主を待ち望む者への約束

2014年10月12日主日礼拝「主待ち望む者への約束」<詩篇33:13~22>佐々木俊一牧師

   私たちは詩篇をとおして、神を信じる者への神の愛やあわれみを見ることができます。 詩篇の約半分はダビデによって書かれました。神様とダビデの関係は、神様とイエス・キリストを信じ新しい契約の中に入れられた人々との関係を表しています。ですから、ダビデが書いた詩篇をとおして、神様と私たちの関係がどのようなものなのかを知ることができるのです。

   ダビデは今から約3000年前の人です。彼は羊飼いでしたが、後にイスラエルの王様になりました。羊飼いから王様になったのですから、大成功者です。きっと、贅沢で華やかな人生を送ったのでしょう。ところが、それだけではありません。ダビデの人生は良いことばかりだったというわけではないのです。多くの苦しみの中を通りました。ダビデの時代と今の時代を比較するならば、知識は増し加わり、科学は大きく進歩しました。けれども、人の心はほとんど変わってはいません。出会う問題や困難は基本的に同じです。人間関係の問題、家族の問題、仕事の問題、経済の問題、国家間の対立、貧困、差別、病気、戦争、妬みや嫉妬、憎しみや恨み、殺人、死など、現代と何の違いもありません。人の心ほど進歩のないものはありません。昔も今も似たようなことで悩み苦しんでいるのです。ですから、ダビデの書いた詩篇は、今の時代にあっても、私たちにとって慰めであり、生きる模範として適用することができるのです。

■13節~17節 「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。御住まいのところから地に住むすべての者に目を注がれる。主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。」

   このところを読むと、神様は一人残らずすべての人を見ておられるようです。ですが、人間のことを見ている神様がおられるところを、人間は見ることはできません。また、だれがだれなのかを知っておられます。私の名前が俊一だということも知っています。一人一人の心の中や、やっていることなど、すべてを知っておられるというのです。長所もあれば、短所もある、完全な人は誰もいないことも知っています。世界中のすべてのスーパーコンピューターの情報量を結集したとしても、神様のそれにはかなうものではありません。また、全知全能なる神様は、それによって人間を管理しようなどとは考えてはいないでしょう。なぜならば、聖書には、神は地上のすべての管理を人に任せたとあるからです。神様は人にまったくの自由を与えているのです。怖くて冷淡な神様に見張られているとしたら、それは何と居心地の悪いことでしょうか。しかし、神様はそのようなお方ではありません。ですから、主に信頼している人にとって、主が一人一人を見ておられることは、とても心強く、安心できることなのです。時には、神様のみ心に従えないことがあったとしても、それが、イエス・キリストの救いの中にいる者にとっては、びくびくする理由にはなりません。何しろ、神様とその人との間は、父と子、親と子の堅い絆で結ばれているからです。子どもが悪いことをすれば、親はそれを叱りますが、それによって、親子の関係が悪くなるわけではないのです。

■18節~19節 「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。」

   神様の目を、特にひきつける者たちがいます。それはだれでしょう。

①主を恐れる者(主を信じ、主を愛し、主を尊ぶ者)

②主の恵みを待ち望む者(主の愛とあわれみに希望を持つ者)

   19節のことばは、ダビデ自身の体験から導かれたことばです。非常に重みのあることばです。ダビデは、イスラエル初代の王、サウルによって12年間不当な苦しみを受けました。何度も何度もサウルによって殺されそうになり、精神的にもつぶれてしまいそうになりました。しかし、その中で、ダビデは常に主に信頼し、主に希望を持ち続けて歩みました。そして、ダビデは守られてついに、イスラエルの王になりました。主を待ち望む者には、主に与えられた役割があり、働きがあります。主の恵みを証するという役割であり、働きです。その役割と働きをまっとうするまでは、その人は大丈夫です。守られます。ダビデはそのことを体験したのです。

   主を尊び、主の恵みを待ち望む者を、神様は、不安や恐れに打ち負かされないように守ってくださり、脱出の道をも備えてくださいます。また、命の危険にさらされるときには、生きながらえさせるために守ってくださいます。神様は、その人が与えられている役割と働きをまっとうするまでは、いかなる困難の中に置かれたとしても守りとおしてくださるお方なのです。

■20節~22節 「私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを望んだときに。」

   ここで、主語が「私たち」になっています。ここで、私たちは、神様のことばを自分たちにも適用するように導かれています。主は私たちの助けであり盾です。主が私たちを守り導いてくださいます。何があっても主に信頼し続けるならば、その人は、必ず、主によって喜びのときを迎えます。そして、その時、私たちは神様の証人として導かれていることを忘れてはなりません。神様の恵みを証する役割が与えられているのです。それは、神様がクリスチャンに与えた生涯かけての働きです。すべてのクリスチャンが主の証人として召されています。主の証人として召されている人々は、ダビデのように、何があっても神様の手によって守られているのです。それが、このところに書かれてある約束です。

   みなさん、聖書には後ろを振り返らずにとありますが、主の恵みについてはそうではありません。後ろを振り返って主の恵みを思い起こしてください。何度も、大変なところを体験されたのではないでしょうか。しかし、そのたびに、神様は守ってくださり、今このようにしてあるのです。そのことを証することは私たちに与えられた役割であり働きなのです。その役割と働きを生涯かけてまっとうしたいものです。それでは、お祈りします。