苦しみと再生の道

 

2015.1.25主日礼拝「苦しみと再生の道」<マルコ8:31~38>説教要旨

ゲストメッセンジャー:日高龍子牧師(平岡ジョイフルチャペル )

マルコの福音書で、イエスは

「人の子イエスは、値踏みされ、捨てられ、殺され、復活する。 」この苦しみと再生の道を、これから歩むと自由に、勇気をもって、包み隠さず 宣言した (マル1:15

なぜなら、この道はイエスが人を愛するが故に通る道だから。

しかしペトロはイエスの苦難と再生の宣言を受け入れることが出来なかった。

それは、ペトロが思い描いた救い主(ローマに勝つ )そのイメージを覆したからだ。

ここにおけるペトロの問題、これがサタンの働きかけとなる。

①神のことを思ってない。    

②人間のことを思っている。

③イエスの前に立つ。

④人の価値観や、経験や、知識で 十字架の救いを退ける。

 

イエスはそのペテロを叱る。「引き下がれ」つまり「私の後ろに廻れ」と

1、それは自分を捨てること

①不完全な自分の価値判断を捨てる。

②神の目に大切と映る自分を取り戻す。

2、それは自分の十字架を背負うこと

神が自分をかけがえのない者としてくださった。

だから、日々の務め(愛するがゆえに~をしよう)を負い、イエスと共に歩く。

3、それは福音のために命を失うこと

 

けれど弟子たちは「罪深い時代」の中で、キリストを恥じてしまう。

①神に不貞節な時代。

②欺く弓で射た矢のように逸れる時代。

③イエスの十字架を価値がないと捨てる時代。


しかしイエスの十字架は、それを恥とする者を救う十字架だ

イエスの苦難と再生は彼らのためだから。

だから、復活のイエスに会った弟子らは自由に、勇気をもって、包み隠さず

イエスの福音をのべ伝えていった。(使徒行伝5:4042

これが私たちと共にある十字架だ。

自分の十字架が必ずある。私たちはその十字架を、愛するがゆえに日々担う。

その中で私達の重荷に手を差し伸べるイエスを見出す。

これがイエスの命に与って生きること。 私達の苦しみと再生の道だ。(マタイ11:2829