のアベルも神様にささげものを持って来ました。彼は羊を飼う者(羊飼い)になったので、羊の初子をささげものとして持って来ました。初子の中でも1番良いものを持って来ました。それも自分自身で持って来たと書かれています(※新改訳聖書による)。アベルのささげものが神様によって良しとされた理由がここにあるのだと思います。

  カインのささげものが神様にとって良い物として受け入れられなかった理由として考えられることは、①カインはアベルと違って初穂でないものをささげた、②カインがささげたものは一番良いものではなかった、③カインは自分自身でささげものを持って来なかった、と推測できると思います(※新改訳聖書による)。そして、ここに、カインとアベルの神様へのささげものに対する考え方や態度の違いを見ることができると思います。神様はアベルのささげものを喜ばれました。神様がアベルのささげものを喜ばれた理由として、もう一つ考えられることは、子羊とイエス・キリストとの関連性です。しかし、やはり、ここでは、アベルのささげものに対する考え方や態度が受け入れられたのだと思います。神様が二人に望んでいることは、ささげもの自体にあったのではありません。ささげものを通して表されたカインとアベルの神様への気持ちや態度が問題であったのだと思います。彼らが主に対してどのような気持ちでささげたのか、と言うことです。アベルは神様を尊んでいましたし、神様を大切にしていました。それに対して、創世記4:7「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。・・・。」と神様がカインに言われたことから推測すると、カインは神様に対して正しい態度でささげていなかったと思われます。

<初物は私たち自身を表す>

■次に箴言3:9-10を見てみましょう。「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」「初物で主あがめよ」とあります。「あがめよ」とは、尊ぶことであり、敬うことです。初物をささげることを通して、神様を尊び、敬うように言っているのです。そして、初物をささげることと神様の祝福の関係についてふれています。初物とは全収穫物のほんの一部に過ぎません。けれども、それは、私たち自身を表していると言えるでしょう。初物を神様にささげるということは、自分自身を神様にささげる行為でもあるのです。カインとアベルのところで見たように、神様の関心事は、収穫物自体にあるのではありません。私たち自身であり、私たちの心です。私たちが神様を尊んでいるのか、大切にしているのかと言うことなのです。

  私たちが神様を大切にするとき、そこは神様の御心と計画が豊かに現されるところとなります。祝福はその結果です。祝福は単に物質的なことだけではありません。心の状態、健康の状態、人間関係、いろいろな事柄が私たちに対する神様の祝福の及ぶところとなります。神様を大切にするときに、家族、教会、社会に祝福がもたらされます。たとえ困難が許されたとしても、神様の支えと守りがあるはずです。

■初穂をささげると言うことについて、今日は二つのことをお勧めしたいと思います。一つは、一日の初穂をささげるということです。どういうことかと言うと、それは、一日の始まりである朝の時間を神様にささげると言うことです。朝の時間は貴重です。1分でも惜しいです。けれども、朝の初めの時間を神様にささげてほしいと思います。ささげる時間はご自分で決めてください。10分でもいいです。20分の方がもっといいでしょう。人によっては、30分、1時間、そのために時間をとれるかもしれません。デボーションの時間をとってほしいと思います。具体的に何をするのかというと、それは、神様に賛美の歌をささげたり、感謝をささげたり、聖書を読んだりします。1章でもいいです。時間がなければ、1節でもいいです。神様のことばに心を向けましょう。そして、神様にお祈りしましょう。自分のため、家族のため、教会のため、仕事のため、困難や病にある人々のため、祈りの課題はたくさんあります。朝の初めの時間に、神様と関わりを持ちましょう。このことを通して、神様は必ず祝福をもたらしてくださいます。私たちにとって、力となり、守りとなり、導きとなり、心に平安とゆとりを与えてくれます。

  二つ目は、一週間の初穂を神様にささげましょう。それは、日曜日です。日曜日にともに集まって礼拝をささげましょう。そのために、私たちは半日の時間を犠牲にするかもしれません。でも、このようにして、神様を尊び、敬うことは、神様にとって大きな喜びであるとともに、私たちにとっては、豊かな人生を歩むために必要なことなのです。しかし、日曜日に仕事のある方もいます。礼拝に来たくても来ることができません。あるいは、仕事で疲れて、休息が必要な時もあります。そのような時には、お一人で礼拝をささげることをお勧めします。朝の時間を神様にささげる時のように、賛美をささげ、感謝をささげ、聖書のことばに耳を傾け、祈るのです。ぜひ、やってみてください。

  神様のほしいものは、あなた自身です。神様のほしいものは、私たちの心です。神様を尊び、神様を大切にする心です。初穂をささげることをとおして、私たちは神様を尊ぶことができます。初穂をささげることを通して、神様を大切にすることができます。初穂は全体からするとほんの一部です。しかし、それは、神様にとっては、私たち自身なのです。初穂を神様にささげましょう。そうする時、しない時にはわからなかった神様の働きと祝福を、きっと、見るはずです。それでは、お祈りします。